日本大百科全書(ニッポニカ) 「アメリカ文学」の意味・わかりやすい解説
アメリカ文学
あめりかぶんがく
アメリカ文学は、いうまでもなく西欧文学の一環をなすものであるが、17世紀初頭イギリス人による植民地建設以来、独自の歴史的発展、社会構造、地理的距離などによって、旧大陸のいずれの国の文学とも異なった新しい文学伝統を形成し、20世紀から21世紀にかけて、世界文学の前衛として無視しがたい影響力をもつようになった。
[渡辺利雄]
アメリカ文学の特質
アメリカ文学に独自の性格を与えたアメリカ社会の特殊な条件を考えるとき、まず第一にあげなければならないのは、その歴史の浅さであろう。積み重ねによる文化伝統の欠如は、かつてはアメリカ文学のハンディキャップとされることが多かったが、やがてこの文化的空白は、夾雑(きょうざつ)物なしに人間と社会のさまざまな問題を純粋かつ根源的に究明する場となり、伝統にとらわれない真に新しい文学を生み出すきっかけとなった。もし旧大陸の文学が過去と伝統に基づく文学であるとするならば、アメリカ文学は未来と夢のうえに成立する文学といえよう。
第二の条件としては、アメリカの広大な空間をあげなければならない。アメリカの歴史は、19世紀末まで、大西洋岸から始まって、絶えず西へ向かった開拓の歴史といってよいが、開拓地での広大な自然と文明の対立は、アメリカ文学に繰り返し現れる重要なテーマとなった。それは一方では、文明による理想社会の建設を意味したが、他方では、文明を人間の抑圧、堕落とみなし、汚れなき自然に人間性の回復と人間の再生を求める試みでもあった。歴史的な時間や、文化的伝統を欠いたむき出しのアメリカの空間に直面したアメリカの文学者たちは、孤立した自己に目を向け、人間の究極的な存在意義をあくまでも追求しようとした。
さらに第三には、アメリカは旧世界から移民してきた人々からなる社会であるが、この複雑な人種構成が文学にも反映される。それは、黒人問題のように根深い人種的対立として現れることもあるが、同時に、異なった言語や習慣や文化伝統をもった多様な人間が、アメリカ人という共通のアイデンティティを発見し確立する過程でもある。H・ジェームズは、かつてアメリカ人であることは「複雑な宿命」だといったが、移民の体験を通して、旧世界の人間からアメリカ人に「なる」ということは、何を意味するのか、アメリカ人で「ある」ことは何によって証明されるのか、この疑問によってアメリカ文学はきわめて自己意識の強い文学となった。
第四としては、移民たちが、旧世界における宗教的、政治的迫害を逃れ、新大陸アメリカに自由と平等と独立を求めたという歴史的背景があり、アメリカ文学は、そうした事情を反映して、旧世界にはみられないアメリカのデモクラシーの思想、階級社会を否定する平等の理念、経済的な自立、安定などを賛美する文学となった。しかしその一方では、旧世界で、ある種の精神的な安定と文化の連続性を保証していた社会的なきずな、つまり血縁、地縁を失った根なし草(デラシネ)の不安がアメリカ人の意識の底にあり、その結果、孤独感、疎外感、あるいは帰属集団を求めての放浪がアメリカ文学の大きな特徴となる。それはわれわれ現代人の置かれた社会状況といってよいものであり、そこにアメリカ文学の現代性と普遍性を認めることができるだろう。
第五としては、旧大陸ヨーロッパに対する微妙な態度をあげなければならない。このヨーロッパに対する意識は、植民地時代以来、長い間、文化的な劣等感、後進・従属の意識であったが、やがて政治的に独立を達成したあとは、文化的な独立をも訴える声が強まり、ヨーロッパの文化伝統を腐敗し堕落した世界として拒否し、アメリカ社会を、たとえ荒削りであろうと、本質的には無垢(むく)で健全な社会として、その独自性を強調する自己主張となった。ヨーロッパに対するこの揺れ動く微妙な自己意識は、これまた、アメリカ文学に、ヨーロッパ文学にはみられない独自の性格を与えた。
こうしたアメリカ文学の特徴、傾向は、結局、伝統や、因襲、前例にとらわれない若者の特徴ということができるだろう。アメリカ文学は、本質的には若者の文学であり、ヨーロッパの偉大な文学伝統に挑戦するような形で成立し、発展していった。夢と未来に生きる、伝統をもたないアメリカ。その未来志向性、楽観主義。そして、過去の文化伝統との断絶。文化の中心からの距離。複雑な人種構成。文化の多様性。そうした混沌(こんとん)と変化のなかからアメリカ人は一つの文学伝統を創造し、つねに未来に向かって新しい可能性を追求していったのであり、そこにアメリカ文学の本質と魅力があるといってよい。
アメリカはすでに独立から200年余。世界はソビエト連邦が崩壊し、ヨーロッパもEU(ヨーロッパ連合)の時代に入っている。そうした国境なき時代に、アメリカ文学の特質をことさら強調することは問題があるかもしれないが、アメリカ文学の歴史を振り返ってみると、やはり、そこにはアメリカ独自の特徴、傾向を認めることはできる。そこで、以下、それぞれの時代に即して、アメリカ文学の流れを概観し、アメリカ的と思われる主題や、技法の特徴を明らかにしていくことにしよう。
[渡辺利雄]
アメリカ文学の歩み
植民地時代――ピューリタニズムと啓蒙思想
イギリス人による北米大陸アメリカの最初の植民地建設は、1607年、南部バージニアのジェームズタウンにおいてであったが、2世紀にわたる植民地時代の文化の中心は、1620年、有名な「メイフラワー号」でマサチューセッツのプリマスに上陸した「ピルグリム・ファーザーズ」たちによって植民が始められた北部ニュー・イングランドであった。もちろん、文化といっても、まだ純文学といえるものはほとんどなかった。厳しい自然のもとで困難な開拓を続ける彼らには、文化的な生活を楽しむ余裕がなかったし、また彼らの宗教ピューリタニズムが純文学に偏見をもっていたからである。さらに文学作品が必要な場合は、イギリスから輸入したほうがてっとり早かったし、質的にも優れていた。したがって、彼らが残したものは、大部分、毎日の生活を記録した日記や、植民地の歴史、旅行記、報告書、説教集、教義に関する論争などであった。しかし、そのなかで、植民地の優れた2人の指導者W・ブラッドフォードとJ・ウィンスロップが記した植民地建設の歴史は、信仰と新しい社会に寄せる植民地人の情熱を、素朴かつ雄勁(ゆうけい)な文体によって記録した文章として、アメリカ文学の事実上の出発を飾るものとなっている。
このように、想像力による文学作品はほとんど書かれなかったが、ピューリタンたちの信仰に由来する、真摯(しんし)で厳しい自己内省の習慣は、このあとアメリカ文学を強く特徴づける強烈な自己意識につながっていったといってよく、また、彼らの聖書解釈の一つの方法である「予型論(タイポロジー)」は、19世紀のアメリカ・ロマン主義のメタファー(比喩(ひゆ))、アナロジー(類推)、シンボリズム(象徴主義)などによる発想法に少なからざる影響を及ぼした。また、ピューリタンたちは文学をまったく理解しなかったわけではなく、夫婦の愛情を力強く歌ったアメリカ最初の女性詩人A・ブラッドストリート、死後200年たってその遺稿が発見され、現在ではアメリカ有数の詩人とみなされているE・テーラー、地獄の恐怖を鮮明に描き当時の大ベストセラーとなった『審判の日』(1662)で知られるウィグルズワースMichael Wigglesworth(1631―1705)がいたし、この時代の最大の神学者マザーCotton Mather(1663―1728)や、植民地で最初に印刷された書物『マサチューセッツ湾植民地賛美歌集』(1640)なども、文学史上、無視するわけにはいかない。
植民地時代も18世紀後半に入ると、独立革命の気運が高まり、ヨーロッパの啓蒙(けいもう)思想、合理精神の影響のもとに多くの政治文書が書かれた。アメリカは、かつての神を中心とした信仰の世界から、自然の法則と人間の理性に信頼を置く人間中心の世界へと移り、デモクラシーの理念、人権思想、植民地の自決権などを雄弁に主張したT・ジェファソンの「独立宣言」(1776)やT・ペインの『コモン・センス』(1776)が文学史上でも重要な位置を占める。しかし、この時代をもっともよく代表するのは「すべてのヤンキーの父」と称されるフランクリンで、彼の合理主義と実践的な功利主義のエッセンスは『富へ至る道』(1758)や『自伝』に盛り込まれ、後世に大きな影響を及ぼした。その一方では、かつての宗教的な情熱が年ごとに薄れ、合理的な理神論が有力になるなかで、信仰復活を目ざす「大覚醒(かくせい)運動」が起こり、その指導者であったアメリカ最大の神学者J・エドワーズは、恐怖の説教として有名な「怒れる神の手に捉(とら)えられた罪人たち」(1741)で、急速に世俗化し神を顧みない植民地住民に警告を発した。文学が本来的に、人間の魂の問題にかかわるものであるとするならば、エドワーズのこうした説教や人間の自由意志に関する論考は、19世紀のC・B・ブラウン、ポー、ホーソン、メルビルなどにつながる伝統の源流とみなすことができる。また、フランスに生まれアメリカ生活が長かったクレブクールは『アメリカ農民の手紙』(1782)で「アメリカ人、この新しい人間は何者か」というアメリカについての永遠の問いを最初に問題にし、クェーカー教徒のJ・ウルマンは、自らの内面生活を敬虔(けいけん)に語った『日記』(1774)を残した。
[渡辺利雄]
独立戦争から「アメリカン・ルネサンス」へ
政治的に独立を達成し、社会が安定するにつれて、アメリカにも職業作家が姿を現してきた。日本でも明治時代から『スケッチ・ブック』(1819~1820)で親しまれているW・アービングは、アメリカ最初の文人の一人とされるが、彼は歴史の浅いアメリカ社会よりも、ロマンチックな連想を伴った旧大陸の風物に心を引かれ、イギリスに長く滞在し、その風俗習慣を典雅な文体で描いた。しかしその彼も、アメリカの伝説をもとに「リップ・バン・ウィンクル」を書いて、アメリカの素材によるアメリカ文学の可能性を示している。しかしアメリカの最初の職業小説家という名誉は、彼よりも10歳ほど年長のC・B・ブラウンのもので、彼はアメリカを舞台に『ウィーランド』(1798)などゴシック・ロマンスを書き、現実と幻想の交錯する世界に人間の真実を追求する、アメリカ文学でひときわ目だつ「ロマンス」の伝統を確立した。
その一方で、当時の読者には女性が多く、そうした女性読者のために家庭を舞台に女性の美徳や、恋愛をめぐるセンチメンタルな小説も少なからず書かれていた。その後、アメリカでは男性作家が主流となり、女性の感傷的な小説はこれまで無視されがちであったが、1960年代末以降のフェミニズム運動の盛り上がりとともに再評価され、アメリカ最初のベストセラー小説とされる『シャーロット・テンプル』(1794)を書いたスザンナ・ローソンSusanna Rowson(1762―1824)などに新しい光があてられるようになった。これらの女性小説は18世紀中葉イギリスのS・リチャードソンの教訓的書簡体の感傷小説の影響を受けているが、アメリカを舞台に保守的な親から独立し、自由な恋愛、自立した生活を求めるヒロインに旧大陸とは違った女性の生き方が認められる。
この時代のアメリカ文学でより重要な位置を占めるのは、開拓地を舞台に文明と自然の対立、あるいは白人開拓者と先住民インディアンの宿命的な対決を『モヒカン族の最後』(1826)などのロマンチックな冒険物語として描いたJ・F・クーパーである。彼はアメリカの発展のため開拓の必要性を認めつつ、同時に、滅びゆく自然を惜しみ、理想化された自然人ナッティ・バンポーを創造した。また詩人としては、あまりにも有名なE・A・ポーがいる。アメリカ社会からいわば遊離し、疎外された非現実の幻想と美の世界で、彼は、時代と空間の制約を越えた優れた詩を書いただけでなく、作品として最大の効果をあげるため短詩・短編を主張する批評家として、また推理小説の開祖として、後世に計り知れない影響を残した。ボードレールやマラルメを通してフランスの象徴主義運動につながってゆく彼は、アメリカ文学の国際的な一面を示す最初の文学者というべきであろう。
1830年代に入ると、超絶主義が思想的にアメリカの主流となり、19世紀の中葉にはボストンを中心に、「アメリカン・ルネサンス」と称されるアメリカ・ロマン主義文学がみごとに花を咲かせた。アメリカ文学のもっとも充実した時期の一つが早くも訪れたのである。その中心となったのは「コンコードの哲人」とよばれたエマソンで、1837年に彼が行った講演『アメリカの学者』は、アメリカの「知的独立宣言」といわれるほど、アメリカの知識人に深い感銘を与えた。さらに『自然論』(1836)などの著作で、彼は自然と神と直接交わることの意義を説き、またピューリタニズム以来の暗い人間観を一掃して、人間の内部の神聖さを主張し、この時代の自己信頼に基づく楽観的な精神風土を確立した。彼の思想に共鳴したソローは、自然のなかで孤独な生活を送ったときの記録『ウォールデン――森の生活』(1854)によって現代のエコロジー運動につながるとともに、奴隷制度を容認する政府に抵抗した生き方は、インドのガンディーに受け継がれ、20世紀の反戦運動などの支えともなった。『草の葉』(1855~1892)の詩人ホイットマンも、エマソンの思想を大胆に発展させたといってよく、『草の葉』の初版を読んだエマソンは、彼に祝福と激励の手紙を送った。なお、このエマソンなどの超絶思想が、明治時代から日本にも紹介され、北村透谷など『文学界』の人々に影響を与えたことは周知のとおりである。
しかし、このエマソン流の無条件の楽観主義は、人間の本質と運命、社会の進歩などにきわめて懐疑的であったN・ホーソンやH・メルビルの反発を招き、彼らはそれぞれの代表作『緋文字(ひもんじ)』(1850)、『白鯨』(1851)で人間の暗い一面と本質的な悲劇を執拗(しつよう)に追求した。この時代は、一面では、産業の発達、西部の開拓の進展などによってアメリカがこれまでになく楽観主義を謳歌(おうか)した時代であったが、その影の部分には、人間について不気味なほどの懐疑がわだかまっており、社会的な慣習や妥協がクッションの役割を果たさないアメリカだけに、幻滅と絶望と自己否定に通じる激しさを伴っていた。しかし、この時代の激しいロマン主義文学は、19世紀の中葉には早くも自らの生命を燃焼し尽くし、そのあとには、H・W・ロングフェロー、O・W・ホームズ、J・R・ローウェルなど、西欧の伝統的な教養を身につけた「お上品な伝統」に属する保守的な文学者がアメリカを支配することになる。
[渡辺利雄]
リアリズムから自然主義へ
南北戦争(1861~1865)は、文学においても、大きな変化を示す境界線であった。この時代のアメリカ文学を新しく担う文学者たちは、エマソンの「知的独立宣言」とほとんど時を同じくして生まれ、南北戦争後、急激に変化するアメリカの現実にリアリスティックな目を向けた。彼らの多くはニュー・イングランド以外の出身で、その意味で、アメリカ文学はようやく全国的なものになった。その代表が、1869年に『赤毛布(あかゲット)外遊記』で一躍有名になった西部出身のマーク・トウェーンであり、それまでひたすら崇拝されてきたヨーロッパ文化を風刺したこの空前のベストセラーの旅行記によって、彼はアメリカの知的独立宣言を大衆のレベルで達成したといってよい。そして、南西部の自然に生きる少年の冒険と成長を新鮮な口語体で描いた代表作『ハックルベリ・フィンの冒険』(1885)によって、真にアメリカ的と称するにふさわしい文学伝統を確立した。彼があくまでもアメリカ的な価値や生き方を肯定した文学者であったのに対して、ニューヨークに生まれ、幼時から旧大陸での体験の豊富なH・ジェームズは、アメリカ文化とヨーロッパ文化を対比的に描く『ある婦人の肖像』(1881)や『使者たち』(1903)など、いわゆる「国際状況」小説を多く発表し、また、技法的にも登場人物の微妙な心理を探り、統一された視点から人間の複雑な意識を克明に記す心理主義リアリズムの道を切り開き、これまた現代文学につながるアメリカ文学のもう一つの伝統を確立した。現在では、この2人ほど高い評価は受けていないが、当時、アメリカ・リアリズム運動の推進役を果たしたのはW・D・ハウェルズであった。マーク・トウェーンもジェームズも彼の庇護(ひご)の下で文壇にデビューしたのであり、彼がいなければアメリカ文学はまた違ったものになっていたであろう。またこの時代は、資本主義が急激に発達して、そのひずみが目だってきた時代であり、トウェーンも晩年はアメリカ社会に懐疑的になり、歴史家H・アダムズは時代に対する絶望を表明した。
19世紀後半、アメリカ文学はまた地方的な広がりをみせ、ニュー・イングランドの僻地(へきち)や、南部、西部など各地にいわゆる地方色(ローカル・カラー)の文学が現れ、アメリカの地域的な多様性を改めて示すことになった。一方、1890年代にかけては、アメリカでも、自然主義文学への傾斜がはっきりと強まった。『赤色武勲章』(1895)で南北戦争を舞台に、軍隊と戦闘のなかでただ翻弄(ほんろう)されるだけの若い無名の兵士の行動と心理を描いたS・クレーン、『オクトパス(章魚(たこ))』(1901)でカリフォルニアにおける農民と鉄道会社の凄惨(せいさん)な闘争を描いたF・ノリス、『荒野の呼び声』(1903)などで日本に早くから紹介されたJ・ロンドンなどがその代表的な存在である。彼らはゾラなどの理論に影響されているが、いずれも若くして世を去った自然主義作家で、その若さゆえに、人間を支配する自然主義の冷徹な法則に抵抗し、自らの運命を自ら選ぶ人間の自由な選択、決断と成長を重視しており、それが若者的性格をもったアメリカの根強い楽観主義を示すと同時に、アメリカ自然主義の独自の魅力となっている。
[渡辺利雄]
20世紀――モダニズムと抗議の文学
自然主義文学といえば、アメリカ特有の「成功の夢」に取りつかれ、冷酷非情な大都市で自己の欲望の犠牲となる若者の悲劇を、詳細な事実の積み重ねによって克明に描いたT・ドライサーがいるが、彼の長編第一作『シスター・キャリー』はちょうど世紀の変わり目1900年に出版され、アメリカ文学もいよいよ20世紀に入る。そして、彼の代表作『アメリカの悲劇』が出版されるのは1925年であるが、このころになると、彼より二回りも若い「失われた世代」の文学者たちが、次々と話題作、問題作を発表している。F・S・フィッツジェラルドの『偉大なギャツビー』が出版されたのは、その年のことであった。
かつてヘミングウェイは、すべての現代文学はマーク・トウェーンの『ハックルベリ・フィンの冒険』に由来するといったが、現代アメリカ文学は直接トウェーンにつながっているわけではなく、その間にシャーウッド・アンダーソンとシンクレア・ルイスという2人の中西部出身の作家を入れる必要があるだろう。20世紀初め、アメリカはかつての農業中心の牧歌的世界から急速に工業、商業中心の機械化された世界に変わっていったが、その影響は農村にまで及び、人々は疎外に苦しみ、性的に抑圧されていた。あるいは、画一主義、体制順応主義がアメリカを支配していた。そうした環境でゆがめられた人生を送る「グロテスク」な人々をアンダーソンは『ワインズバーグ・オハイオ』(1919)で共感と同情をこめて描き、ルイスは辛辣(しんらつ)かつ鋭い風刺の筆でアメリカ人の自己満足を暴露した。このルイスは1930年、アメリカの文学者として最初にノーベル文学賞を受賞したが、それによってアメリカ文学は世界文学の一環として認知されたといってよい。第一次世界大戦を挟むこの時期に活躍したほかの文学者としては、ニューヨーク市の名門に生まれ、そこの上流社会を舞台に、洗練された風俗小説を発表して、H・ジェームズの伝統を継承するE・ウォートン、ネブラスカの開拓民のたくましい生活を描いたW・キャザー、南部バージニアのE・グラスゴーの3人の女性作家が従来から知られていたが、1960年代末から1970年代にかけてのフェミニズム、女性解放運動のなかで、それまで事実上忘れられていた南部ルイジアナ州のケイト・ショパンKate Chopin(1851―1904)が、アメリカを代表する女性小説家の一人として、文学史上、重要な地位を占めることになった。恵まれた家庭生活に満足できず、性に目覚め、姦通(かんつう)を犯し、最後は海で死を遂げる女性を描いた代表作『目覚め』(1899)は、アメリカの『ボバリー夫人』と称される。同じように、この運動のなかで再発見され、評価されるようになったギルマンCharlotte Perkins Gilman(1860―1935)もここで紹介しておく。人間としての存在を無視された女性を記録した「黄色い壁紙」(1892)はその方面の古典とされる。
第一次世界大戦(1914~1918)は、南北戦争とはまた違った意味でアメリカ文学に新しい時代をもたらした。戦争の大義名分を信じて進んで大戦に参加した若い世代の文学者たちは、あまりにも非人間的な戦争の現実に衝撃を受け、幻滅し、既成のあらゆる価値を疑う「失われた世代」として、1920年代、「アメリカン・ルネサンス」と並ぶ一時期を実現させたからである。大戦後の経済的な繁栄と精神的な荒廃のさなかから、フィッツジェラルドは『楽園のこちら側』(1920)によってこの時代の旗手的存在となり、ヘミングウェイは『日はまた昇る』(1926)、『武器よさらば』(1929)で虚無に耐えて生きる若者の姿を彼一流の乾いた文体で描いた。南部では、W・フォークナーが、南部の伝統文化の衰退と現代文明の荒廃を二重写しにした『響きと怒り』(1929)、『アブサロム、アブサロム!』(1936)などの傑作によって、20世紀最大の作家という地位を得た。さらに南部といえば、やや遅れて、トーマス・ウルフも広大なアメリカの空間をすべて文学作品に取り込むかのように、『天使よ、故郷を見よ』(1929)以下の大長編を発表、アメリカでなければ現れない雄大なスケールをもつ巨人作家として知られる。
彼らの多くは大戦後、ヨーロッパ各地を放浪したり、パリに定住したり、あるいはアメリカにとどまって、1920年代の表現主義、未来主義、ダダイズムなど、いわゆるモダニズムの影響の下で、また旧来の伝統にとらわれないアメリカ文学の伝統に従って、数々の大胆な文学上の実験を行い、サルトルなどの注目をひいた。そうした動きは詩においても顕著にみられた。詩人といえば、19世紀後半に生きながら大半の詩が20世紀に入ってから出版され、時代の制約を越えた特異な詩風で高い評価を得ている女流詩人E・ディキンソン、ニューヨークのブルックリン橋を象徴的に歌い、ホイットマンの伝統につながるH・クレーンなどがいるが、その一方では、ヨーロッパの文化伝統にひかれ、最後はイギリスに帰化したT・S・エリオット、それにE・パウンドの存在も重要である。彼らは、アメリカという国籍などはるかに超える視野をもったモダニスト詩人として活躍し、20世紀の西欧文学に大きな足跡を残した。そのほか、ニュー・イングランドを代表する国民詩人R・フロスト、難解な詩で知られるW・スティーブンズなども忘れられない。
演劇では、ユージン・オニールが次々と世界的に注目を集める問題作を発表し、批評関係では、南部を中心に、南部の文化伝統を擁護しつつ現代文明の危機に文学を通して対決するJ・C・ランサム、A・テートなどの詩人、批評家が現れ、「新批評」と称する、文学の自律性を重視した分析批評がアメリカに定着した。なおこの南部には、このあと第二次世界大戦中から戦後にかけてR・P・ウォーレン、T・カポーティなどの男性作家と並んで、K・A・ポーター、C・マッカラーズ、E・ウェルティ、F・オコナーなど優れた女性作家が輩出し、「サザン(南部の)・ルネサンス」と称されるまでになった。
1929年10月の大恐慌をきっかけにして、1930年代のアメリカは急速に左傾化し、社会の矛盾に目を向けて抗議する社会意識の強い文学が目だつようになった。第一次世界大戦批判から出発した「失われた世代」のドス・パソスは、アメリカそのものを批判的かつ総体的にとらえた三部作『U・S・A』(1938)をまとめ、J・スタインベックは『怒りの葡萄(ぶどう)』(1939)でアメリカの革新運動の伝統を受け継いだ。シカゴのスラム街に育つ青年を描いた『スタッズ・ロニガン』三部作(1932~1935)のJ・T・ファレル、南部の貧乏白人(プア・ホワイト)の欲望と悲惨な生活を独自のユーモアを交えて描いた『タバコ・ロード』(1932)のアースキン・コールドウェルなども無視できない。
[渡辺利雄]
第二次世界大戦後の文学
第二次世界大戦後、戦争をさまざまな角度から描いたN・メイラーの『裸者と死者』(1948)や、I・ショーの『若き獅子(しし)たち』(1948)、J・ジョーンズの『地上(ここ)より永遠(とわ)に』(1951)などが現れたが、その一方では、1951年、若者の間で爆発的人気をよぶことになるJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が出版され、その後、若い読者を中心に愛読されるJ・ヘラーの『キャッチ‐22』(1961)、K・キージーの『郭公(かっこう)の巣』(1962)、ボネガットの『スローターハウス5(ファイブ)』(1969)など、一連の若者のバイブルの最初の一冊となった。これらの作品は、若者による若者のための文学伝統がアメリカでいかに根強いかを物語っている。また、この1950年代は「ビート族」の時代で、現代文明を拒否し、セックスと麻薬に生の高揚を求める『路上』(1957)のJ・ケロアックや、詩人A・ギンズバーグが人気をよび、大胆な性描写によって現代文明批判を行うヘンリー・ミラーが正当に評価されるようになった。
さらに、このころからとくに目だってきた傾向は、アメリカ社会でそれまで文化的に主流から外されていたマイノリティ・グループの文学者の活躍で、多民族からなるアメリカにいかにもふさわしい現象として注目すべきである。つまり、一つには黒人(アフリカ系アメリカ人)作家の台頭である。黒人文学は、奴隷制度下の19世紀前半から、ダグラスFrederick Douglass(1818―1895)の自伝のように優れた作品もあったが、文学を通して黒人が積極的に自らの政治的権利を主張し、独自の文化を示すのは、1940年のR・ライトの『アメリカの息子』によってであり、彼に続く『見えない人間』(1952)のR・エリソンやJ・ボールドウィンは、単なる抗議小説としてではなく、黒人の置かれた状況と彼らの意識を実存主義的にとらえ、現代文学としての普遍性をもつに至った。このあと、1960年代の戦闘的な黒人作家の活躍へと発展してゆく。とりわけ、1970年代以降は、黒人女性小説家の活躍が目覚ましく、映画化されて日本でも評判になった『カラー・パープル』(1982)のアリス・ウォーカーや、1993年にアメリカの黒人女性作家として初めてノーベル文学賞に輝いた『青い目がほしい』(1970)、『ビラブド』(1987)のトニ・モリスンがその代表的な存在である。
他方では、S・ベローをはじめ、N・メイラー、B・マラマッド、J・D・サリンジャー、P・ロスなど、優れたユダヤ系小説家が輩出し、貧しい移民体験、アメリカ社会への同化とアイデンティティの不安、社会の偏見と差別に対する抗議など、伝統的なユダヤ文化とアメリカ社会の対立を、卓越した技法とユダヤ人特有のユーモアで描き出し、アメリカ文学の主流を占めるに至った。しかも小説家だけでなく、現代アメリカにおいてユダヤ系の詩人、劇作家、批評家、文科系大学教授などが占める割合は計り知れないものがあり、ユダヤ系を抜きにしては現代アメリカ文学を語ることができないといっても過言ではない。過去において社会の追放者として放浪した彼らの体験、アイデンティティの危機などは、すべて、移民からなるアメリカ人、さらには根なし草の状況にある現代人に多かれ少なかれ共通する問題であり、その意味では、ユダヤ系文学はアメリカ文学そのもの、現代文学そのものといってよい意味すらもっている。
もちろん現在のアメリカ文学は、いま述べた黒人やユダヤ系の文学者によってすべて代表されるわけではない。現代小説の行き詰まり、閉塞(へいそく)状態を打開すべく、さまざまな実験的手法を用いて新しい小説の可能性を追求する、アメリカ文学の次代を担う文学者が、苦しい状況のなかから次々と問題作を意欲的に発表しているからである。現代の不条理性、狂気、混乱、非人間性をグロテスクで残酷なユーモアやパロディーを通して描き出す『酔いどれ草の仲買人』(1960)のJ・バース、『裸のランチ』(パリ版1959、ニューヨーク版1962)のW・バローズ、パーディJames Purdy(1923―2009)など、いわゆる「ブラック・ヒューマー」派の小説家、郊外に住む中産階級の生活を鮮やかに描く『走れウサギ』(1960)のJ・アプダイクやJ・チーバー、現代文明の破壊の恐怖をSF風に描くK・ボネガット、幻想的なR・ブローティガン、D・バーセルミ、J・コジンスキー、現代社会を「エントロピー」と「不確定性原理」に従ってとらえた大作『重力の虹』(1973)のT・ピンチョン、筆力旺盛(おうせい)な才媛(さいえん)J・C・オーツ、本格派で息の長いキャリアをもつ南部のW・スタイロン、文学の道徳的側面を強調するJ・ガードナー、それに、『ロリータ』(1958、パリ版1955)で有名なロシア貴族出身の亡命作家V・ナボコフ、イディッシュ語で創作する異色のノーベル文学賞受賞のユダヤ系小説家I・B・シンガー。このように現代アメリカの文学者たちは、実に意欲的に新しい文学の可能性を求めて多彩な活動を展開している。
[渡辺利雄]
注目すべき最近の動向
アメリカは1960年代を境に大きく変わった。泥沼化するベトナム戦争に対する若い世代の抵抗、反戦運動に始まって、黒人や差別されてきた少数民族の差別撤廃のための闘争、女性、同性愛者など社会的弱者の権利要求運動。そして、広大な領土を誇ったアメリカにおいても自然破壊、環境汚染が進み、それに対するエコロジー運動が活発となる。こうしたなかでアメリカ社会が誇りにしていたデモクラシーの伝統、アメリカの夢、世界政治におけるアメリカの指導的役割などを根底から見直そうとする否定的な傾向が強まる。アメリカ社会はかつて「人種の坩堝(るつぼ)」とよばれ、多様な民族の移民がアメリカ人として統合されるとされていたが、最近ではむしろそれぞれの民族が自らの文化伝統を保ちつつ「サラダボウル」のように共存すると思われてきた。さらには、カリブ海諸国や、アフリカ諸国の文学と共通の「英語圏文学」として連携意識も生まれている。アメリカ文学は、当然、それと連動して変化する。そして表面的には変化しながら、アメリカ文学をアメリカ文学たらしめる伝統をかたくなに守り、新しい時代に新しい衣装をまとって立ち現れてくる。
そこで、最後に、こうした最近のアメリカで、注目すべき新しい動向をいくつか記しておく。かつてアメリカ・インディアンとよばれていた先住民の作家たちの活動。シルコーLeslie Marmon Silko(1948― )、モマデイN. Scott Momaday(1934―2024)、アードリックLouise Erdrich(1954― )などが知られ、部族の口承伝統の知恵、儀式などと現代アメリカ社会での自分たちの置かれた現実に基づくユニークな作品を発表している。同じように、日系のジョン・オカダJohn Okada(1923―1971)、中国系のエイミー・タンAmy Tan(1952― )、キングストンMaxine Houg Kingston(1940― )、さらには、中南米系のヒスパニック文学者、ゲイ・レズビアンの作家、かつては通俗文学とされていたSF、ファンタジー、ホラー小説、推理小説なども文学史で認知され、注目を集めている。また、バルト、ラカン、フーコー、バフチンなど、旧大陸の批評家の新しい理論に呼応して大学でのアカデミックな文学研究も活性化している。
そうした新しい文学運動と並行して、その一方では、依然、伝統的な文学を標榜(ひょうぼう)する小説家も活動している。19世紀のディケンズの伝統につながるといってよいジョン・アービングJohn Irving(1942― )は、現代社会のさまざまな社会問題を織り込みながら、独自の語り口で、若者の成長を扱った『ガープの世界』(1978)で話題をよび、一見平易な語り口で混沌(こんとん)とした現代社会の不可思議さを追求するポール・オースターPaul Auster(1947―2024)などが現れ、翻訳や映画を通して日本の若い読者に大きな影響を及ぼしている。
科学、テクノロジーが異常に発達した現代アメリカの情報化社会、高度産業社会にあって、文学者の置かれた状況はけっして楽観を許さないものがある。しかし、そうした不利な条件にもかかわらず、因襲や前例にとらわれないアメリカ文学の「伝統をもたない伝統」は依然生きており、さらに新しい文学の誕生が期待される。
[渡辺利雄]
アメリカ文学の日本への影響
アメリカ文学は、明治時代から英語の教科書を通して日本に紹介され、また、エマソン、ソロー、ホイットマン、ポーなどのアメリカ・ロマン主義文学は日本の文学にもかなりの影響を及ぼしている。メルビルの場合は、阿部知二、宇能鴻一郎(うのこういちろう)らに影を落としているし、第二次世界大戦後になると、フォークナーを通して、福永武彦(たけひこ)、中村真一郎、井上光晴(みつはる)などにアメリカ文学の影響は直接間接的に及んでいる。また、小島信夫(のぶお)、大江健三郎、大庭(おおば)みな子、さらには中上健次、村上春樹、高橋源一郎らの若い世代もアメリカ文学の新しい動きをつねに意識しているようにみえる。翻訳もポール・オースターのような新しい作家だけでなく、ホーソンの『緋文字(ひもんじ)』(1850)といった古典にも新訳が試みられ、日本の若い読者の注目を集めている。アメリカ文学はもはや後進の周辺文学ではなく、確実に世界文学のなかに重要な位置を占め、その影響力は無視しえないものになっている。
[渡辺利雄]
『大橋健三郎他編『総説アメリカ文学史』(1975・研究社出版)』▽『大橋吉之輔著『アメリカ文学史入門』(1987・研究社出版)』▽『荒竹出版編集部編著『年表 アメリカ文学史』(1988・荒竹出版)』▽『板橋好枝・高田賢一編訳『はじめて学ぶアメリカ文学史』(1991・ミネルヴァ書房)』▽『チャールズ・ファイデルスン・ジュニア著、山岸康司訳『象徴主義とアメリカ文学』(1991・旺史社)』▽『岩元巌・酒本雅之監修『アメリカ文学作家作品事典』(1991・本の友社)』▽『大橋健三郎著『古典アメリカ文学を語る』(1992・南雲堂)』▽『折島正司他編『文学アメリカ資本主義』(1993・南雲堂)』▽『井上謙治著『アメリカ読書雑記』(1993・南雲堂)』▽『マイケル・オークワード著、木内徹訳『アメリカ黒人女性小説――呼応する魂』(1993・彩流社)』▽『越川芳明著『アメリカの彼方へ――ピンチョン以降の現代アメリカ文学』(1994・自由国民社)』▽『高田賢一他著『たのしく読めるアメリカ文学――作品ガイド150』(1994・ミネルヴァ書房)』▽『小林憲二著『アメリカ文学のいま――人種・ジェンダー・階級』(1995・ミネルヴァ書房)』▽『ピーター・B・ハイ著、岩元巌・竹村和子訳『概説 アメリカの文学』(1995・桐原書店)』▽『巽孝之著『ニュー・アメリカニズム――米文学思想史の物語学』(1995・青土社)』▽『日本アメリカ文学・文化研究所編『アメリカ文学ガイド――論文・レポートを書くための』(1996・荒地出版社)』▽『渡辺利雄編『読み直すアメリカ文学』(1996・研究社出版)』▽『マルカム・ブラッドベリ著、英米文化学会編訳『現代アメリカ小説――1945年から現代まで』(1997・彩流社)』▽『エモリー・エリオット編『コロンビア米文学史』(1997・山口書店)』▽『上岡伸雄著『ヴァーチャル・フィクション――マルチメディア時代のアメリカ文学』(1998・国書刊行会)』▽『森岡裕一他著『酔いどれアメリカ文学史――アルコール文学文化論』(1999・英宝社)』▽『岩元巌・鴨川卓博編著『セクシュアリティと罪の意識――読み直すホーソーンとアップダイク』(1999・南雲堂)』▽『吉岡葉子著『南部女性作家論――ウェルティとマッカラーズ』(1999・旺史社)』▽『福田陸太郎他編著『アメリカ文学思潮史』増補版(1999・沖積舎)』▽『秋山健監修、宮脇俊文・高野一良編訳『アメリカの嘆き――米文学史の中のピューリタニズム』(1999・松柏社)』▽『別府恵子・渡辺和子編著『新版 アメリカ文学史――コロニアルからポストコロニアルまで』(2000・ミネルヴァ書房)』▽『ホルヘ・ルイス・ボルヘス著、柴田元幸訳『ボルヘスの北アメリカ文学講義』(2001・国書刊行会)』▽『多田敏男他編著『アメリカ文学史へのアプローチ――作品100選』(2001・関西大学出版部)』▽『山下昇編『冷戦とアメリカ文学――21世紀からの再検証』(2001・世界思想社)』▽『国重純二編『アメリカ文学ミレニアム』1~2(2001・南雲堂)』▽『エレイン・キム著、植木照代・山本秀行・申幸月訳『アジア系アメリカ文学――作品とその社会的枠組』(2002・世界思想社)』▽『原真理子編『ジェンダーとアメリカ文学――人種と歴史の表象』(2002・勁草書房)』▽『早瀬博範・吉崎邦子編『21世紀から見るアメリカ文学史――アメリカニズムの変容』(2003・英宝社)』▽『巽孝之著『アメリカ文学史――駆動する物語の時空間』(2003・慶応義塾大学出版会)』▽『巽孝之著『アメリカ文学史のキーワード』(講談社現代新書)』▽『D・H・ローレンス著、大西直樹訳『アメリカ古典文学研究』(講談社文芸文庫)』▽『R. E. Spiller et al.(eds.)Literary History of the United States(1948&1974, Macmillan, New York)』▽『Peter B. HighAn Outline of American Literature(1986, Long man)』▽『Emory Elliott(ed.)Columbia Literary History of the United States(1988, Columbia U. P.)』