改訂新版 世界大百科事典 「ヌイイー条約」の意味・わかりやすい解説
ヌイイー条約 (ヌイイーじょうやく)
1919年11月27日,第1次世界大戦の敗戦国ブルガリアと連合国の間で結ばれた講和条約。ヌイイーNeuillyは調印の行われたパリ近郊の町。この条約によってブルガリアは,南ドブルジャ(ドブロジャ)をルーマニアに,東マケドニアをユーゴスラビアに,エーゲ海に沿った西トラキアをギリシアに割譲し,多額の賠償を課せられた。また兵力は陸軍2万に制限され,海軍の保有は禁止された。ブルガリアの人口は約600万に減少し,数十万のブルガリア人が本国から切り離され,少数民族として周りの国々に残された。こうしてブルガリア参戦の動機であったマケドニアに対する領土要求は水泡に帰したばかりか,エーゲ海への出口も失われ,国内では根強い民族主義的不満がうっ積した。
執筆者:平井 友義
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