ハミルトン家(読み)ハミルトンけ(その他表記)Hamiltons

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハミルトン家」の意味・わかりやすい解説

ハミルトン家
ハミルトンけ
Hamiltons

スコットランド有数の名門の家系ロバート1世ブルースの功臣ウォーター(?~1346頃)を家祖とし,6代目のジェームズ(1479没)は,1445年ハミルトン男爵になった。その子ジェームズ(1477?~1529)は母を通じてアラン伯家の祖になった。その庶子ジョン(1511?~71)は旧教徒の聖職者で,デービッド・ビートンに協力して新教徒迫害に努め,1546年ビートンの暗殺後セントアンドルーズ大司教を継いだ。メアリー・スチュアートの帰国後は顧問官に選ばれたが,メアリー・スチュアートの亡命後,ダーンリー卿とマレー伯の殺害に関係したとして絞首された。一方ジェームズの嫡子ジェームズ(1575没)は 2代アラン伯を継ぐとともに,フランスのシャテレロー公に叙せられた。彼の長子ジェームズ(1530~1609)は 3代アラン伯を継承。次子ジョン(1532~1604)はボスウェル伯の一味で,マレー伯の殺害に加担し,ダグラス家に生命をねらわれたためフランスに亡命したが,のち帰国してジェームズ6世(イングランド王としてはジェームズ1世)の寵臣になり,1599年ハミルトン侯を授けられ,ハミルトン侯・公家を開いた。4男クロード(1543?~1622)はメアリー・スチュアートの忠実な臣下で,1568年メアリー・スチュアートを幽閉地から脱出させ,1570年兄とともにマレー伯殺害に加担し,1578年モートン伯失脚の陰謀にも加わった。1579年マレー伯殺害事件で非難され,イギリスに亡命したが,1586年帰国。スペインと交渉して無敵艦隊のイギリス侵寇を建言し,イギリスの旧教化を策したが,晩年発狂した。クロードの子ジェームズ(1617没)は,1603年アバコーン伯に叙せられ,アバコーン伯家の開祖になった。また,一族トマス(1563~1637)は,1626年メルローズ伯の称号をハディントン伯と変え,ハディントン伯家を開いた。

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