日本大百科全書(ニッポニカ) 「クロード」の意味・わかりやすい解説
クロード(Albert Claude)
くろーど
Albert Claude
(1899―1983)
ベルギーの細胞生物学者。アルデンヌ高原の古い町ロングリールで生まれる。1928年リエージュ大学卒業、短期間ドイツのカイザー・ウィルヘルム研究所(現、マックス・プランク研究所)で過ごした後、1929年アメリカに渡り、ロックフェラー研究所(現、ロックフェラー大学)の研究員となった。第二次世界大戦後、ベルギーに戻り、1948年ブリュッセル自由大学の教授となり、1950年にはジュール・ボルデ癌(がん)研究所所長に就任、1972年退職するまで務めた。
1930年代からラウス肉腫(にくしゅ)の研究に着手、遠心分離法によって細胞内の粒子成分を分離し、その性質を調べた。その後、電子顕微鏡を用いて細胞内の原形質の構造を詳しく研究し、リボ核酸(RNA)の多く含まれる部分を分離することに成功、それをミクロゾームと命名し、その微細構造を明らかにした。その結果、均一にみえていた細胞質の中が複雑な構造をしていることを示し、細胞生物学の進歩に大きく貢献した。1974年には「細胞の構造と機能に関する発見」により、ド・デューブ、パラーデとともにノーベル医学生理学賞を受賞した。
[編集部]
クロード(Georges Claude)
くろーど
Georges Claude
(1870―1960)
フランスの技術者。パリに生まれ、市立学校で物理と化学を学んだのち、1889年からパリ市の電気技術者となった。1896年から1902年までフランセーズ・ハウストン・トムソン社において研究し、1897年にはアセチレンをアセトンに溶かして安全に貯蔵する方法を発明し、アセチレン工業の発展に貢献した。業績のほとんどは空気液化とその関連分野で、1902年に爆発法による空気液化を行い、1910年には不活性気体中での放電による発光を発見してネオン管を発明、これが広く広告灯として使用されたことで大きな収入を得た。第一次世界大戦下では液体酸素による火薬製造法をくふうし、1917年に空気中の希ガスの工業的分離法を完成したほか、新しい条件によるアンモニア合成の工業化に成功した。1920年ごろより政治活動に参加し、第二次世界大戦後にはナチスに協力した罪で終身刑を受けたが4年半で釈放された。
[加藤邦興]