モートン
もーとん
William Thomas Green Morton
(1819―1868)
アメリカの歯科医。エーテル麻酔の成功で知られる。ボルティモア歯科医学校第1回卒業生として歯科医師となり、ボストンでH・ウェルズとともに診療所を開設した(ウェルズは事情があり、ハートフォードに移った)。ウェルズが笑気麻酔を公開したとき、モートンも同席、この結果は失敗に終わったが、モートンは親しい医師ジャクソンCharles T. Jackson(1805―1880)に笑気ガスの作り方を尋ねた。しかしジャクソンはより安全なエーテルを用いることを勧め、エーテル麻酔の研究を続けたモートンは、最初は塩酸エーテルを用いたが、1846年に硫酸エーテルにかえた。モートンはマサチューセッツ総合病院のウォーレンJ. C. Warren(1778―1856)に新しい麻酔剤の試用を説き、1846年10月16日に頸部腫瘍(けいぶしゅよう)の手術に応用し成功した。これによってエーテル麻酔法は医学会に広く認められ、当時のアメリカの外科医の第一人者ビゲローHenry J. Bigelow(1818―1890)がこれを推賞し、『ボストン医学雑誌』に掲載された。O・W・ホームズはこの知覚脱失法にanaesthesia(麻酔)の術語を与えた。モートンは麻酔の特許を得ようとしたり、議会にこの発見に対する報酬を求めたりしたが、いずれも成功せず失意のうちに死去した。
[本間邦則]
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モートン
Jelly Roll Morton
生没年:1885-1941
アメリカのジャズ初期の作曲家,ピアニスト。本名Ferdinand Joseph M.。ジェリー・ロールの愛称で親しまれる。ニューオーリンズの富裕なクレオールの家庭に育ったが,没落して紅灯街のピアニストとなり,のちシカゴ,ニューヨークでレッド・ホット・ペッパーズというコンボをもった。1926年ビクターに吹き込まれたレコードは,ジャズ史上の名作として知られる。ピアニストとしても幾多の吹込みを残したが,とくに38年,国会図書館の資料として吹き込まれたピアノを併用しての思い出ばなしは,録音の悪さにもかかわらず貴重なドキュメントとして残っており,それを資料とした書物《ミスター・ジェリー・ロール》(アラン・ロマックス著)もある。《キング・ポーター・ストンプ》は代表的作曲。代表レコードとしては,《ブラックボトム・ストンプ》《ドクター・ジャズ》《キャノンボール・ブルース》などがLP化されてRCAに残っている。
執筆者:油井 正一
モートン
William Thomas Green Morton
生没年:1819-68
アメリカの歯科医。マサチューセッツ州チャールトン生れ。ワシントン大学から医学の学位を受け,歯科を開業するかたわら,ハーバード大学に入り,ジャクソンCharles T.Jackson(1805-80)からエーテルの局所麻酔法を聞き,麻酔下での抜歯に成功,さらに全身麻酔法を考えた。エーテル麻酔がはじめて外科手術に応用されたのは1846年10月16日,ボストンのマサチューセッツ総合病院で,彼が考案した器具を使って外科医ワレンJ.C.Warrenが執刀した2例であるとされるが,その前年の1月には同じ場所で同学の先輩H.ウェルズが笑気ガス麻酔による抜歯の公開実験に失敗した例もあり,彼の指導教師のジャクソンも介在して麻酔法の優先権をめぐっての争いが永くつづき,3人はいずれも悲惨な末路をたどった。
執筆者:秋元 寿恵夫
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モートン(伯)
モートン[はく]
Morton, James Douglas, 4th Earl of
[生]1516頃
[没]1581.6.2. エディンバラ
スコットランドの貴族。 1561年メアリー・スチュアートの帰国とともに枢密顧問官になり,63年大法官。 65年女王とダーンリー卿の結婚を支持。ダーンリー卿の爆死後ボスウェル伯にも好意的で,反女王派ではあったがカーベリーヒルの対決で伯の逃走を認めることを主張。以後マリー伯,レノックス伯 (4代) ,マー伯 (初代) の摂政時代に実力者になり,72年マー伯の跡を継いで摂政になった。新教徒としてイングランド接近策をとり,主教制度の普及をはかったためカトリック貴族の反感を買って 78年摂政職を追われ,一度は実権を奪回したが,81年レノックス公 (初代) らによってダーンリー卿殺害者として告発され,処刑された。
モートン
Morton, William Thomas Green
[生]1819.8.9. チャールトン
[没]1868.7.15. ニューヨーク
アメリカの歯科医。ボルティモア歯科医学校で歯科学を学び,1844年ボストンで開業。その頃 H.ウェルズが初めて笑気ガスを用いて無痛抜歯に成功したことを知り,麻酔に関心をもつようになった。ボストンの化学者 C.ジャクソン (1805~80) の示唆を受けて,46年9月 30日初めてエーテル吸入法による麻酔で無痛抜歯を実施した。続いて 10月 16日には J.ウォーレン (42~1927) の協力を得て,公開手術で頸部腫瘍の無痛切除に成功した。その後,麻酔法の発見者の帰属をめぐってジャクソンと争ったが,公式にはウェルズと C.ロングがそれに該当すると認められた。しかし,エーテルの価値を,その手術を通して広く世界に紹介したのはモートンである。
モートン
Morton, Thomas
[生]1590頃
[没]1647頃.メーン
アメリカ植民地時代の初期入植者。 1624年ウォラストン会社の持主の一人として,マサチューセッツに渡り,現在のクインシーに植民。 26年同地をメリーマウントと命名し,その指導者となった。天真爛漫な性格で,ピルグリムや清教徒の厳格な教義を軽蔑し,メイポールを立てて酒宴や歓楽を奨励する一方,インディアンに銃を売ったりしたため,28年逮捕され,ショールズ島に追放となった。モートンはいったんイギリスに逃れ,30年再度渡米したが投獄され,イギリスに追放された。この間の 37年獄中で"The New English Canaan"を著わした。 43年3度アメリカに渡ったが,各植民地からつまはじきされ,メーンに追放された。反清教徒の象徴としてのちの文学作品に描かれた。
モートン
Morton, John
[生]1420頃.ドーセット
[没]1500.10.12. ケント,ノール
イギリスの聖職者,政治家。枢機卿。バラ戦争の時代からチューダー朝初期にかけてヘンリー6世,エドワード4世,ヘンリー7世に仕え,学識と才覚と英知とで知られ,国政の指導的立場にあった。 T.モアの『ユートピア』にも,その人物像が描かれている。 1486年カンタベリー大司教,87年大法官,93年枢機卿,95年オックスフォード大学名誉総長。ヘンリー7世治下の徳税 (献金と称する課税) の増収を目的とする貧富両者からの徴税方式の案出者として,「モートンの熊手」の名でも知られる。
モートン
Morton, Levi Parsons
[生]1824.5.16. バーモント,ショアハム
[没]1920.5.16. ニューヨーク,ラインベク
アメリカの銀行家,政治家。 1850年代までボストン,ニューヨークで雑貨商などを営んだが,63年モートン銀行を設立。 73~84年同行ロンドン支店はアメリカ政府の財務支局の役割を果した。 79~81年共和党の連邦下院議員。 81~85年 B.ハリソンのもとで副大統領。 95~96年ニューヨーク州知事。 99年モートン・トラスト社創設。
モートン
Morton, Samuel George
[生]1799.1.26. フィラデルフィア
[没]1851.5.15. フィラデルフィア
アメリカの解剖学者,人類学者。ペンシルバニアとエディンバラの両大学で医学を学び,1839年ペンシルバニア大学解剖学教授。医業に従事しながら古生物学,人類学を研究,ことに 30年以後のアメリカインディアンの頭蓋骨の収集は有名で,その単一人種説を主張した。著書に『アメリカ先住民の頭蓋』 Crania Americana (1839) がある。
モートン
Morton, Jelly Roll
[生]1885.9.20. ルイジアナ,ガルフポート
[没]1941.7.10. ロサンゼルス
アメリカのジャズ・ピアニスト,作曲家,歌手。黒人と白人の混血で,10代後半からニューオーリンズの歓楽街でピアノを弾き,1926年には楽団「レッド・ホット・ペッパーズ」を率いて歴史的な録音を残した。ジャズの創始者を自認,ジャズ史上初期の巨匠とされる。主作品は『キング・ポーター・ストンプ』『ワイルド・マン・ブルース』。
モートン
Morton, Oliver Hazard Perry Throck
[生]1823.8.4. インディアナ,ソールズベリー
[没]1877.1.1. インディアナ,インディアナポリス
アメリカの政治家。共和党の結成に参画し,1861年インディアナ州知事となり,64年再選された。南北戦争の間,南北境界州の「戦時知事」として連邦脱退派に対し断固とした態度をとった。 67~77年連邦上院議員をつとめ,共和党急進派のリーダーとして A.ジョンソン大統領の弾劾や黒人参政権を主張した。
モートン
Morton, Charles
[生]1819
[没]1904
イギリスの興行師。 1852年最初のミュージック・ホールである「カンタベリー」を開設。その後多くのホールの経営にあたって成功し,ミュージック・ホールの父と称された。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
モートン
生年月日:1799年1月26日
アメリカの解剖学者,人類学者
1851年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のモートンの言及
【医学】より
…もちろん,細菌学がその根拠を与えた後は,いっそう洗練された方法となり,急速に普及していった。麻酔については,アメリカの歯科医[W.T.G.モートン]がエーテルによる無痛抜歯に成功した1846年を麻酔法元年とする。外科に導入したのは,やはりアメリカ人のウォーレンJohn C.Warren(1778‐1856)で,やがてヨーロッパにも普及する。…
【手術】より
…一方それまで医学において遅れていたドイツのベルリンにもCollegium medicochirurgicumが設立され,ようやく医学の一分野としての外科の立場が認められるようになった。 19世紀に入って,アメリカのロングCrawford Williamson Long(1842),ウェルズHorace Wells(1844),W.T.G.モートン(1846)やイギリスのシンプソンJames Young Simpson(1847)らによる全身麻酔法,L.パスツール(1861)の腐敗現象は空気中の微生物によるという報告に基づいたI.P.ゼンメルワイス(1847),J.リスター(1867)らによる制腐消毒法,ベルクマンErnst von Bergmann(1886)やシンメルブッシュCurt Schimmelbusch(1889)による無菌法,エスマルヒJohann Friedrich August von Esmarch(1823‐1908)による駆血帯の使用は,その後の外科手術を飛躍的に進歩させることとなった。すなわち,ランゲンベックBernhard Rudolf Conrad von Langenbeck(1810‐87)の子宮全摘出術,ティールシュCarl Thiersch(1822‐95)の植皮術,フォルクマンRichard von Volkmann(1830‐89)の直腸癌手術,ビルロートTheodor Billroth(1829‐94)の胃切除術の成功例が報告されるようになった。…
【麻酔】より
…1799年デービーHumphry Davy(1778‐1829)は笑気(一酸化二窒素N2O)吸入の麻酔作用を発見,ロングCrawford Williamson Long(1815‐78)は1842年エーテル麻酔で頸部腫瘍摘出術を行った。歯科医[W.T.G.モートン]は46年10月16日マサチューセッツ総合病院臨床講堂でエーテル麻酔を供覧した。モートンが麻酔の父と呼ばれるゆえんである。…
※「モートン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」