無敵艦隊(読み)ムテキカンタイ

デジタル大辞泉 「無敵艦隊」の意味・読み・例文・類語

むてき‐かんたい【無敵艦隊】

16世紀、フェリペ2世時代のスペイン艦隊の称。1588年、戦艦130隻をもってイギリス上陸作戦の途次、ドーバー海峡でイギリス艦隊に大敗を喫し、さらに帰途暴風雨にあって大半を失い、以後スペインの制海権は失われた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「無敵艦隊」の意味・読み・例文・類語

むてき‐かんたい【無敵艦隊】

  1. スペイン王フェリペ二世のときの艦隊をさす。戦艦百数十隻を有する海軍力で、無敵を誇っていたところからいったが、一五八八年にイギリスを攻撃して逆に大打撃を受け、それ以後スペインの制海権は衰微

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「無敵艦隊」の意味・わかりやすい解説

無敵艦隊 (むてきかんたい)

1588年,スペイン王フェリペ2世がイギリス制圧のために派遣した艦隊。アルマダとも呼ばれる。〈無敵艦隊Armada Invencible〉の名は後世イギリス人が付けたもので,当のスペインでは単に〈大艦隊Gran Armada〉と呼ばれた。いずれにせよ,事件そのものとしては〈ドーバーの海戦〉と呼ぶべきものである。

 16世紀後半,西ヨーロッパ情勢は宗教分裂に政治対立が重なり,複雑を極めた。その中にあってハプスブルク体制の筆頭国でありカトリック・ヨーロッパの覇者を自任するスペインにはおのずから周囲の嫉妬,警戒心,敵意が集中した。スペインとイギリスは16世紀前半までは良好な関係にあった。しかし,エリザベス1世が即位(1558)すると,やがてカリブ海域におけるそれまでのスペインの独占体制がイギリス船の進出によって破られ,加えてエリザベスはフランドルの反スペイン闘争を積極的に支援した。このために両国関係は一転して悪化の一途をたどり,その過程でエリザベスはフェリペ2世がスコットランドでのカトリック再興の希望を託していたメアリー・スチュアートを処刑した。ここに至ってフェリペはついに実力行使に踏み切った。

 当時のスペイン王室の歳入額に相当する金額を投じてリスボン港で編成された〈大艦隊〉は戦艦68隻を含む合計130隻で,これに陸海合わせて約3万近くの将兵が乗り込んだ。艦隊の目的はフランドル駐留の陸軍をイギリスに輸送することにあり,海戦の場合は伝統的な衝角戦で臨む戦術だった。しかし,迎えるイギリス海軍は射程の長い軽砲を装備した動きの速い小型船を主力に据えていた。両軍の戦術と装備の違いは7月30日の緒戦からイギリス軍の有利となって現れ,スペイン軍は悪天候下の狭いドーバー海峡を北へ追われるはめに陥った。そしてカレー港で火船の奇襲を受けてからは統率戦意を失って北海経由でひたすらスペインに帰着することだけを目ざした。船の3分の2以上は帰着を果たしたが,多くの下士官と水兵が死んだ。

 従来,〈大艦隊〉の敗北はただちに両国海軍の地位の逆転をもたらしたとされてきたが,実際にはフェリペは2年間で海軍を再建・補強し,その結果,海戦後40年間はスペインの大西洋支配は不動だった。それでも遠征失敗は,グラナダ征服戦以来自国の軍事行動を神への奉仕と確信してきたスペインの世論に,深刻な動揺を与えたことは確かである。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「無敵艦隊」の意味・わかりやすい解説

無敵艦隊
むてきかんたい
Spanish Armada; Invincible Armada

スペイン王フェリペ2世(在位 1556~98)が,エリザベス1世(在位 1558~1603)率いるイングランドへの直接攻撃を企図し,1588年にイギリス海峡に送り込んだ大艦隊。スペイン語でアルマダ(「海軍」「艦隊」の意)Armada,またはアルマダ・インベンシブレ Armada Invencibleと呼ぶ。スペインはメディナ・シドニア公アロンソ・ペレス・デ・グスマンを司令官に,約 130隻の戦艦に船員約 8000人,兵士約 1万9000人を乗り組ませ,同年 5月にリスボンを出航,7月末にドーバー海峡に入った。迎え撃つチャールズ・ハワード(→ノッティンガム)率いるイングランドの艦隊は,わずか 100隻にも満たなかったが機動力をいかした砲撃でスペインを牽制し,8月7~8日にはカレー沖に投錨していたスペインの船団に炎上した船を送り込む「火船」作戦で攪乱,数隻を撃沈し北へ敗走させた。その後,北海からスコットランドを迂回したスペイン艦隊の航海は船の損壊や食料・水不足,悪天候で数千人が命を失うなど凄惨をきわめ,9月末までに帰還できた船は半数以下に減っていた。スペインの敗北により,制海権はイギリスの手に渡り,スペインの国際貿易,植民地経営は打撃を受け国力の衰退を招くにいたった。また,戦法・戦術においてガレー船からガレオン船に,「敵船斬り込み」から砲撃に置き換わった点で重要なエポックとなった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「無敵艦隊」の意味・わかりやすい解説

無敵艦隊【むてきかんたい】

スペイン語Armada Invencibleの訳。〈アルマダ〉とも。1588年スペイン国王フェリペ2世が,英国侵攻を図って進発させた艦隊に与えた呼称。130隻(兵員約3万)の艦隊をもって出撃したが,ハワード,ドレークらの率いる英国艦隊に惨敗,スペイン没落の遠因となった。
→関連項目エリザベス[1世]ガレオン船スペインプリマスフロビッシャーホーキンズラ・コルニャ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「無敵艦隊」の解説

無敵艦隊(むてきかんたい)
Armada Invencible[スペイン],Invincible Armada[英]

アルマダともいう。1588年,オランダ独立を援助するイギリスに対して派遣されたスペインの大艦隊。「無敵艦隊」の名称は後世につけられた。船数は130隻,乗船兵は約3万人を数えた。旧式な接近戦を挑むスペイン軍に対し,軽砲装備の小型船で戦うイギリス軍は終始優勢を保ち,ドーヴァ海峡の悪天候もあって,スペイン軍は大敗北を喫した。この遠征の失敗は「太陽の沈まぬ国」スペインの威信失墜につながった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「無敵艦隊」の解説

無敵艦隊
むてきかんたい
Invincible Armada

16世紀後半の,当時世界最強と称されたスペインの海上戦力。「アルマダ」
戦艦130,船員8000人,陸軍1万9000人からなる。イギリス上陸とオランダ独立軍鎮圧を企図して1588年リスボンを出航したが,ドレークらのイギリス海軍に敗れ,暴風で壊滅し,その海上権をイギリスに奪われた。この戦いを別名アルマダ戦争とも呼ぶ。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

とっさの日本語便利帳 「無敵艦隊」の解説

無敵艦隊(アルマダ)

レパントの海戦(一五七一)でオスマントルコ艦隊を撃破し、地中海の覇権を確立したスペイン王国艦隊。しかし、一五八八年のアルマダ海戦でイギリス・オランダ連合軍によって壊滅され、以後、海上権はイギリス、オランダ両国に移行する。

出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「無敵艦隊」の意味・わかりやすい解説

無敵艦隊
むてきかんたい

アルマダ

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の無敵艦隊の言及

【ラ・コルニャ】より

…ローマ植民市アルドビクム・コロニウムから発展した町で,5世紀にはスエビ王国の首都になった。1588年無敵艦隊がここから出港し,翌年イギリス艦隊の砲撃により町は破壊された。海岸通りは,白枠のガラス窓が鏡のように並び,〈ガラスの町〉と別称されている。…

※「無敵艦隊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

グレーゾーン解消制度

個々の企業が新事業を始める場合に、なんらかの規制に該当するかどうかを事前に確認できる制度。2014年(平成26)施行の産業競争力強化法に基づき導入された。企業ごとに事業所管省庁へ申請し、関係省庁と調整...

グレーゾーン解消制度の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android