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デジタル大辞泉
「無敵艦隊」の意味・読み・例文・類語
むてき‐かんたい【無敵艦隊】
16世紀、フェリペ2世時代のスペイン艦隊の称。1588年、戦艦130隻をもってイギリス上陸作戦の途次、ドーバー海峡でイギリス艦隊に大敗を喫し、さらに帰途暴風雨にあって大半を失い、以後スペインの制海権は失われた。
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無敵艦隊
むてきかんたい
Spanish Armada; Invincible Armada
スペイン王フェリペ2世(在位 1556~98)が,エリザベス1世(在位 1558~1603)率いるイングランドへの直接攻撃を企図し,1588年にイギリス海峡に送り込んだ大艦隊。スペイン語でアルマダ(「海軍」「艦隊」の意)Armada,またはアルマダ・インベンシブレ Armada Invencibleと呼ぶ。スペインはメディナ・シドニア公アロンソ・ペレス・デ・グスマンを司令官に,約 130隻の戦艦に船員約 8000人,兵士約 1万9000人を乗り組ませ,同年 5月にリスボンを出航,7月末にドーバー海峡に入った。迎え撃つチャールズ・ハワード(→ノッティンガム)率いるイングランドの艦隊は,わずか 100隻にも満たなかったが機動力をいかした砲撃でスペインを牽制し,8月7~8日にはカレー沖に投錨していたスペインの船団に炎上した船を送り込む「火船」作戦で攪乱,数隻を撃沈し北へ敗走させた。その後,北海からスコットランドを迂回したスペイン艦隊の航海は船の損壊や食料・水不足,悪天候で数千人が命を失うなど凄惨をきわめ,9月末までに帰還できた船は半数以下に減っていた。スペインの敗北により,制海権はイギリスの手に渡り,スペインの国際貿易,植民地経営は打撃を受け国力の衰退を招くにいたった。また,戦法・戦術においてガレー船からガレオン船に,「敵船斬り込み」から砲撃に置き換わった点で重要なエポックとなった。
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むてきかんたい【無敵艦隊】
1588年,スペイン王フェリペ2世がイギリス制圧のために派遣した艦隊。アルマダとも呼ばれる。〈無敵艦隊Armada Invencible〉の名は後世イギリス人が付けたもので,当のスペインでは単に〈大艦隊Gran Armada〉と呼ばれた。いずれにせよ,事件そのものとしては〈ドーバーの海戦〉と呼ぶべきものである。 16世紀後半,西ヨーロッパ情勢は宗教分裂に政治対立が重なり,複雑を極めた。その中にあってハプスブルク体制の筆頭国でありカトリック・ヨーロッパの覇者を自任するスペインにはおのずから周囲の嫉妬,警戒心,敵意が集中した。
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無敵艦隊(むてきかんたい)
Armada Invencible[スペイン],Invincible Armada[英]
アルマダともいう。1588年,オランダ独立を援助するイギリスに対して派遣されたスペインの大艦隊。「無敵艦隊」の名称は後世につけられた。船数は130隻,乗船兵は約3万人を数えた。旧式な接近戦を挑むスペイン軍に対し,軽砲装備の小型船で戦うイギリス軍は終始優勢を保ち,ドーヴァ海峡の悪天候もあって,スペイン軍は大敗北を喫した。この遠征の失敗は「太陽の沈まぬ国」スペインの威信失墜につながった。
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無敵艦隊
むてきかんたい
Invincible Armada
16世紀後半の,当時世界最強と称されたスペインの海上戦力。「アルマダ」
戦艦130,船員8000人,陸軍1万9000人からなる。イギリス上陸とオランダ独立軍鎮圧を企図して1588年リスボンを出航したが,ドレークらのイギリス海軍に敗れ,暴風で壊滅し,その海上権をイギリスに奪われた。この戦いを別名アルマダ戦争とも呼ぶ。
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世界大百科事典内の無敵艦隊の言及
【ラ・コルニャ】より
…ローマ植民市アルドビクム・コロニウムから発展した町で,5世紀にはスエビ王国の首都になった。1588年無敵艦隊がここから出港し,翌年イギリス艦隊の砲撃により町は破壊された。海岸通りは,白枠のガラス窓が鏡のように並び,〈ガラスの町〉と別称されている。…
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