ハリタケ(読み)はりたけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハリタケ」の意味・わかりやすい解説

ハリタケ
はりたけ / 針茸

担子菌類サルノコシカケ目に属し、傘の裏、またはキノコの下側に無数の針状の突起があるキノコの総称で、特定の菌の名ではない。針状の突起はマツタケ類のひだに相当する部分で、胞子を形成する子実層は針の表面に発達する。ハリタケと称されるキノコの種類はきわめて多い。また、生態的にみると地上に生えるもの、木に生えるものがあり、形態的にみると傘があるものとないもののほか、肉質革質木質などと硬軟さまざまである。従来はこれらをハリタケ科として一括し、傘の裏にひだがあるマツタケ科、管孔(くだあな)があるサルノコシカケ科などと対照させたが、いまではこのような見せかけの形の類似にとらわれない分類が採用されている。

 ハリタケ型のキノコは、ハリタケ科Hydnaceae(新しい解釈による狭義のハリタケ科)とイボタケ科Thelephoraceaeに多い。ハリタケ科はカノシタHydnumを基本とし(基本種はカノシタH. repandum Fr.)、ほかにサンゴハリタケHericium、サガリハリタケ属Sarcodontia、ニクハリタケ属Steccherinumなどがある。これらのうち、一部は肉質で食用になるが、革質、木質のものも少なくない。いずれも胞子は無色で表面は滑らかである。イボタケ科の基本となるのはイボタケ属Thelephoraであるが、典型的なハリタケ型のものにコウタケ属Sarcodon、ニオイハリタケ属Hydnellum、クロハリタケ属Phellodonなどがある。イボタケ科には食用菌として名高いコウタケS. aspratus (Berk.) S. Itoがあるが、多くの種は革質で食用にはならない。胞子はつねに細かい刺(とげ)、またはいぼを帯びる。多くはテレフォル酸という色素をもち、乾くと漢方薬状の香りを放つ。

[今関六也]


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改訂新版 世界大百科事典 「ハリタケ」の意味・わかりやすい解説

ハリタケ (針茸)

普通のキノコはかさの裏に放射状に並ぶひだがあり,その表面に胞子をつくる。またサルノコシカケの類では管穴が並び,その中に胞子をつくる。これらと違って無数の針をたらし,その表面に胞子をつくるキノコがある。以前はこれらのキノコをハリタケ類といったが,現在の分類では担子菌類ヒダナシタケ目のハリタケ科Hydnaceaeとイボタケ科Thelephoraceaeに分類されることが多い。ハリタケ科にはカノシタHydnum repandum Fr.,サンゴハリタケHericium ramosum (Mérat) Let.,ヤマブシタケHericium erinaceum (Fr.) Pers.などがある。カノシタは地上生,純白~クリーム色で,食用にされる。サンゴハリタケは木に生え,サンゴ状に枝分れした枝の下側に,無数の針をたらす純白のキノコで,食用にされる。ヤマブシタケはハリネズミのようなキノコで,白色,木に生える。中国名を猴頭(こうとう)といい,食用にされる。イボタケ科にはクロハリタケPhellodon niger (Fr.) Karst.,チャハリタケHydnellum zonatum (Fr.) Karst.のようにハリタケの名がつけられるものが多い。多くは地上生だが革質で食用にはならないが,肉質で香りの高いコウタケは食菌として名高い。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハリタケ」の意味・わかりやすい解説

ハリタケ(針茸)
ハリタケ
tooth fungi

担子菌類ヒダナシタケ目ハリタケ科に属するキノコ類の総称。菌類の分類学上はハリタケ属 Hydnum,ニクハリタケ属 Steccherinumなどにまたがっている。柄の発達したものもあるが側生である。傘の裏には長い歯のような突起が密生しており,子実層はこの突起の面にできる。枯れた材や切り株に出て木質または革質のもの,地上に生えて肉質で軟らかいものなどがあり,前者にはカノシタ,イタチハリタケ,後者にはニクハリタケ,マンネンハリタケなどがある。なおカノシタは食用になる。

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世界大百科事典(旧版)内のハリタケの言及

【サント・ジュヌビエーブ修道院】より

…一時衰微するが,11世紀に聖堂参事会の手で復興し,12世紀初頭からは学問の重要な中心となり,特にアベラールがここで教鞭をとってから多くの学生が集まるようになり,そのなかからソールズベリーのヨハネス,ブレシアのアルノルドゥス,マイネリウスなど当代一流の知識人を輩出させた。修道院の禁域内にはいくつもの学校や学寮がつくられ,それが集まってやがてパリ大学へと発展した。付近はカルティエ・ラタンの主要部分となる。…

【ソルボンヌ】より

…1257年にルイ9世付の聖職者ロベール・ド・ソルボンRobert de Sorbonが,パリ大学の一つの学寮として設立したもの。この学寮に続いて14世紀初めまでのフィリップ3世,フィリップ4世治下に,およそ60の学寮が設立されることになる。…

【大学】より

…カリキュラムと学位制度に支えられた教育機関と,学徒の人的団体としてのギルドとが結合したところに,過去に類例をみない,そして現代にまで連続する〈大学〉という新しい教育組織が成立したといえる。
[中世大学の成立と発展]
 すでに12世紀後半から13世紀初めにかけて,〈自生的大学〉と呼ばれるボローニャ大学パリ大学オックスフォード大学などの大学が形成されている。この際,ボローニャでは比較的年齢の高い法学生のギルドが中核となり,パリでは学芸学部の教師(多くは上級学部の学生)のギルドが大学を形成し,ともに他の中世大学の模範となった。…

【パリ】より

…この子孫のユーグ・カペーが987年に聖俗貴族の集会で推挙されてカペー王朝が成立すると,パリは新しい発展の段階を迎える。
【中世】

[ルーブル宮とパリ大学の創建]
 カペー朝のルイ6世(在位1108‐37)の頃より,パリは国王の恒常的な居住地となった。農村共同体の出現によって農業生産は飛躍的に上昇するとともに,それを基盤として封建諸侯が出現し,国王は封建諸侯の推挙によってその頂点に立った。…

【ボローニャ大学】より

…しかし14世紀に都市によるサラリー支給が始められるまで,教師は学生の支払う授業料に依存していたため,実際の教授行為を行う教師を選定する権利は学生が保持し,教師は学生組合の学頭に服従させられていた。このような学生組合を主体としたボローニャ大学は,教師組合を主体としたパリ大学と好対照をなす。また,パリ大学が神学研究を中心としたのに対して,ボローニャ大学は法学研究を中心とし,バルトルスなど多くの著名法学者を擁してローマ法学の復興に貴重な貢献をした。…

※「ハリタケ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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