ハリネズミ (針鼠)
hedgehog
食虫目ハリネズミ亜科Erinaceinaeに属する哺乳類の総称。顔面と腹面,それに四肢を除く全身を長さ2~3cmほどのとげ(針状毛)で覆い,イヌなどの敵に襲われると体をボールのようにまるめ,とげを立てて身を守ることで名高い。ナミハリネズミErinaceus europaeus,オオミミハリネズミHemiechinus auritusなど約10種がヨーロッパ,アフリカ,朝鮮半島を含むアジアに分布するが,日本には生息しない。体長13.5~30cm,尾長1~5cm,体重400~1000g。適応力に富み,熱帯から温帯,森林から砂漠と広範な環境にすむ。ふつう単独で行動し,カタツムリ,昆虫,ミミズ,鳥の卵などの動物質をはじめ,果実,根などの植物質も食べる。また,ヘビやハチの毒に対して強い抵抗力をもち,しばしばこれらの動物を捕食する。巣はふつうアナウサギなどの他種の巣穴を利用し,雌は1産5~7子を,温帯では年2回,熱帯では数回生む。温帯にすむものは冬眠する。
執筆者:今泉 吉晴
医術
中国では5~6世紀には〈蝟皮(いひ)〉の名で薬用にされていた。《本草和名》では虫魚部に彙(い),挺(えん),毛刺,猫虎脂などをあげ,和名を久佐布(くさふ)としている。《和漢三才図会》は,猬と書き,蝟鼠という別名もあげている。《重修本草綱目啓蒙》には,そのほか,偸爪,蜮(食物本草),刺鼠(薬性纂要),高所音猪(郷薬本草),古所音猪毛(村家方蝟皮),猛虎脂(石薬爾雅)などがある。皮は焼いて灰にし,その粉末を綿につつんで鼻をふさぎ,鼻血の止血や陰部の腫痛,痔の治療その他に外用したり,腹痛やさしこみなどに酒で服用したが,桔梗や麦門冬を服用している者には使用は禁じられていた。現代中国名は〈猬〉で,刺猬や短刺猬の皮,肉,脂,脳,心臓,肝臓,胆汁などが薬剤とされている。
執筆者:槙 佐知子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ハリネズミ
はりねずみ / 針鼠
hedgehog
広義には哺乳(ほにゅう)綱食虫目ハリネズミ科ハリネズミ亜科に属する動物の総称で、狭義にはそのうちの1種をさす。この亜科Erinaceinaeの仲間は、ユーラシアとアフリカに分布し、ハリネズミ属Erinaceus、オオミミハリネズミ属Hemiechinus、インドハリネズミ属Paraechinusの3属に12種がある。体はずんぐりとし、背面には堅い針状毛をもつ。尾は痕跡(こんせき)的。手足は頑丈で強大なつめをもつ。歯式は

で合計36本。平地の農耕地、低木林、草原などにすみ、地上性、雑食性で、温帯に分布するものは冬に冬眠する。
狭義のハリネズミとよばれる種はナミハリネズミE. europaeusで、頭胴長23~32センチメートル、耳は短く、四肢も短い。顔面、四肢、下面などを除いた、背面や体側は針状毛で覆われる。夜行性で、昆虫、ミミズ、トカゲ、ヘビ、果実などを食べる。土中につくった巣穴で春と秋に3~7子を産む。子は1年で成熟する。
[阿部 永]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ハリネズミ
食虫目ハリネズミ科の哺乳(ほにゅう)類の総称。体長10〜45cm,尾1〜21cm。吻(ふん)はとがり,背には短硬の針を密生。アフリカ,ヨーロッパ,アジアに分布。マダガスカル,スリランカ,日本には生息しない。夜行性で草の根,果実,昆虫,ミミズ,ヘビなどを食べ,敵に襲われると体を丸めてクリのいがのようになり身を守る。冬は落葉の下などで冬眠する。
→関連項目特定外来生物
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のハリネズミの言及
【イエズス会日本年報】より
…1579年(天正7)来日したイエズス会インド管区巡察師[A.バリニャーノ]は従来の日本通信(《[耶蘇会士日本通信]》)の制度を改め1年に一つの公式の年報報告をローマに送る日本年報の制度を確立し,同年最初の年報が彼の指導によって作られた。これは個人の書簡と異なって印刷されることを前提にし,その内容はまず日本の政治状況,キリスト教界の現況およびイエズス会の動向,次に同会の布教機関(カーザとレジデンシア)がある土地,下(しも)・豊後・都地方についての布教報告からなるが,この各地の報告にはヨーロッパのキリスト教徒の教化に裨益(ひえき)する事例が多く採られた。…
【学校】より
… その後,鎌倉,室町と戦乱の続く時代に学校は衰退し,わずかに前掲の足利学校や神奈川の[金沢(かねさわ)文庫]が隆盛を迎えたほかは,キリシタン学校が注目に値する。F.ザビエルが鹿児島に到着したのが1549年(天文18)であり,77年(天正5)には豊後領内の府内(現在の大分市)に最初の学林([コレジヨ])設立計画をたて,その3年後に実現し,肥前の島原半島では新管長A.バリニャーノによって79年,学林と修業所([セミナリヨ])が設立されている。さらにこれら九州地方だけでなく,翌80年には近江の安土城下にセミナリヨが建てられ,本能寺の変までのわずか1年余りであったが,多くの人材を養成した。…
【キリシタン】より
…信長の政治的地位の上昇・確立に伴い教会勢力も増大し,77年3階建ての教会(南蛮堂,[南蛮寺])が落成した。
[バリニャーノの改革]
巡察師[バリニャーノ]はマカオ市との間に生糸貿易参加に関する契約を結んで日本布教の財源確保に努めたのち,79年来日した。彼は日本イエズス会を準管区に昇格させ,これを下(しも)・豊後・都の3布教区に分けて,[クエリョ]を準管区長に任じた。…
【天正遣欧使節】より
…イエズス会巡察師[バリニャーノ]の発起により豊後の大友義鎮(宗麟),肥前の有馬晴信,大村純忠の3キリシタン大名がローマ教皇に遣わした4少年からなる使節。バリニャーノはインド,ローマへの帰還に当たり,急きょ日本人キリシタンのローマ派遣を計画した。…
【日本史】より
…だが実際の記述は94年2月まである。フロイスは1583年秋に執筆を命じられると直ちに着手し,84年に第1巻,86年に第2巻,93年には第3巻を完成し,推敲の段階にあったが,日本巡察師[バリニャーノ]は原稿を検閲した結果,冗長にすぎるとして短縮を要望し,ヨーロッパに送付しなかった。そのため本書は近年まで未刊のままであった。…
【ルッジェーリ】より
…29歳で入会し,1578年にゴア,翌年澳門(マカオ)へ赴く。東洋総巡察使のアレッサンドロ・バリニャーノから中国語修得を命ぜられ,82年(万暦10)には広州に入ることに成功した。時計などの珍奇な品で両広総督陳瑞の歓心を買い,同年,広東省肇慶(ちようけい)にフランチェスコ・パジオ神父を伴って定住することを許された。…
※「ハリネズミ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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