日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハンラハン」の意味・わかりやすい解説
ハンラハン
はんらはん
Kip Hanrahan
(1954― )
アメリカのミュージシャン、プロデューサー。ニューヨークのサウス・ブロンクスに生まれる。レーベル、アメリカン・クラーベを主宰し、ミュージシャンのプロデュースも含めて制作活動を行う。
アイルランド系とロシア系の両親のもとに生まれ、ラティーノ(中南米およびカリブ海諸島などのスペイン語圏出身者)の友人の多い環境で育った。ニューヨークの美術大学クーパー・ユニオンで映像作家ジョナス・メカスらに師事する。卒業後は映画監督ジャン・リュック・ゴダールの事務所やジャズ・ミュージシャンのカーラ・ブレイらが主宰するジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション(J. C. O. A.)で働いた。
1970年代はじめから活動していたパーカッショニスト、ジェリー・ゴンザレスJerry González(1949―2018)のアルバム『YA YO ME CURÉ』を1979年に録音、1980年に発表し、アメリカン・クラーベを旗揚げする。以後、同レーベルからは、『A Thousand Nights and a Night』(1997)などハンラハン名義の作品のほかに、ジャズ・プロデューサーのテオ・マセロTeo Macero(1925―2008)、ポスト・パンク、ノイズ系のアート・リンゼイArto Lindsay(1953― )によるニュー・ウェーブ・バンドDNA、アルゼンチン・モダン・タンゴのアストル・ピアソラらの作品、アフロ・カトリシズム混交宗教サンテリアの音楽、現代アフリカン・アメリカン文学の代表的な作家イシュメール・リードIshmael Reed(1938― )、詩人ポール・ヘインズPaul Haines(1933―2003)、ニューヨリカン(ニューヨークのプエルトリカン)の詩人ピリ・トーマスPiri Thomas(1928―2011)らとの録音、またニューヨリカンの詩人ミゲル・ピニェイロMiguel Miky Pinero(1946―1988)の伝記映画のサウンドトラックなど、多彩なアルバムがリリースされた。
それらの作品では、ジャンプ・ジャイブ(ジャズ、ブルースのもとになった黒人音楽)からフリー・ジャズ、ニューオーリンズ・ファンクまでのブラック・ミュージック、アフロ・キューバンからタンゴまでのラテンアメリカ音楽、現代音楽、ポスト・パンクなどが自由にコラージュされている。また、音楽だけでなく、映画、文学、美術といったジャンルを横断し、アバンギャルドからマイノリティや移民たちのポピュラー・カルチャーまでを独自なアプローチでまとめ、トータルな作品に仕立てている。多民族都市ニューヨークのなかでも、ハンラハンがサウス・ブロンクスという「権力の外」で育った経験が作風に大きな影響を与えている。
また、政治思想的な姿勢としては、ノーム・チョムスキーとエドワード・サイードを敬愛するという発言に表れているように、アメリカ合衆国におけるもっともラディカルな立場に位置している。そうした姿勢は音楽面にも大きく影響しており、「権力の外にいる者たち」というキーワードでさまざまなジャンルや人々に注目することにもつながっている。
1997年以降は日本のインディペンデント系レコード会社イーストワークス・エンターテインメントからアメリカン・クラーベの作品が発売され、ハンラハンも度々来日している。
[東 琢磨]
『東琢磨著『ラテン・ミュージックのポリティクス――複数の<アメリカ>から』(2003・音楽之友社)』