バイエルン公国(読み)バイエルンこうこく(その他表記)Herzogtum Bayern

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バイエルン公国」の意味・わかりやすい解説

バイエルン公国
バイエルンこうこく
Herzogtum Bayern

ドイツ南部の公国で,のち 1806年王国に昇格。民族大移動後,西ゲルマンの混血種族バヨウァリィ人が定着し,ここからバイエルン地名が生れた。6世紀フランク王国に服属し,一時独立したが,カルル1世 (大帝)に征服された。オットー1世 (大帝)のとき,王弟ハインリヒがバイエルン公に封じられ,ハインリヒ2世は神聖ローマ皇帝となった。 1070年にいたりウェルフェン家のバイエルン公ハインリヒ獅子公は,ホーエンシュタウフェン家の皇帝フリードリヒ1世と争って敗れ,ウィッテルスバハ家がバイエルン公となり,20世紀までこの地の支配者として続いた。 16世紀前半にはウィルヘルム4世が皇帝と結んで新教徒と戦い,マクシミリアン1世は,カトリック連合首領として三十年戦争の初期に皇帝を助け,選帝侯地位を得,オーストリアに次ぐ大国となった。ハプスブルク家のカルル6世の死後,カルル・アルブレヒトは帝位継承権を要求してオーストリア継承戦争を起したが目的を果さず,次いでカルル・テオドールのとき,ファルツと合体してバイエルン継承戦争を招いた。フランス革命時代バイエルンとファルツは,フランス軍に占領され,結局ファルツを失ったが,続くナポレオン戦争でフランスにくみしてチロルその他の旧オーストリア領を獲得し,1806年バイエルン王国 Königtum Bayernとなった。 13年末反ナポレオン同盟に加わり,ウィーン会議で旧領を維持でき,オーストリア,プロシアに次ぐ大国となり,両国の間に介在する第三勢力としての地位をも固めた。普仏戦争では,プロシアとともに戦い,71年ドイツ帝国の成立を承認して新帝国内の一支邦となったが,外交権,軍事権など連邦内で例外的な特権を認められた。第1次世界大戦後,帝国の崩壊とともに革命が起ってルートウィヒ3世が退位し,一時レーテ (評議会) 政権が出現するようなこともあったが,結局共和国が 1919年成立し,ワイマール共和国内の一邦となった。その後,この国では右翼勢力が強く,20年2月にはミュンヘンナチスが生れた。

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