パフレヴィー(その他表記)Muḥammad Reḍā Shāh Pahlevī

旺文社世界史事典 三訂版 「パフレヴィー」の解説

パフレヴィー(2世)
Muḥammad Reḍā Shāh Pahlevī

1919〜80
パフレヴィー朝第2代国王
正式にはムハンマドレザーシャー=パフレヴィー。レザー=ハーン長男として,父の退位により1941年に即位モサデグと対立して一時国外に亡命。帰国後には反国王運動を弾圧。1963年より上からの近代化をはかる「白色革命」を実施したが,経済政策破綻と経済格差による国民の不満が高まってイラン革命が起こり,79年1月に亡命して,翌年エジプトで病死した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

選挙公職を争うとき,政党や候補者が,当選後実現すべき政策について有権者に向けて表明する約束。当選者が選挙公約に拘束され,実現の努力を行うことは責任政治の重要な構成要素である。...

公約の用語解説を読む