日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビョーク」の意味・わかりやすい解説
ビョーク
びょーく
Björk
(1965― )
アイスランド出身でロンドンを拠点に活動するロック・ミュージシャン。本名ビョーク・グズムンズドッティルBjörk Guðmundsdóttir。レイキャビークで、元ヒッピーの両親のもとに生まれたビョークは幼いころから音楽の専門教育を受け、1977年に『ビョーク』をリリース。このアルバムは国内で評価されるとどまったが、その後パンク・ロックの洗礼を受け、ニュー・ウェーブ色の強いグループ、シュガーキューブズを結成。男女のツイン・ボーカルを配し、1986年にシングル「バースデイ」でデビューした彼女らはしだいにイギリスで評判を呼び、メジャー・レーベルのエレクトラと1988年に契約を結ぶ。『ライフ・イズ・トゥー・グッド』(1988)、『トゥデイ・トゥモロウ・ネクスト・ウィーク』(1989)、『スティック・アラウンド・フォー・ジョイ』(1992)の3枚のアルバムとリミックス集を残してシュガーキューブズは1992年に解散する。その後、当時のイギリスのクラブ・ミュージック・シーンに興味を惹かれたビョークはロンドンに移住し、ソロ・アルバムの制作に着手する。
ロンドンのクラブ・シーンで重要なグループであったソウルⅡソウルのプロデューサー、ネリー・フーパーNellee Hooperを迎えて制作され、1993年にリリースされたアルバム『デビュー』は、ジャズやスラッシュ・メタル(スピーディーで荒々しいヘビー・メタル)、ファンクやグラウンド・ビート(ハウス・ミュージックから発生したダンス・ビート、ダンス・ミュージックの一種)、バラードやフォーク・ソングなどの多彩な音楽が折衷され、そこにビョークのエモーショナルな歌声と詩的想像力に富んだ歌詞が重なった作品であった。このアルバムは、クラブ・ミュージック以降のロックの未来像を提示するものと評価され、ヨーロッパ各国で1993年のベスト・アルバムに選出される一方、世界中で300万枚以上のセールスを記録した。
続く『ポスト』(1995)、『ホモジェニック』(1997)、『ヴェスパタイン』(2001)といったオリジナル・アルバムや、リミックス集『デビュー・ベスト・リミキシーズ』(1994)、『テレグラム』(1996)などでも彼女は、808ステイトやトリッキーTricky(1964― )、タルビン・シンTalvin Singh(1970― )らクラブ・ミュージックの先端的なサウンド・クリエーターを次々に起用していく。生々しい感情と先端的なテクノ感覚を大胆に同居させながらポップな音楽性へとまとめ上げるその手腕によって、ビョークは1990年代を代表する女性ロック歌手という評価を得た。
その評価がさらに広がるきっかけとなったのは、主演と音楽制作を担当した映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000、監督ラース・フォン・トリアーLars von Trier(1956― ))の世界的なヒットである。2000年のカンヌ国際映画祭で同作はパルム・ドール(最優秀作品賞)を、ビョークは最優秀女優賞を受賞した。これらによりビョークの妖精的なキャラクターは広く一般の支持を得、これまでになかった新たなポップ・スターのイメージをうち立てることとなった。1980年代を象徴するセックス・シンボルであったマドンナと入れ替わるように、ビョークは性別や年齢を超越したユニークな存在として、音楽にとどまらずファッションやアートの先鋭的なモードを集約する、1990年代以降の重要なポップ・アーティストとなる。
[増田 聡]
『「特集ビョークの世界」(『ユリイカ』2002年1月号・青土社)』▽『エベリン・マクドネル著、栩木玲子訳『ビョークが行く』(2003・新潮社)』▽『イアン・ギティンス著、中山啓子訳『ビョークの世界』(2003・河出書房新社)』