マドンナ(読み)まどんな(その他表記)Madonna

翻訳|Madonna

デジタル大辞泉 「マドンナ」の意味・読み・例文・類語

マドンナ(〈イタリア〉Madonna)

聖母マリア。また、幼いキリストを抱いた聖母像
多くの男性のあこがれの対象となる女性。「クラスマドンナ
[類語]美人佳人美女麗人別嬪シャン名花小町色女大和撫子美少女美形美姫びき尤物ゆうぶつ解語の花傾城傾国

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「マドンナ」の意味・読み・例文・類語

マドンナ

  1. ( [イタリア語] madonna 元来は婦人の敬称 )
  2. [ 1 ] 聖母マリア。また、その画像。
    1. [初出の実例]「均しく是れ『マドンナ』なり」(出典:外山正一氏の画論を駁す(1890)〈森鴎外〉二)
  3. [ 2 ] 〘 名詞 〙 多くの男性のあこがれの対象となる女性。
    1. [初出の実例]「今度の事件は〈略〉マドンナを手に入れる策略なんだらう」(出典:坊っちゃん(1906)〈夏目漱石〉九)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マドンナ」の意味・わかりやすい解説

マドンナ(歌手、俳優)
まどんな
Madonna
(1958― )

1980年代以降のポップ・ミュージックを代表するアメリカの女性歌手、俳優。本名マドンナ・ルイーズ・ベロニカ・チッコーネMadonna Louise Veronica Ciccone。両親はイタリアからの移民。デトロイト郊外で生まれ育った彼女は少女時代からダンスのレッスンに熱中し、1977年、ミシガン州立大学ダンス科を中退した後、わずか35ドルの所持金を手にニューヨークへ出る。ダンス・バンドのドラムやバックシンガーを担当したり、生活費を稼ぐためヌード・モデルなどを経験する下積み時代を経て、82年にサイアー・レコードと契約。翌年デビュー・アルバム『マドンナ』収録の「ホリデー」「ボーダーライン」などがダンス・チャートでヒットし一躍注目を集め、続く『ライク・ア・ヴァージン』(1984)が世界11か国でアルバム・ヒット・チャート1位を記録する大ヒットとなる。彼女は鍛え抜かれたダンスの才能を生かすため、勃興期にあった音楽専門チャンネルMTVにいち早く着目し、プロモーション・ビデオ・クリップの制作に力を注いだ。印象的な映像とダンスが盛り込まれた優れたミュージック・ビデオは、彼女の名声を決定づけるものとなり、マドンナはマイケル・ジャクソンと並び称される、MTV時代を代表するスターの地位を得た。

 また、ビデオ・クリップ『マテリアル・ガール』(1985)に明瞭に見てとれるような、マドンナによって提示された、欲望の対象とされることを利用して周囲の男性を自在に操る女性像は、保守的な女性像とウーマン・リブをともに批判するものと受けとられた。このことによってマドンナは、保守派と革新派の双方からさまざまな非難を受けると同時に、「ワナビーズ」wannabesと呼ばれる熱狂的な少女ファンを出現させることとなった。自ら性的なヘゲモニーを握るセックス・シンボルという、マドンナが打ち出した新たな女性像は、90年代に入るとアカデミックフェミニズムの議論にまで影響を与えるようになった。

 その後も『トゥルー・ブルー』(1986)、『アイム・ブレスレス』(1990)などヒット・アルバムを続々リリースする一方、『マドンナのスーザンを探して』(1985、監督スーザン・シーデルマンSusan Seidelman(1952― ))や『フーズ・ザット・ガール』(1987、監督ジェームズ・フォーリーJames Foley(1953― ))など映画にも多数出演し、人気女優となる。また、プロモーション・ビデオ『ライク・ア・プレイヤー』(1989)で十字架を炎上させるシーンが問題となり、各国で放映禁止になるなど、支配的な性的・宗教的モラルに抵触する活動が議論を呼ぶ。92年に発表された写真集『SEX by Madonna』は奔放な性的イメージが全面に展開されたもので、日本では一部修整されて発売された。また、自身のレコード・レーベル、マーベリックを92年に設立し、若手のミュージシャンやバンドを発掘するなど、ポップ・ミュージック界におけるもっとも活動的な企業家の一人である。

 マドンナの音楽的背景は、ゲイや黒人などのマイノリティが築き上げてきた、都市のアンダーグラウンドなディスコ文化に由来している。彼女はディスコ・ソウル・ミュージックやゴスペル・ソング、ヒップ・ホップなど都市の黒人音楽を雑食的に折衷する一方、ハウスやテクノ(『エロティカ』(1992))、エレクトロニカ(90年代テクノの隆盛後、非音楽=ノイズや生楽器の導入など、手法と形態が多様化した広義のエレクトロニク・ミュージック。『ミュージック』(2000))などのディスコ/クラブ文化の最新モードを敏感に取り入れ、それらを主流の音楽文化と接合させた。彼女の活動が支配的なモラルを壊乱するように働くのは、そのような主流の文化意識とマイノリティに起源をもつ彼女の文化的背景との摩擦によるものである。90年代以降の文化研究者たちは、マイノリティの文化資産を主流文化へと媒介するマドンナの実践に注目し、ジェンダー論やマイノリティ論、クィアー理論(性的マイノリティの観点からの文化理論)や文化社会学の視点から、多数のアカデミックな研究や批評が行われている。

[増田 聡]

『スティーブン・マイゼル写真、中谷ハルナ訳『SEX by Madonna』(1992・同朋舎出版)』『クリストファー・アンダーセン著、小沢瑞穂訳『マドンナの真実』(1992・福武書店)』『キャシー・シュウィッチェンバーグ編著、久木葉一訳『マドンナ・コネクション』(1994・DHC)』『スーザン・マクレアリ著、女性と音楽研究フォーラム訳「生きて語る~マドンナに見る肉体性の復活」(『フェミニン・エンディング』所収・1997・新水社)』『J・ランディ・タラボレッリ著、吉澤康子訳『Complete Madonna ほんとうの「私」を求めて』(2001・祥伝社)』『バーバラ・ヴィクター著、白川貴子訳『マドンナ――女神の素顔』(2003・ベストセラーズ)』


マドンナ(聖母マリア)
まどんな
(La) Madonna イタリア語

婦人に対する尊称から転じて聖母マリアの称号となった。母性原理と仲介性を強調するマリア礼拝Mariolatryが、神の母を意味する「テオトコス」Theotokos(ギリシア語)、「マーテル・デイ」Mater Dei(ラテン語)の名において熱心に行われた。プロテスタントは聖母崇敬を否定する。マリア像、聖母子像はカタコンベ以来類型的に多様性を示し、代表例はレオナルド・ダ・ビンチの『岩窟(がんくつ)の聖母』である。マドンナの表象的色彩は赤(愛)の衣と青(永遠)のマント。

[川又志朗]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

現代外国人名録2016 「マドンナ」の解説

マドンナ
Madonna

職業・肩書
歌手,女優

国籍
米国

生年月日
1958年8月16日

出生地
ミシガン州ベイシティ

本名
チコーネ,マドンナ・ルイーズ〈Ciccone,Madonna Louise Veronica〉

別名
別名=エスター

学歴
ミシガン大学中退,アルビン・エイリー・ダンス・スクール

受賞
ビデオミュージック大賞視聴者大賞〔1989年〕「ライク・ア・プレイヤー」,ビルボード・アワード特別賞〔1996年〕,ゴールデン・グローブ賞主演女優賞(ミュージカルコメディ部門,第54回,1996年度)〔1997年〕「エビータ」,アカデミー賞主題歌賞(第69回,1996年度)〔1997年〕「エビータ」,グラミー賞(ミュージックビデオ部門,第41回)〔1998年〕「レイ・オブ・ライト」,グラミー賞(作曲部門,第42回)〔1999年〕「ビューティフル・ストレンジャー」,MTVアワードベスト映画主題歌賞〔1999年〕「ビューティフル・ストレンジャー」,ゴールデン・グローブ賞主題歌賞(第69回,2011年度)「W.E.」

経歴
17歳の時ダンサーを目指してニューヨークへ。1979年成人映画「A Certain Sacrifice」に出演。その後パリでボーカルのレッスンを受け、帰国後の’82年「エブリバディ」でロック歌手としてデビュー。’84年アルバム「ライク・ア・バージン」が大ヒットし、下着のような衣裳で“マリリン・モンローの再来”と脚光を浴びる。’87年日本ツアーでマドンナ旋風を巻き起こしたのを皮切りに、初の世界ツアー実施。「バーニング・アップ」「エロティカ」などのアルバムは全世界セールスで1000万枚以上を売り上げる。’91年には米経済誌「フォーブス」による世界芸能人所得番付で4位となった。’99年プエルトリコ出身の歌手リッキー・マーティンと、初のデュエット曲「Cuidado Con Mi Corazon」を発表し話題となる。2003年アルバム「アメリカン・ライフ」発表。2004年世界ツアー「Re-Invention」が年間収益1位(ビルボード調べ)。2005年アルバム「コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア」が世界的にヒット。2006年9月日本ツアーで13年ぶりに来日。2007年米国のロック殿堂入り。2010年シングルとアルバムのトータルセールスが女性ソロアーティスト史上最高の3億枚を突破。日本では、1989年の「ライク・ア・プレイヤー」、’90年の「アイム・ブレスレス」、2008年の「ハード・キャンディー」でオリコンチャート1位を獲得。一方、1984年「マドンナのスーザンを探して」で本格的に映画デビューし、以後「上海サプライズ」(’86年)、「フーズ・ザット・ガール」(’87年)、「ディック・トレイシー」(’90年)、「In Bed With Madonna」(’91年)、「プリティ・リーグ」(’92年)、「ボディ」(’92年)、「エビータ」(’96年)、「2番目に幸せなこと」(2000年)、「スウェプト・アウェイ」(2002年)に主演。1992年タイム・ワーナーと合併会社マベリックを設立。また同年発表した写真集「SEX」は過激な描写で世界中の論議を呼んだ。2003年初の絵本「イングリッシュ・ローズィズ」を発表、米国でベストセラーとなる。ユダヤ神秘主義思想の1つである“カバラ”の信仰者として知られ、2004年よりユダヤ人名の“エスター”を名のる。1985年俳優のショーン・ペンと結婚するが、’89年離婚。’96年10月未婚の母として女児を出産。2000年英国の映画監督ガイ・リッチーと結婚するが、2008年離婚。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「マドンナ」の意味・わかりやすい解説

マドンナ
Madonna

聖母マリアの絵画または彫刻による像のこと。元来イタリア語で〈わが貴婦人〉の意。中世においては高貴な女性に対する尊称であったが,やがて聖母をはじめとする聖なる人物を呼ぶのに用いられるようになり,イタリアで16世紀以降もっぱら聖母の美術表現を指す語として定着した。なお,聖母子を英語でMadonna and Childという。
マリア
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

20世紀西洋人名事典 「マドンナ」の解説

マドンナ
Madonna


1959.8.16 -
米国のロックシンガー,女優。
ミシガン州ベイシティ生まれ。
本名マドンナ・ルイーズ・チコーネ。
ミシガン大学を中退。ダンサーをめざし、17歳の時単身ニューヨークに出て、アルヴィン・エイリー等に師事。その後パリでヴォーカルのレッスンを受け、帰国後ロック・シンガーとしてデビュー。1984年「ライク・ア・バージョン」を発表し、ロック・シンガーとして注目を集め、’80年代のセックス・シンボルと騒がれた。又映画は’79年成人映画「A Creatain Sacrifice」に出演したが、本格的デビューは’84年「マドンナのスーザンを探して」。’85年二つ年下の俳優ショーン・ペンと結婚し、’86年「上海サプライズ」で共演。他の作品に「ビジョン・クエスト/青春の賭け」(’84年)等がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「マドンナ」の意味・わかりやすい解説

マドンナ

米国の女性ポピュラー歌手。本名Madonna Louise Vernon Ciccone。スターを目指し18歳でニューヨークに移住し,歌,ダンスの練習を重ねて1982年デビュー。翌1983年には早くもチャートの1位を獲得,その後も1984年の《ライク・ア・バージンLike A Virgin》など次々とヒットを飛ばし,映画にも多数出演している。ミュージック・ビデオなどのイメージを重視した表現と,親しみやすいメロディとダンス・サウンドで,1980年代,1990年代を通じて最も成功したエンターテイナーといえる。

マドンナ

元来はイタリア語で〈わが貴婦人〉の意。16世紀以降,絵画,彫刻などに表された聖母マリア像をさす語として定着した。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「マドンナ」の解説

マドンナ

夏目漱石(そうせき)の小説「坊つちやん」の登場人物。
松山の遠山家のお嬢さんで,色のしろい,ハイカラ頭の背のたかい美人。うらなりこと古賀先生の婚約者だが,帝大出の赤シャツにプロポーズされるとなびいてしまう。小説は明治39年「ホトトギス」に発表。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「マドンナ」の解説

マドンナ

生年月日:1959年8月16日
アメリカのロック歌手;女優

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のマドンナの言及

【マリア】より

と略す)などと呼び,マリアということはむしろ少ない。西方ではとくに12世紀以降,騎士道の隆盛とともに〈われらの婦人〉,すなわちノートル・ダムNotre Dame(フランス語),ヌエストラ・セニョーラNuestra Señora(スペイン語),ウンゼレ・リーベ・フラウUnsere Liebe Frau(ドイツ語),アワー・レディOur Lady(英語)など,またイタリアではやや遅れてマドンナとも呼ばれた。また処女のままみごもったとされるところから,マリアは〈処女〉を意味する語によっても示される(英語のthe Virginなど)。…

※「マドンナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android