日本大百科全書(ニッポニカ) 「ファルーク」の意味・わかりやすい解説 ファルークふぁるーくFārūq(1920―1965) エジプト最後の国王。1936年父フアード1世の死去で即位。ナハスの民族主義的政党ワフド党を敵視し、反ワフド党の立場をとる政党や政治家、さらに急進的な国粋主義的グループを、ワフド党との権力闘争で利用した。イタリアとドイツに親しい感情を抱いていたとされるが、第二次世界大戦中の1942年、政敵ナハスの組閣を要求するイギリスの圧力に屈し、自分が擁立した内閣の辞任に追い込まれた。「アブディン宮殿事件」として名高いこの事件以後は、国民の支持を急速に失い、1952年7月のナセルらのクーデターで国外追放された。[伊能武次][参照項目] | ナセル | ナハス | ワフド党 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
旺文社世界史事典 三訂版 「ファルーク」の解説 ファルーク(1世)Faruk Ⅰ 1920〜65近代エジプト王国(ムハンマド=アリー朝)末期の王(在位1936〜52)第二次世界大戦では圧力を受けてイギリスを援助。戦後,反英民族主義運動の高まりの中でも腐敗した宮廷政治を続行し,1952年ナギブ,ナセルら自由将校団によるエジプト革命で追放され,イタリアに亡命。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報 Sponserd by