アメリカの映画俳優。〈アメリカ的な楽天主義のシンボル〉とまでいわれたほどの明るさ,快活さを身上にサイレントのスクリーンを縦横無尽に駆けめぐり,あばれまくった活劇スターNo.1である。コロラド州デンバー生れ。ハーバード大学で数ヵ月学ぶが,演劇を志し,1902年にブロードウェーにデビューして人気を得る。15年にハリウッドへ招かれ,トライアングル社に入り,グリフィス脚本,クリスティ・キャバンヌ監督《快男子》(1915)でデビュー。軽快なアクションと天衣無縫の明るさでたちまち人気スターになった。19年にチャップリン,メリー・ピックフォード,グリフィスと映画会社ユナイテッド・アーチスツを設立。20年,ピックフォードと結婚(ともに2度目で1935年に離婚),〈世紀のロマンス〉とさわがれ,ピックフォードとフェアバンクスを合わせて名づけられた〈ピックフェア〉という2人の邸宅はハリウッド社交界の中心となる。《三銃士》(1920),《ロビン・フッド》(1922)などのヒーローとしてアクロバット的な演技を見せ,名作や問題作は皆無だったが,〈剣戟スター〉として人気は爆発的で〈無冠の帝王〉と呼ばれた。27年,新設された映画アカデミー協会の初代会長に選ばれる。トーキー時代に入ってピックフォードとの唯一の共演作《じゃじゃ馬馴らし》(1929)が失敗に終わり,年齢とともに人気も衰え,イギリス映画《ドン・ファン》(1934)を最後に引退。死後,アカデミー特別賞を贈られた。最初の結婚で生まれた息子ダグラス・フェアバンクス・ジュニアも活劇スターとして《ゼンダ城の虜》(1937),《ガンガ・ディン》(1939),《コルシカの兄弟》(1942),《船乗りシンバッドの冒険》《風雲児》《熱血児》(ともに1947)などに出演している。
執筆者:柏倉 昌美
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アメリカの映画俳優。コロラド州デンバーに生まれ、母の手で育てられ12歳から舞台に立つ。のちニューヨークに移り、19歳でブロードウェーに出演、25歳には主役の座についた。32歳のときトライアングル社に招かれて『快男子』(1915)に主演して大ヒットし、翌1916年には11本に主演し、「ダグ」の愛称でサイレント映画末期の大スターとなった。1919年、チャップリン、メリー・ピックフォード、グリフィス監督と4人でユナイテッド・アーティスツ社を設立。1920年ピックフォードと結婚(1915年後離婚)。自ら製作も兼ねた『奇傑ゾロ』(1920)、『三銃士』(1921)、『ロビン・フッド』(1922)、『バグダッドの盗賊』(1924)、『ドンQ』(1925)、『海賊』(1926)で人気絶頂。1927年に映画芸術科学アカデミーの初代会長となる。遺作はトーキーのイギリス映画『ドン・ファン』(1934)。
[淀川長治]
アメリカ合衆国、アラスカ州中部、タナノ川支流に臨む同州第二の都市。人口3万0224(2000)。同州中部の交易・集散地で、通関港でもあり、アラスカ・ハイウェー、アラスカ鉄道の北の終着地点として知られる。空軍基地、陸軍基地など公官庁関連施設が多く、商工業はこれら施設と深いつながりをもつ。1902年付近に金鉱が発見され、鉱山町として町が建設され、06年より市制が施行された。アラスカ州立大学の所在地で、付属の博物館はエスキモーの文化や手工芸品、アラスカの野生動物などについての展示がなされている。また、エスキモーの生活・文化や金採掘当時の生活を紹介したアラスカ・ランドもある。
[作野和世]
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…活劇熱の現れは,演劇と追跡・乱闘シーンの映写とをつないだいわゆる〈連鎖劇〉の流行にもうかがえる。20年代に入って,ダグラス・フェアバンクス主演《奇傑ゾロ》(1920),《三銃士》(1921),《ロビン・フッド》(1922)がさらに決定的に活劇熱をあおり,模倣作品を続出させた。 当時の活劇スターとして,尾上松之助に次いで,島津保次郎監督《堅き握手》(1922)や牛原虚彦監督《狼の群》(1923)などの勝見庸太郎,日本版《奇傑ゾロ》といえる《抜討権八神出鬼没》(1924)などの市川百々之助,同じく《奇傑ゾロ》の模倣作《怪傑鷹》や《争闘》(ともに1924)で〈鳥人〉の異名をとった高木新平がいる。…
…スター・システムによるアメリカ映画の勃興期で,1909年,16歳のときに週給40ドルでバイオグラフ社に入り,D.W.グリフィス監督に出会い,〈バイオグラフ・ガール〉として売り出し,〈可愛いメリーLittle Mary〉と呼ばれて人気を得,その後,アメリカ映画初期の各社を転々として,17年にファースト・ナショナル社と契約したときは1本の出演料が35万ドル,脚本,監督,共演者の選択権をあたえられるという破格の〈出世〉ぶりで,《農場のレベッカ》《小公女》(ともに1917),《闇に住む女》(1918),《春のおとずれ》《孤児の生涯》(ともに1919)といった彼女の代表作となる数々の作品を通して,〈チャイルド・ウーマン(子どものような女)〉の魅力で(《ポリアンナ》(1920)では27歳で12歳の役を演じた),世界的な人気スターになった。19年,すぐれた映画をつくることを目的にかかげて恋人の俳優ダグラス・フェアバンクス,監督のグリフィス,チャップリンと4人でユナイテッド・アーチスツ社を設立。実業家ではなく〈芸術家(アーチスツ)〉の結束による最初の映画会社としてグリフィスの《散り行く花》(1919),《東への道》(1920),チャップリンの《巴里の女性》(1923),《黄金狂時代》(1925)などを世に送った。…
…日本ではユナイト映画の略称でも通じている。1919年,当時のアメリカの代表的映画人であったチャールズ・チャップリン,俳優のダグラス・フェアバンクス,女優のメリー・ピックフォード,監督のD.W.グリフィスの4人によって設立された。実業家ではなく〈アーチスツ(芸術家たち)〉による最初の映画会社で,質的にすぐれた映画の製作を目的に,ハリウッドの〈撮影所システム〉に従属せず,みずからの手で製作資金を調達し,みずからの手でその作品を配給することをモットーとし,撮影所も所有せずに必要に応じて施設を借り,むだな間接費をはぶく政策をとった。…
※「フェアバンクス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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