翻訳|Eskimo
ベーリング海峡地域から,アラスカ,カナダの北極海沿岸,ラブラドル,グリーンランドにいたる極北地方に居住する採集狩猟民。エスキモーという名称はアルゴンキン系インディアンのアブナキ語やオジブワ語などの〈生肉を食べる人〉を意味する語に由来するとされたため,カナダのエスキモーはその使用を避けて〈人間〉という意味の〈イヌイットInuit〉と自称し,現在では公的にもこれが用いられている。しかし,最近では,エスキモーという言葉は〈かんじき〉を意味する語に関係があり,侮蔑的なニュアンスはないとする解釈が一般的である。また,アラスカではエスキモーが,グリーンランドではカラーリットKalaallit が一般的呼称とされている。エスキモーは,文化や言語から,西部のユピックYupikと東部のイヌイットに別けられ,カラーリットはイヌイットに属する。2009年のエスキモー全体の人口は,シベリア最東端に居住するシベリア・エスキモーを含めて約15万5000人で,人口増加率は他の集団に比較してかなり高い。エスキモーは近縁のアレウト族とともに,その寒冷適応型の文化や身体的特徴がアメリカ・インディアンとは異なる点が多いことから,アメリカ・インディアンの祖先より後で移住してきたアジア人を祖先にもつと考えられている。
→アメリカ大陸先住民
執筆者:小谷 凱宣+多賀谷 昭 エスキモーの居住地域は,アラスカを除いて森林限界以北のツンドラ地帯で,ほぼ永久凍土帯に相当する。河川沿いのヤナギ類の灌木のほかは樹木は少ない。気候は長く厳しい冬と,短く冷涼な夏に特徴づけられ,南アラスカ以外では冬季には海岸は海氷におおわれる。南アラスカは海洋性気候のため比較的温暖で,冬季の海氷はほとんど見られない。
ヨーロッパ人が最初(10世紀ごろ)に接触したのは,グリーンランドやラブラドルのエスキモーであった。その後,北西航路(ヨーロッパから北西に航海して,アメリカ大陸の北を経由し,太平洋,アジアに達する航路)の探索や科学的探検隊の派遣により,しだいにエスキモー文化が明らかにされた。一連の探検隊のなかで最も著名なのは,1920年代に派遣された第5次チューレ探検隊で,その中心になったのはグリーンランド出身のラスムッセンKnud Johan Victor Rasmussen(1879-1933)であった。彼はカナダのバレン・グラウンズのカリブー・エスキモーなどの調査をした後,北極海沿いに犬ぞりでアラスカのシューワード半島まで行き,東エスキモー語が広い地域で通用することを実証する結果となった。一方,アラスカ・エスキモーの調査は19世紀半ばごろから始まったが,東部のエスキモーに比べ調査の歴史は浅い。
伝統的なエスキモー文化の特徴は,東部のエスキモーの調査に基づいて,冬の海への適応にあるとされる。海氷上に開けた呼吸孔にくるアザラシを独特な回転離頭銛を使用して捕獲する海獣狩猟と,春と秋に移動するカリブーを河川,湖沼,囲いなどに追い込んで捕獲する狩猟が生業の基盤であった。海岸地方や河川の中・下流ではサケ・マスなどの漁労活動が,北西アラスカでは捕鯨も行われた。例外は内陸に居住するカリブー・エスキモー(カナダ)とヌナミウト・エスキモー(アラスカ)で,主として内陸のカリブー狩猟に依存していたが,海の産物も交易により入手していた。アザラシやカリブーは食料や衣服,道具の原材料に用いられた。カリブー,アザラシの肉はナイフで細かく切って生食されたが,石ランプ上の土鍋で煮沸もされた。サケ・マスなどの魚は乾燥・薫製にして保存され,アザラシの脂肪とともに食に供された。植物性の食料は野イチゴなどに限られていた。伝統的な衣服はすべて毛皮製であった。カリブーやアザラシのなめした毛皮を裁ち,腱の糸で縫い合わせた。とくに上着はフード付きのコート様のものであった。手袋は毛を内側にしたミトンであった。靴はアザラシの毛皮で作られ,靴下に相当する中ばきが用いられた。いずれも体の周辺に何枚かの空気の層を作り,毛皮と空気のもつ断熱性,保温性を最大限に利用した優れた衣服であった。冬の住居は地域により変異があった。アラスカやグリーンランドでは石,流木,鯨骨を使った半地下式の芝土でおおった住居で,中央に炉のある部屋と寒気よけの地下道式の入口をもつ構造であった。カナダのハドソン湾周辺は例外で,雪のブロックを積んだ家(イグルー)が用いられた。夏の漁労・狩猟には海岸,河岸の乾燥地で毛皮製のテントが使用された。石ランプが暖房,照明,調理のための道具であった。冬の交通手段はカンジキ(スノーシュー)と犬ぞりであった。犬ぞり用の犬の編制法は東部では扇形,西部では縦形の差がある。無氷期の交通にはウミヤックとともにカヤックも用いられていた。両者とも海上における狩猟と捕鯨にも使用された。交易などのためにかなりの人口が一定の場所に季節的に集まることはあったが,エスキモーの基本的な社会集団の単位は小さく,数家族からなる季節的に遊動する小バンドであった。しかし,北西アラスカでは,ウミアリクとよばれる捕鯨の指導者を中心に,かなりの数の労働集団が構成されていた。
伝統的な冬の海への適応と内陸のカリブー猟がどのくらい古くから成立していたかを求めて,F.レーニー,H.B.コリンズ,J.L.ギディングス,D.デュモンらにより考古学的調査が行われてきた。その結果,前3千年紀に始まり,現在のエスキモーの居住域とほぼ分布が一致する極北小型石器文化をエスキモー文化の最古のものとみる説と,海への適応がアラスカではそれよりも古いオーシャン・ベイ文化期(前4千年紀)から始まっており,しかも極北小型石器文化の起源が必ずしも明らかでないことを根拠に,エスキモー文化の最古層を前1000年ごろに始まるノートン文化に求める説とがある。ベーリング海地域でノートン文化の基盤の上に発展した後のチューレ文化(1000B.P. 以降)は,比較的短期間にエスキモー全地域に伝播し現在のエスキモー文化の基礎となった。
伝統的なエスキモー文化は外部からの諸影響により大きな変化を遂げた。生活の必要物資が外部からもたらされ,貨幣経済に組み込まれるにつれて,エスキモーが雇用の機会に恵まれた地点へ集中する現象がおこり,最近では遊動性を喪失して定着化する傾向が顕著になった。政府の援助により暖房設備付きの木造家屋が普及し,伝統的な石造りや流木で造った半地下式の芝土の住居はほとんど姿を消した。食料も外部から持ち込まれる小麦粉や砂糖などのデンプン食品や,缶詰,野菜などが普及した。衣服もほとんど外部から持ち込まれている。交通手段も,伝統的な犬ぞりに代わって小型の雪上車が使用され,ウミヤックやカヤックに代わって船外モーター付きの金属製のボートが普及している。各地には飛行場や学校も建設され,定期的に物資や郵便物が送り込まれている。しかし,風疹,痘瘡,性病,結核などの伝染病も新たに持ち込まれ,社会問題となっている。社会組織も大きな変化を遂げた。とくにアラスカでは原住民の土地所有権が法的に確認され,原住民は村落会社,地域会社に組織化された。そのため一地域会社は数千人の住民で構成され,伝統的な小バンド社会とは異次元の問題に直面している。また,現金収入を求めて,工芸品や美術品の制作も行われている。例えば,カナダ・イヌイットの石彫品,版画などは原始美術としても収集の対象にされているが,彼らの世界観の表現としても注目されている。
執筆者:小谷 凱宣 近年先住民族が自らの直面する諸問題を解決するために連帯する活動がさかんであるが,アラスカ,カナダ,グリーンランドのイヌイット(エスキモー)の代表者は,1977年6月,アラスカのバローで〈イヌイット周極会議Inuit Circumpolar Conference〉(略称ICC)を設立し,89年からはシベリア・エスキモーも参加している。環北極圏の環境問題,捕鯨の権利の擁護など共通の課題をめぐって活動している。また,カナダのノースウェスト・テリトリーズでは,その東部・中部を分離して1999年にイヌイットの準州ヌナブトNunavtが設置された。
執筆者:松田 文彦
儀礼を行うための特別の冬の家(カシム)で,太鼓の伴奏で歌い踊る情景がエスキモーの伝統的芸能を象徴している。シャマニズムと採集狩猟の生活を映し出しているこの〈太鼓踊歌〉は,比較的明瞭にその地域的特徴を示している。例えばアラスカでは,歌い手(太鼓の打ち手でもある)と踊り手が別々であるが,カナダやグリーンランドでは1人で太鼓をたたき,歌い,踊るのが普通である。歌の旋律は5音音階を基に,音域の狭い短い動機的音型を繰り返すものが多い。拍子は2拍子を主としているが,拍に長・短があったり,5拍子や7拍子といった変拍子のものがあったりして変化に富んでいる。この〈太鼓踊歌〉は,作った人の名前が長く記憶され,その人に一種の所有権があるのが興味深い。〈太鼓踊歌〉以外の種類としては,〈子守歌〉〈物語歌〉〈シャーマンの歌〉〈遊び歌〉等がある。なかでも〈遊び歌〉は大人の生活にとっても重要なもので,踊りくらべ,歌くらべ等の競技的なもの,物語や情景の描写を紐で綾なす〈あやとり歌〉,アイヌにもあって(レクッカラ)注目されている〈のど鳴し〉等がある。踊りは,一定のパターンを左右シンメトリカルに繰り返す踊りと,物語をもつパントマイム風な動作の自由な踊りとに大別される。いずれも腰を低く落とし,もっぱら,手,腕,腰と上半身を使い,足は床に固定してほとんど動かさない。楽器はアザラシやカリブーの胃袋を使った一面太鼓が唯一のものである。
執筆者:谷本 一之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
極北の狩猟民。約9万人の人口が、西はシベリアのチュコト半島から東はグリーンランドにかけての、高緯度地帯に分布している。この分布帯はほとんどが森林限界以北のツンドラで、エスキモーの先史遺跡の分布もほぼこれと重なる。国籍別にその内訳をみると、ロシア領に約1200人、アメリカ領に約3万4000人、カナダ領に約1万8000人、デンマーク領に約4万1000人である。エスキモーは形質的には比較的均質で、アジア・モンゴロイドの特徴を多く備えている。
[岡 千曲]
「エスキモー」には「生肉(なまにく)を食べる人」という意味があるとする語源的解釈が広く流布するようになり、カナダではこれを差別語として、「人間」を意味する自称「イヌイット」を公称としている。だが最近では「エスキモー」は「かんじきに張る網を編む動作」を意味するモンターニュ語に由来するとの説も有力なものとして認められてきた。また「イヌイット」はグリーンランドからカナダ、北アラスカにかけて分布する集団に限られており、他の集団では「ユッピック」「イヌピアック」などの自称を用いている。さらにグリーンランドやアラスカの先住民は「エスキモー」とよばれることをいとわず、一部ではむしろ「イヌイット」とよばれることをいやがる向きもある。
アイスランドの叙事詩サガによれば、982年、アイスランドの農夫「赤ヒゲのエリック」は殺人のかどで故地を脱してグリーンランドに達し、この島の南西部に植民した。ついで1003年、トールフィン・カールセフニThorfin Karlsefniはビンランド(ニューファンドランド地方と思われる)でバイキングが「スクレーリング」とよんでいた先住民に出会い、彼らの単語を4語記しているが、これがエスキモー語と解釈できる可能性もあるという。
[岡 千曲]
エスキモー文化の起源は、考古学、民族学、言語学などの分野で早くから研究が進められてきたが、現在でも定説をみるに至っていない。考古学的には、概略して以下のことがいえるようである。エスキモーとアリュート(アレウト)人の共通祖先は紀元前8000年以降の数千年の間、パレオ極北伝統とよばれるシベリア起源の石器文化の担い手であった。前4000年ごろになって二つの方向の変化がみられ、アラスカとカナダでは北方アルカイック伝統とよばれる先史文化が生まれて、アリューシャン列島の文化としだいに分岐する。この分岐は言語年代学の推定するエスキモー語とアリュート(アレウト)語の分岐にほぼ対応している。前1000年ごろからドーセット伝統とよばれる氷結した海岸での狩猟に適応した文化が、アラスカ北部からグリーンランドまで急速に展開した。同じころアラスカ西方ではノートン伝統とよばれる海獣狩猟に依存した文化が生まれた。紀元後ベーリング海峡地域にクジラ猟を伴うテューレ伝統の文化が生まれ東西に展開した。これに伴って、後述する東エスキモー語が広域に分布したものと考えられている。
[岡 千曲]
エスキモー語には、たがいに通じない少なくとも五つの(方言というよりは別個の)言語が認められる。差異はおもに音声と語彙(ごい)に生じ、文法の基本には類似性が多くみられる。北アラスカからカナダとグリーンランドにいたる広域には、比較的斉一(せいいつ)かつ連続的な方言群からなる東エスキモー語があり、西エスキモー語群――アラスカ・ユッピック語、スフピアック語、シベリア・ユッピック語、およびシレニック語――と対立する。ただ、語域の最西端に近年まで話されていたシレニック語は、著しい特異性をもち、第三のグループとして独立させることも可能である。他言語との系統関係については、アリュート(アレウト)語と同系であるという以外、なんら確実なことは判っていない。
類型的にみると、一つの語幹に、さまざまな文法範疇(はんちゅう)を示す要素のほか、具体的な概念を表す要素が数多く接尾され、語がきわめて長くなりうる点からいえば複統合的、それら要素の音声的現れ方からすると膠着(こうちゃく)的言語である。自然環境(たとえば「雪」)への適応を反映した特異な語彙の分化がみられるほか、語者の位置および川や海辺を基準にした空間区分が、対象物の動き・広がり・遠近といった特徴によって細分化した複雑な指示詞の体系をもつ。
全体としては、今も大きな活力をもつ言語であるとはいえ、長年の同化政策のために、外来の言語(英、仏、露、デンマーク語)に蚕食され、さらに最近はテレビの浸透のために、その速度が増大してきている。すでに若年層に話し手がいなくなった居住地もアラスカやカナダの一部にはある。近年始まった二重言語教育も、この蚕食をどの程度くいとめうるものか、楽観を許さない。
カナダの一部では、もとオジブワ・インディアンのために考案された独特の音節文字が普及している。アジアはキリル文字、その他はラテン文字が用いられているが、ラテン文字の場合、地域によって正書法はまちまちである。
[宮岡伯人]
エスキモーは大別して三つの生態型に分けられる。(1)海岸でアザラシ、クジラ、セイウチなどの海獣を主として狩猟するグループ、(2)内陸でカリブー狩猟やサケ漁を行うグループ、(3)内陸―海岸の狩猟の双方を行うグループである。(1)のタイプには半定着的なグループもあるが、移動性の高い生活が一般的である。猟獣の季節的移動に応じて集団も移動を余儀なくされるため、生活財は必要最小限にとどめざるをえない。だがその技術文化は「未開社会」のなかでは特異に発達しており、猟具なども用途に応じて特殊化している。これに対して社会は、南アラスカのようなアメリカ・インディアンの影響を受けたと思われる地域を除けば、高度に組織化されることはない。分業はおもに性の原理に基づき、男が狩猟によって妻子や労働能力のない親族を養い、女は縫い物や料理を分担する。階層的分化も一部の地域を除いてはみられず、判断力に優れた者が政治的リーダーとなる程度である。人々の日常生活は、複数の核家族の集団であるバンドを単位としている。この構成家族は季節的移動に応じて増減する。また、エスキモーのそれぞれのバンドは、地名のあとに「……に住む人々」を表す接尾辞「―ミウト」をつけてよばれる。アラスカでは、ニガウとよばれる姻族関係(義父―娘婿、義兄弟)の連鎖で構成されることが多い。婚姻後は妻方居住方式を採用するのが一般的である。子供は父方、母方の双方に等しく帰属(双系出自)し、クランやリネージのような単系血縁集団は形成しない。エスキモー社会は従来「原始共産制社会」とされてきたが、その最大の理由は、獲物が、しとめたハンターの排他的所有にならない点にある。獲物はその大きさによって分配される。大型の場合はバンド全体に分配され、小型の動物は分配されない。生活財のほとんどは私有され、所有者を標示する占有標をつける慣行もある。家族の私有財は限られており、そり1台に乗せられるほどのものである。特殊な呪語(じゅご)も私有財とされ、他の財との交換の対象となっている例もある。犯罪者に対する法的制裁を行う機関は存在しない。殺害者に対する制裁は犠牲者の近親者の復讐(ふくしゅう)にゆだねられる。
エスキモーをめぐる生態的状況は過酷であるため、集団の規模の上限といったものが暗黙裏に設けられている。かつて一部のグループでは許容の上限を超えた場合には、人為的に嬰児(えいじ)殺しでコントロールされる慣行があった。対象となるのは生後まもない女児で、結果として適齢期の男女比のアンバランスという事態を招き、これが一部に一妻多夫という特異な婚姻形態を生むことにもなった。日常的な社会関係はほとんどバンド内で結ばれるが、ときにバンドを超える関係も設定される。北アラスカでは海岸のバンドと内陸のバンドが制度化された交易関係をもち、互いに、ないものを補い合っている。また他のバンドに友情関係に基づくパートナーをもっている者もある。
[岡 千曲]
エスキモーは、人間や動物だけでなく鉱物のような無生物、あるいは睡眠や食事といった行為にも、イヌアとよばれる本質の存在を認めていた。たとえばイグルーリックでは、人間のイヌアは人間のミニアチュア、カリブーのイヌアはカリブーのミニアチュアとして表象されており、これが当のものにその外観、思考、力、生命を付与していると考えていた。人間はイヌアのほかにも名前をもち、これによって知恵や技術を授けられている。このように動物にも肉体以外の本質を認めることから、狩猟という行為も今日のスポーツハンティングとはまったく異なる意味を帯びてくる。エスキモーは狩猟において動物のイヌアと関係することになり、これを傷つけないようデリケートな配慮が要求されるのである。さまざまな狩猟儀礼や入念なタブー・システムの存在理由もそこにある。ベーリング海地方のエスキモーは秋に膀胱(ぼうこう)祭を行う。このときはそのシーズンに殺したヒゲアザラシの膀胱を氷の穴から海に沈め、シャーマンがきたるべき豊猟を祈る。チュガチ・エスキモーでは狩ったクマの頭部はその場で内陸のほうに向けて残しておく。これらはいずれも、動物のイヌアをしかるべく本来の所へ戻してやり、将来、肉をつけて再来することを期待した行為である。
また狩人(かりゅうど)は狩りの前後はとくに厳格なタブーを遵守しなくてはならない。とりわけ月経中の女性との接触が忌まれる。カナダ中東部のイヌイットではタブーを犯すと、海の底に住んでいる女(セドナ)の怒りを招き、結果として地上から獲物がいなくなると信じられていた。セドナは、とくに海岸部のエスキモーでは海の動物たちの主とされており、アザラシやクジラなどの海獣は彼女の指の切断された各関節から化成したという神話が広く分布している。セドナは、エスキモーがもっとも畏(おそ)れ、敬意を払わねばならぬ対象となっている。不猟、悪天候、病気といった災厄はセドナをはじめとする超自然的存在者が差し向ける現象とされており、これに対処する中心的存在がアンガコクとよばれるシャーマンである。アンガコクは内なる光を宿した人間で、常人に見えないものを視(み)、過去・未来を見通し、常人に近づけない所へ行く能力をもっていると信じられていた。不猟のときには巫儀(ふぎ)を行って海底へ下降し、セドナの機嫌を取り結んで地上に豊猟を回復する。あるいはタブー侵犯を告白させて人々の病気を治したりもする。
[岡 千曲]
『宮岡伯人著『エスキモー 極北の文化誌』(1987・岩波新書)』▽『本多勝一著『カナダ=エスキモー』(1981・朝日新聞社・朝日文庫)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…エスキモー・アレウト語族に属し,シベリアのチュコート半島,南西および北アラスカ,カナダ極北(ラブラドルを含む),グリーンランドで約8万(1982推定)のエスキモーが話す5ないし6の言語の総称。話者の数でいえば,チュコート半島には少なく,北アメリカ大陸北辺とグリーンランドが語域の中心である。18世紀以来,白人との接触の結果,ヨーロッパ系言語に蚕食されてきてはいるが,全体としてはいまも大きな活力をもつ。…
…南・北両アメリカの原住民。人類学上はエスキモーとアレウト族を除く諸民族のことをいうが,一般には含める場合もある。そのなかで,北アメリカの原住民をアメリカ・インディアン,中南米の原住民をインディオと呼ぶのが日本では普通である。…
…刃状のものと針状のものとに大別できる。エスキモーをはじめとする極北やシベリアの諸民族には非常に独特な技法が見られる。糸に色料を塗り付け,針で皮膚を縫い,色素を皮下に定着させるのである。…
…しかし現在もなおロシアは世界有数の毛皮産出国であり,幾種類かの高級毛皮を国際市場に送りだしつづけている。【松木 栄三】
[エスキモー]
エスキモーをはじめ北方民族で最も愛用されているのは,優れた保温力をもつカリブー(トナカイ)の毛皮であろう。次いでアザラシの皮が多用されている。…
…後者の場合は,結婚した幾人かの息子がその父親のキャンプに屋根だけを別にしてとどまるところから生じた,一種の父系的大家族であって,その大きさは10人ないし20人余りくらいを常とする。極北の環境にかなり高度の技術をもって異常な適応をしめしたエスキモーの単位的社会集団もせいぜい20戸から30戸くらいの小部落の範囲をこえず,氏族にあたる組織をもたない。 以上のような採取狩猟民にあっては,一定面積内で可能な食糧獲得の制約が,人間の単位的結合の限界を規定しているもののごとく,言語や生活様式の共同にもとづいて第三者が部族とよぶようなカテゴリーも,彼ら自身にあっては,なんら社会構成上の意義はもちえないのである。…
…
[地域の自然と建築材料]
その土地に長く生き続けてきた住居を見ると,その材料はまちがいなくそこに豊かに存在してきた物を利用している。その典型には,有名なエスキモーのイグルー(カナダのキング・ウィリアム島,メルビル半島を中心とした地域の人々が主としてつくる)がある。無尽蔵にある雪を用いて,5,6人用の雪の家が,一人の力で2時間たらずでつくられる。…
…【永田 雄三】
【狩猟民】
およそ1万年前に農耕や牧畜の生産手段が出現するまでの,人類300万年の歴史の99.7%を支えてきた採集狩猟の生活様式は,現在ほとんど姿を消し,ごく少数のグループのみが砂漠や熱帯降雨林,極北の氷原など,農耕にも牧畜にも不適な生活条件の厳しい辺境の地にのみ残存している。 エスキモーは極地の狩猟民として有名である。犬ぞりやカヤック(皮張りのボート)といった移動運搬手段,独特な住居と衣服,海獣の脂肪を燃やしての暖房,離頭式の銛(もり)などの精巧で複雑な狩猟具等,狩猟民としては最高度の物質文化と技術を保有し,寒冷気候への徹底した適応を遂げている。…
…極北小型石器伝統は南西アラスカやアラスカ半島から,北極海沿いに,北アラスカ,カナダの北極海諸島,グリーンランドまで広く分布する。この分布域が歴史時代のエスキモーの分布地域とほぼ重なるため,エスキモー文化の最古層を表すものと解釈され,エスキモー文化の起源を示すものとされてきた。極北小型石器伝統は,前1000年ころ,つぎのノートン伝統へと発展してゆく。…
…ミクロネシアではメラネシア人種と混血したと考えられる。エスキモーは北モンゴロイドと類似するが,極端な狭鼻で,B型が少ない。アメリカ・インディアンはすべて氷河時代末期にアジアから移住した人々の子孫で,1人種にまとめられているが,北アメリカでは比較的背が高く,南アメリカでは低く,西は短頭,東は長頭傾向という違いがある。…
※「エスキモー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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