ホイッグ党(読み)ホイッグトウ(英語表記)Whig Party

デジタル大辞泉 「ホイッグ党」の意味・読み・例文・類語

ホイッグ‐とう〔‐タウ〕【ホイッグ党】

Whig》英国の政党。1680年ごろ、都市の商工業者や中産階級を基盤に形成され、議会の権利や民権の尊重を主張、トーリー党と対立しつつ英国議会政治を発展させた。1830年代から自由党と改称、近代的政党に脱皮した。

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精選版 日本国語大辞典 「ホイッグ党」の意味・読み・例文・類語

ホイッグ‐とう‥タウ【ホイッグ党】

  1. ( ホイッグはWhig )
  2. [ 一 ] イギリスの政党。一六七九年ごろ資本家や中産階級を基盤として形成され、トーリー党と対立しつつイギリス議会政治を発展させた。一八三〇年代から自由党と改称、近代的政党に脱皮した。
  3. [ 二 ] アメリカ合衆国の政党。一八三四年ジャクソン大統領に反対する諸勢力が結成。その中核は国民共和党ハリソンテーラーを大統領に当選させた。が、奴隷制問題について態度を明確にせず、その後、衰えて五四年に新結成された共和党に吸収された。

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改訂新版 世界大百科事典 「ホイッグ党」の意味・わかりやすい解説

ホイッグ党 (ホイッグとう)
Whig Party

イギリス自由党の前身。その起源はピューリタン革命期の議会派にまでさかのぼることもできるが,この名称は1680年ごろから使われはじめた。ピューリタン革命後,国王反対勢力は一時完全に押さえこまれていたが,1670年代初めから勢力を盛りかえし,70年代末にはチャールズ2世の王位継承候補者からヨーク公(のちのジェームズ2世)を排除しようという大運動を展開するに至った。その中心勢力につけられた蔑称がホイッグで,語源はスコットランドの反徒ホイッガモアWhiggamoreである。その支持基盤は初期産業資本および商人層で,のちには貴族や大地主層の一部を含むようになる。宗教的には英国国教会の中のリベラルな層と非国教徒を含み,政治的には共和主義者をも含むが,中心は制限王政論者である。

 1688年の名誉革命トーリー党の協力を得て成功したものの,基本的にはホイッグ路線の勝利を意味した。とくに,血統による王位継承という原理を否定し,議会の決定によってウィリアム3世を即位させたということは,ホイッグの主張する社会契約論の実践ともいいうるものである。名誉革命以後,アン女王の時代には一時トーリー党が勢力を回復したが,その後,ハノーバー家のジョージ1世が即位するにおよんでホイッグ党の優位は決定的となり,とくにウォルポール内閣の時代(1721-42)にはトーリー党を完全に押さえこんだ。当時の政党は,近代的政党とは異なり綱領や規約などをもたず,有力政治家の率いる派閥の連合のようなものであった。ウォルポールの引退後,政治情勢が流動化するにつれて,ホイッグとしてのまとまりがゆるみはじめた。1762年,ジョージ3世がトーリー党のビュート伯を首相に任命するにおよんで,トーリーと連立しようとする保守派と,ロッキンガムを中心とする改革派との間に亀裂が生じ,ホイッグ党はほぼ分裂状態となり,以後1830年までトーリー内閣が続いた。しかし,トーリー党もブルジョア階級の興隆とともに変質しはじめており,1820年代には自由主義的傾向を強め,ホイッグ党との差は希薄になっていた。30年にグレーは自由主義的トーリーを抱きこんで政権を握り,32年に第1次選挙法改正に成功した。このころからホイッグ党は自由党とも呼ばれるようになり,性格がややあいまいになるが,穀物法撤廃などの自由主義的政策を推進し,60年代にグラッドストンのもとで自由党へ完全に脱皮した。
自由党
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百科事典マイペディア 「ホイッグ党」の意味・わかりやすい解説

ホイッグ党【ホイッグとう】

(1)近代英国の政党Whig。1679年ころ旧教徒のジェームズ(のちの2世)の王位継承に反対する反王権派が組織。主として都市の商工業者,非国教徒の支持を得てトーリー党と対立。名誉革命後に発展し,ハノーバー朝時代にウォルポールの指導で全盛期を迎えた。18世紀後半分裂して衰退したが,産業革命後は自由主義的改革を唱え,自由党に発展した。(2)米国建国初期の政党。1830年代初め,ジャクソンと民主党に反対する勢力が形成。国民共和党が中心となり,H.クレーとD.ウェブスターが指導。1840年,1848年の大統領選挙に勝ったが,1850年代半ばの政党再編成期に消滅した。
→関連項目エディンバラ・レビューグロートシャフツベリースウィフト

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホイッグ党」の意味・わかりやすい解説

ホイッグ党(アメリカ)
ほいっぐとう
Whig Party

アメリカ合衆国第7代大統領アンドルー・ジャクソンに反対する諸勢力が結集して形成された政党。合衆国銀行特許延長法案拒否のような強力な行政権限を行使したジャクソンを「アンドルー王」と決めつけ、その支持者をイギリスのトーリー党になぞらえ、これに抵抗するものとして自らを「ホイッグ」と名のった。「国民共和党」と「反メーソン党」という北部に中心拠点をもつ二つの政党が合体して生まれた政党で、ニュー・イングランドのウェブスターやアメリカ体制論者ヘンリー・クレイらが指導したが、多数派形成のためカルフーンのような強硬な南部州権論者をも吸収したため、結集力は弱かった。

 最初、党派としては1834年ニューヨーク市選挙で現れ、他の諸州へも勢力を伸ばし、40年ハリソンを大統領に当選させ、議会をも支配した。しかし、ハリソンが就任直後急死し、念願の合衆国銀行再建法は大統領昇任直後の南部州権論者タイラーの拒否権発動によって葬られ、国務長官を除く全与党閣僚が辞任した。ホイッグ立法としてみるべきものは、短期間関税引上げに成功したくらいであった。その後48年の選挙でテーラーを大統領に当選させたが、党内対立を克服できず、50年代の奴隷制反対勢力の台頭に伴う政界再編成のなかで解体し、リンカーン、シュアード、グリーリーのような北部の党員はほとんど共和党に移った。しかし、アメリカ二大政党制度の特徴とされる猟官制(スポイルズ・システム)、党大会制度、選挙の際のもろもろの大衆動員戦術等が、このホイッグ党と相手の民主党との競合関係のなかで定着した点は、政党史上画期的なできごとであった。

[安武秀岳]


ホイッグ党(イギリス)
ほいっぐとう

イギリスの政党。自由党の前身。1670年代末、カトリック教徒の王弟ジェームズを王位継承者から除こうとした政治家が、スコットランドの反徒を意味する「ホイッグ」Whigという名でよばれたことに由来。対立するトーリー党が王権を尊重したのに対し、ホイッグ党は議会による王権の制限を主張し、名誉革命(1688~89)で議会政治が確立して以後、力を伸ばした。基本的には大地主、貴族の党であったが、商工業階級や非国教徒の支持も受けた。1714年にドイツからハノーバー朝を迎えてからは、同王朝の支持者として半世紀にわたって政権を独占し、ウォルポール以下の首相の下で内閣制度を発展させた。1760年のジョージ3世の即位以後は野党に下ることが多くなったが、この不遇期に、有力貴族を中心とする私的党派から、より近代的な政党に脱皮を遂げた。18世紀末から改革の党としての性格を徐々に強め、19世紀に入って、産業革命期の社会的変化に応じた政策を推進する自由主義的な政党となった。1832年には選挙法改正を実現し、やがて急進派と合流し自由党とよばれるようになるが、それ以後も「ホイッグ」という名が、ホイッグ党の伝統をくむ穏健派の政治家に対して使われた。

[青木 康]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホイッグ党」の意味・わかりやすい解説

ホイッグ党[イギリス]
ホイッグとう[イギリス]
Whig Party

イギリスの政党。 17世紀末に形成され,トーリー党と対立した。もともと馬どろぼうの意で,スコットランドの長老派の反乱者につけられた名称であったが,王位継承排除法案をめぐる議会内の争いで,初代シャフツベリー (伯)の率いる支持派を罵倒する言葉として使用され,定着した。商工業者や非国教徒に支持され,王権制限,議会主権,宗教的寛容,非国教徒擁護を主張。 1688年の名誉革命でホイッグ党の路線が勝利したため,ハノーバー朝成立以降は,R.ウォルポールを代表におよそ半世紀政権を掌握した。 1760年代のジョージ3世の治世にトーリー党に反撃されて分裂し,特にピット (小)内閣の出現以後トーリー政権の時代が続き,19世紀に入っても,フランス革命に対する国民の反作用もあって不振であったが,1830~40年における一連の内政改革,特に選挙法改正 (1832) によって新たな勢力を獲得。自由主義的な政策を主張し,やがて自由党に脱皮した。

ホイッグ党[アメリカ合衆国]
ホイッグとう[アメリカがっしゅうこく]
Whig Party

反ジャクソン派が結成したアメリカの政党。 1829年に大統領に就任した A.ジャクソンは与党である民主党に援護されて革新的な政策を強力に推し進め,これに反対する政治家たちは,国民共和派 National Republicansを組織して対抗し,32年の大統領選挙には H.クレーを候補に立てて争った。しかしこれに敗れたため,34年クレーが中心となりすべての反ジャクソン勢力を呼び集めて,一段と強力なホイッグ党を結成した。このような古びた党名を採用したのは,強大な政府権力に抵抗して自由を擁護したイギリスのホイッグ党のイメージを民衆に植えつけるためであった。 40年の大統領選挙には W.H.ハリソンを候補に立て,勝利したが,ハリソンは就任1ヵ月後に死亡。 44年には再びクレーが大統領候補となったが,民主党の J.K.ポークに敗れた。 48年アメリカ=メキシコ戦争の英雄 Z.テーラー将軍を指名し大統領選挙を勝利に導いたが,50年頃から奴隷問題で分裂し,さらに 52年の大統領選挙でも敗れたため,ついに解散するにいたった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ホイッグ党」の解説

ホイッグ党(ホイッグとう)
Whig

①〔イギリス〕イギリス,自由党の前身。1670年代末に王弟ジェームズ(のちのジェームズ2世)を王位継承から排除する法案に賛成する人たちで結成。反対派から「スコットランドの暴徒」をさす言葉で呼ばれたのが党名の由来。大地主を中心とする党であったが,トーリ党に対抗しつつ,商工業者と非国教徒の利害に配慮した政策を推進し,18世紀にはウォルポールのもとで優位を占めた。産業革命後の1830年代から選挙法改正をはじめとする自由主義的改革を推進し,自由党結成の主要勢力となった。

②〔アメリカ〕反ジャクソン派が1830年代初めに形成した政党。初め国民共和党と称したが,まもなくジャクソン大統領の「専制」に対抗するという意味でホイッグと称するようになった。50年代の政党再編成期に姿を消した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ホイッグ党」の解説

ホイッグ党
ホイッグとう
Whig Party

17世紀後半に形成されたイギリス自由党の前身
チャールズ2世の弟でカトリックのヨーク公ジェームズの王位継承権を否定しようと運動するグループにつけられた蔑称。産業資本家や商人層が支持基盤で,国教徒内のリベラル層と非国教徒からなる。王権派のトーリー党に対し,議会の権利を重視するホイッグ党の二大政党対立が1679年の議会内に現れた。名誉革命においては中心的役割を果たし,ウィリアム3世を国王に擁立した。1714年のハノーヴァー朝擁立後,約50年間はホイッグ党の全盛時代であった。その後トーリー党政権が続くが,1830年に成立したホイッグ内閣は,32年選挙法改正(第1回)を成立させた。以後トーリー党進歩派を含めて自由党となる。

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世界大百科事典(旧版)内のホイッグ党の言及

【イギリス】より

…正式名称=グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland面積=24万4792km2人口(1996)=5848万9975人首都=ロンドンLondon(日本との時差=-9時間)主要言語=英語通貨=ポンドPoundヨーロッパ大陸の西方に位置する立憲王国。正式の国名は〈グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国〉で,〈英国〉とも呼ばれる。…

【自由党】より

…イギリスの政党。前工業化段階に生まれたホイッグ党の工業化社会における発展形態で,19世紀から20世紀の初めにかけて,保守党とともにイギリスの二大政党制を担った。その歴史は,1870,80年代を境に大きく二つに分けて考えることができる。…

【政党】より

…イギリスの場合,のちの保守党,自由党へと発展していくトーリー派とホイッグ派の対立は,17世紀に始まる。そして18世紀初頭のR.ウォルポールや,18世紀末から19世紀初頭のW.ピット(小)の活躍により,議会内の多数派が政権を担当する議院内閣制が確立するに至り,さらに1830年の総選挙でのトーリー党の敗北によって,50年ぶりにホイッグ党が政権に復帰し,32年の選挙法大改正前後のころから保守党と呼ばれるようになったトーリー党とホイッグ党の交互の政権担当により,〈議会主義の黄金時代〉が現出されることになった。この間に,ホイッグ党は,19世紀半ばころから自由党と呼ばれるようになるが,やがて19世紀から20世紀への移りめの時期における,労働者階級に基盤をおく政党の急速な台頭によって,イギリス政党制は新しい段階に入ることになる。…

※「ホイッグ党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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