フェルナンデスデコルドバ(その他表記)Gonzalo Fernández de Córdoba

改訂新版 世界大百科事典 の解説

フェルナンデス・デ・コルドバ
Gonzalo Fernández de Córdoba
生没年:1453-1515

スペインの軍人グラン・カピタン通称で知られる。イスラム教徒国境を接していたスペイン南部のアンダルシアに生まれ,20歳でイサベル1世のもとに呼ばれ,ポルトガルとの戦い(1479)とグラナダ征服戦(1481-92)で大いに頭角を現した。次いでイタリア南部ナポリ王国をめぐって1495年フランスとの戦端が開かれるや,イタリアに派遣され,1503年同地におけるスペインの支配を確立した。この間に歩兵部隊をドイツのそれにならって改革し,また銃砲装備の強化と戦術の近代化を行って,以後150年間無敗を誇るスペイン陸軍の基礎を据えた。イタリア情勢が収拾に向かい始めると,その後の政策をめぐってフェルナンド2世と対立,その忠誠心に不安を覚えた王は,1507年ナポリからスペインへ帰国のおりに同行を命じた。帰国後の彼は王から遠ざけられ,追放同然の晩年失意のうちに送った。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

フェルナンデス・デ・コルドバ
Fernández de Córdoba, Gonzalo

[生]1453.9.1. コルドバ
[没]1515.12.1./1515.12.2. グラナダ
スペインの軍人。「大将軍」と呼ばれた。13歳でカスティリア宮廷に出仕し,1474年に女王に即位したイサベル1世に仕えて軍人として頭角を現した(→カスティリア王国)。カスティリアの国土回復運動終止符を打ったグラナダ戦争に参加し,1492年のグラナダ開城に際して交渉の任にあたった(→グラナダ王国)。その後,ナポリ王国をめぐるフランス軍との交戦で活躍。スペインはナポリ王国分割でフランスと合意したものの再び争いとなり,1503年,夜襲によって強大なフランス軍を撃退,ナポリ王国を征服した。1507年,フェルナンド2世(カトリック王)にナポリ総督職を解かれたが,1512年のラベンナの戦いののち再び軍の指揮権を与えられた。

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