フランダン
Pierre-Étienne Flandin
生没年:1889-1958
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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フランダン
ふらんだん
Pierre Étienne Flandin
(1889―1958)
フランスの政治家。弁護士から下院議員(1914~1940)となる。穏健保守派の民主同盟の領袖(りょうしゅう)として閣僚を歴任したのち1934~1935年首相を務めた。長く親英派と目されていたが、1938年のミュンヘン協定を歓迎したばかりでなく、ビシー政府の外相を短期間ながら務めた。そのため第二次世界大戦後は対独協力の責任を問われて裁判にかけられ5年間の公民権剥奪(はくだつ)の判決を受けるが、執行は猶予された。
[平瀬徹也]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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フランダン
Flandin, Pierre Étienne
[生]1889.4.12. パリ
[没]1958.6.13. サンジャンカップフェラ
フランスの政治家。弁護士を経て,1914~40年下院議員。 24年以降商工相,蔵相などを歴任,34~35年首相兼外相。 35年仏ソ相互援助条約を締結,35~36年無任所相,外相。 36年ドイツのラインラント進駐後,ドイツのヨーロッパ制覇は不可避と確信し,イギリス,フランスの共同行動を提唱したが失敗。フランスの降伏後 40~41年ビシー政府の外相をつとめた。 46年5年間の市民権停止に処されたが,レジスタンス運動に好意的であったことから撤回された。主著"Politique française 1919~1940" (1947) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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フランダン
生年月日:1889年4月12日
フランスの首相兼外相
1958年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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