改訂新版 世界大百科事典 の解説
フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ
Francesco di Giorgio Martini
生没年:1439-1501
ルネサンス時代のイタリアの画家,彫刻家,建築家,築城技師。シエナに生まれ,シエナ派の画家ベッキエッタVecchiettaに師事し,タッコーラTaccolaの技術書を学んで技師としての素養を修め,1476年からウルビノ公フェデリゴ・ダ・モンテフェルトロに宮廷建築家として仕えた。その領内,近隣地で教会堂,城塞,橋梁,水利工事を数多く手がけたのち,80-90年代のイタリア建築界における大家として各地で厚遇され,多彩な活動によってルネサンス様式波及に大きく貢献した。築城技師としては,火薬兵器の発達に対応するため,攻撃目標となりやすい従来の高い城塞を廃し,低く厚い堡塁と敵軍への側面攻撃に有利な稜堡をもつ近代的軍事城塞の基本形式をつくり出した。多くの手稿,素描を残したが,なかでも,現在知られるウィトルウィウス《建築十書》の最初のイタリア語訳(1482ころ),《建築論》が注目される。初期ルネサンス三大建築書の最後に位置する《建築論》は,アルベルティの理念的傾向,フィラレーテの物語的傾向に対して,技術的,実際的傾向を示し,多様な築城形態の例示や都市平面の影響はペルッツィ,セルリオ,スカモッツィ,ドロルムらに及んだ。代表作として,絵画に《キリスト降誕》《笞刑》,建築にパラッツォ・ドゥカーレ(ウルビノ)の中庭,サンタ・マリア・デレ・グラーツィエ・アル・カルチナイオ教会(コルトナ),サン・レオの城塞,モンダビオの城塞等がある。
執筆者:日高 健一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報