一般にはラテン語のパラティウムpalatiumを語源とするパレスpalace(英語)、パレpalais(フランス語)、パラストPalast(ドイツ語)と同じく各国共通の用語で、宮殿を意味する。元来パラティウムはローマにある一つの丘の名称(固有名詞)であるが、ここに古代ローマの諸皇帝の住居が建てられたことから、宮殿を意味する普通名詞としても使われた。一方、建築史のうえでとくにパラッツォの語を用いる場合には、イタリアの中世からルネサンスにかけて造営された宮殿に限らず、政庁舎から個人邸宅までを含む都市建築を総称する。
中世のイタリア、とくにトスカナ以北の内陸地方では、混乱の時代を反映して、パラッツォに高塔を併設して壁体を厚く巡らし、窓を上階にあけて防御体勢を整える形式が流行した。一方、商港都市ベネチアでは、開放的な外廊を巡らして軽快な外観をみせ始め、この種の平面プランは同地において長く行われた。13世紀末になると、ロンバルディア地方に都市政庁としての独特のパラッツォ形式が定着する。二階建て長方形で、一階には外廊を巡らし、二階には単一の広間が開ける単純な形式であったが、のち地域により多様な変貌(へんぼう)を遂げた。
15世紀に入ると、トスカナ地方、とくにフィレンツェにおいてパラッツォは都市建築のもっとも重要な課題となるが、当地のこの種の建造物には次のような特徴が認められる。階数は三階で、各階の高さは階が高まるごとに減少するが、一階目の高さは現在の住宅建築の約2倍ある。壁面には粗い石材によるルスティカ方式が採用され、一階はきわめて粗く、二階は目地だけくぼませ、三階は平滑にと、しだいに軽快になる。窓は、一階では小さくしかも厳重に保護されるが、上階では大きく、壁面構成によく調和するよう配置される。建物の上端には壁面と均衡を保つように重厚な軒が配され、建物の立体的効果を強調する。建物の外観には建築主の好みや設計者の意図によって多様な変化が生まれるが、内部の使用目的によって外部の構成が崩されることはない。そして、内部には中庭が広くとられ、これを囲んで柱廊が配され、その一角に大階段を設けて上階の通廊や各室に導くようになっている。この、フィレンツェで確立された形式は、その後ローマにおいていっそう豪華さを増すが、バロック時代に入っても実質的な変化はなかった。しかし16世紀に入ると、建物の外観だけでなく、中庭の閉ざされた空間の透視画的な処理が重要視されるようになった。
イタリア各地に歴史的なパラッツォは数多いが、代表的なものは次の諸事例であろう。
[濱谷勝也]
Palazzo Medici-Riccardi(フィレンツェ) メディチ家の当主コジモの要請により、最初に設計に着手したのは大建築家ブルネレスキといわれる。しかし、そのあまりの威容が市民の反感を誘うことを恐れたコジモは、この設計案を拒否し、改めてミケロッツォ・ディ・バルトロメオに設計を依頼、1444年に起工、59年に完成された。前述のトスカナ地方の典型的様式を備えた最初の事例であるが、1659年にリッカルディ家の所有になったのち、補修・拡張が加えられたため、創建当時とは異なっている。
[濱谷勝也]
Palazzo Farnese(ローマ) ルネサンス全期を通じてもっとも傑出したパラッツォで、枢機卿(すうききょう)アレッサンドロ・ファルネーゼ(後の教皇パウルス3世)の委嘱を受けた若いほうのアントニオ・ダ・サンガッロが1514年ごろ起工。しかし、二度にわたる設計変更のため工事が遅れ、46年のアントニオの死後、ミケランジェロが外壁上端の軒や中央玄関を改めて設計し直し、重厚で威圧するような外観を整えた。ミケランジェロはさらに、広い中庭に面した壁面を装おう各階ごとの軒、片蓋(かたぶた)柱、窓などをすべて古典的モチーフで統一し、内部空間の視覚的効果を強調している。ついでジャコモ・ダ・ポルタが北西側の柱廊を追加し、1589年に工事が完了した。
[濱谷勝也]
宮殿,館邸,庁舎を意味する語。英語のパレスpalaceに対応。ローマ皇帝アウグストゥスの宮殿がパラティヌスPalatinus丘にあったことから,宮殿がラテン語でパラティウムpalatiumとよばれ,これが語源となった。
中世末以降,中庭を囲んで諸室を配する方形の大規模複層建築としてのパラッツォの典型が確立され,ルネサンス時代には内に優雅な中庭柱廊,外に威厳あるルスティカ仕上げないしオーダーをもつ壮麗なパラッツォ・メディチ・リカルディ(設計ミケロッツォ)。パラッツォ・ルチェライ(設計アルベルティ。いずれもフィレンツェ)などの作例が生まれた。中世の城砦建築を原型とするため,市庁舎としてのパラッツォには狭間や塔をもつ(フィレンツェのパラッツォ・ベッキオ,シエナのパラッツォ・プブリコ)など例が多く,これは頻発する政争に備えた実用的意匠でもあった。貴族住宅としてのパラッツォでは1階が入口と接客,2階が家族の居室と寝室,3階が使用人室と納戸にあてられ,その建築構成のみならず,格間天井,壁画,壁掛け,敷物,家具等の内装もまた当主の権勢と財力を示す手段と考えられた。とくにファサードの意匠は地域,時代,様式を反映して多様であり,中央に開廊(ロッジア)を設け,運河に面して第2の入口を開くベネチアのパラッツォ・フォスカリ,ルスティカ仕上げとオーダーによる2層構成のベローナのパラッツォ・ベービラックア,巨大オーダーをもつローマのパラッツォ・デイ・コンセルバトーリ(設計ミケランジェロ),設計,施工の合理化をはかるために煉瓦積みしっくい仕上げとし,隅石を用いたローマのパラッツォ・ファルネーゼ,細長い広場を囲む歩廊をもつフィレンツェのパラッツォ・デリ・ウフィツィ(現ウフィツィ美術館)などの例がある。
バロック時代には,大胆な大階段室の採用(トリノのパラッツォ・マダマ),中庭のないH形の平面構成(ローマのパラッツォ・バルベリーニ)など,前代にまさる豊富にして多様な作例がみられ,これらは各国の宮殿建築にも少なからぬ影響を及ぼした。この時代のパラッツォ・クイリナーレ,パラッツォ・キージ(いずれもローマ)は現在イタリア大統領公邸,および首相官邸として使われている。
→宮殿
執筆者:日高 健一郎
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