ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブライアント」の意味・わかりやすい解説
ブライアント
Bryant, Kobe
[没]2020.1.26. カリフォルニア,カラバサス
コービー・ブライアント。アメリカ合衆国のプロバスケットボール選手。NBAのロサンゼルス・レイカーズを 5度(2000~02,2019,2010)にわたり優勝に導いた。NBAで 8シーズンプレーした父ジョー(通称ジェリー・ビーン)がイタリアのプロチームに所属していた 8シーズンの間,現地の学校に通う。帰国後,ペンシルバニア州アードモアのローアーメリオン高等学校在学中,バスケットボールの全米年間賞を複数回受賞し,ウィルト・チェンバレンのもつペンシルバニア南東地区の高校生得点記録を破る 2883点を記録。卒業後,ドラフトで NBAのシャーロット・ホーネッツに全体の 13位で指名され,入団後まもなくレイカーズにトレードされる。1996―97年シーズン開幕時には史上 2番目に若い NBA選手となった。2シーズン目には史上最年少でオールスターに選ばれた。フィル・ジャクソン監督就任後のレイカーズは,シューティングガードのブライアント,センターのシャキール・オニールのコンビネーションが驚くほどの効果を上げ,1999―2000年から 2001―02年シーズンまで 3年連続で NBA王者に輝いた。ブライアントはその後,異性とのトラブルに見舞われイメージを大きくそこない,オニールのトレードにより一人でチームリーダーをまかされることになったが,2005―06年,2006―07年にはリーグ得点王となり,2008年には自身初となる最優秀選手 MVPに選出された。2008―09年と 2009―10年にはチームを 2シーズン連続の NBA王座に導き,みずからはファイナル最優秀選手に連続で選ばれた。アキレス腱や膝の負傷が響き,2015―16年シーズンを最後に現役を引退。2008年の北京オリンピック競技大会,2012年のロンドン・オリンピック競技大会ではアメリカ代表チームのメンバーとして出場し,金メダルを獲得した。現役引退を表明した 2015年にみずから書いた詩『親愛なるバスケットボール』Dear Basketballが 2年後に同名タイトルで映画化され,アカデミー賞の短編アニメーション賞を獲得。著書に "The Mamba Mentality: How I Play"(2018)。2020年1月26日,13歳の二女と搭乗していたヘリコプタが墜落,他の 7人全員とともに死亡。2020年末,ネイスミス記念バスケットボール殿堂入り。
ブライアント
Bryant, William Cullen
[没]1878.6.12. ニューヨーク
アメリカの詩人,ジャーナリスト。ウィリアムズ・カレッジを中退,しばらくマサチューセッツ州で弁護士をしたが,1825年ニューヨークに出て『ニューヨーク・レビュー』誌を編集,翌年から死去するまで『ニューヨーク・イブニング・ポスト』紙の主筆として,自由主義的な言論活動を行なった。 17歳のとき書いた瞑想詩『死生観』 Thanatopsis,21歳の作『水鳥に』 To a Waterfowlなど,自然を歌った初期の詩で知られる。主著『詩集』 Poems (1832) ,『泉』 The Fountain (42) ,『白い足の雄鹿』 The White-Footed Deer (44) ,『自然の声』 Voices of Nature (65) 。
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