ブルギーバ
Burgība
生没年:1903-2000
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ブルギーバ
チュニジアの政治家。若くしてドゥストゥール党に入党。フランス留学後,1934年新ドゥストゥール党を結成して独立運動を主導。1956年独立と同時に首相,1957年王制を倒して初代大統領,1975年終身大統領となった。新ドゥストゥール党の一党制にもとづくブルギーバ体制を確立し,30年にわたって国家権力の中心にあったが,1987年失脚。
→関連項目チュニジア
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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ブルギーバ
al-Ḥabīb Būrqība
1903~2000
チュニジアの政治家,初代大統領(在任1957~87)。ネオ・ドゥストゥール党を率いて,1956年チュニジアの独立を達成した。翌年初代大統領に就任し,87年ベン・アリーに追われるまでその地位にあった。政治的にはアラブ穏健派,宗教的にはイスラームの近代化を基本に強烈な指導力を発揮した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のブルギーバの言及
【チュニジア】より
…民族運動の高揚期は三つの波に分かれる。すなわち第1の波は第1次大戦後のチュニジア立憲自由党(ドゥストゥールDustūr党)が指導した立憲君主制の憲法を要求する運動,第2の波は,1930年代半ばに,同党を除名され,同名のドゥストゥール党(ブルギーバ派,新ドゥストゥール党ともよばれる)を結成しその指導者として台頭した[ブルギーバ]が率いた大衆的な反植民地支配運動,第3の波は第2次大戦後の独立運動である。フランス政府はいずれも弾圧をもって臨んだが,50年代に入ってドゥストゥール党は労働組合ほかの大衆運動,都市テロ,農村ゲリラ戦術によって圧力をかけ,55年6月に内政上の自治,翌56年3月に完全独立を達成した。…
※「ブルギーバ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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