日本大百科全書(ニッポニカ) 「チュニス」の意味・わかりやすい解説
チュニス
ちゅにす
Tunis
北アフリカ、チュニジアの首都。同国の政治、経済、文化、交通の中心地である。人口67万4142(1994センサス)、69万6700(2002推計)。市街地はチュニス湾奥のチュニス湖(潟湖(せきこ))とセジュミ塩湖とに挟まれた地峡上に立地する。チュニス港から潟湖の入口の外港ラグーレットまで運河があり地中海と結ばれている。チュニジアの北部と南部、内陸部と地中海を結ぶ十字路に位置し、国際的にもシチリア島(イタリア)、マルタ島と向かい合い、地中海中央を押さえる位置にある。北東郊20キロメートルにはカルタゴ遺跡がある。気候は地中海式気候で、夏暑く乾燥し、冬はやや寒く(1月の平均気温11℃)少雨があるが、春秋は快適な気候である。
メディナとよばれる古いアラブ風市街は地峡の中央にあり、中庭をもつ方形住居が密集している。その狭い通路には伝統工芸品を並べる観光土産(みやげ)品街(スーク)や古いモスクもある。メディナの東は碁盤目状のヨーロッパ風市街地が広がる。中央緑地帯の美しいブルギバ通り、これに直交するパリ通り、カルタゴ通りが中心街である。南部は機械、食品、繊維、冶金(やきん)、セメントなどの工業地帯になっている。西には官庁、チュニス大学、バルドー博物館がある。南の海岸にエッザラなど住宅地があったが、独立後の人口増加で北郊に住宅地が延びており、チュニス・カルタゴ国際空港周辺にはシェルギア工業団地が形成されている。ほかにメディナの再開発、地下鉄建設、両湖岸の緑地化計画などがある。なお、メディナとカルタゴの遺跡が1979年に世界遺産の文化遺産に登録されている(世界文化遺産)。
[藤井宏志]
歴史
古くから町は存在したが、国の政治的中心地となったのは13世紀ハフス朝のとき、カイルアンにかわり首都となってからである。1574年以後のオスマン帝国支配下でも、チュニジアを治めるパシャ、ベイの首都として発展した。1881年フランスの保護領となり統監府の所在地として発展し、近代的な港湾と都市が建設された。第二次世界大戦中一時イタリア・ドイツ軍に占領されたが、連合軍により奪回された。1956年の独立以後、チュニジアの首都として発展を続け、人口も増加の一途をたどっている。
[藤井宏志]