改訂新版 世界大百科事典 「オタカル2世」の意味・わかりやすい解説
オタカル[2世]
Otakar Ⅱ Přemysl
生没年:1230ころ-78
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…その結果,プシェミスルの諸侯のなかにはブラチスラフ2世(在位1061‐92)のように皇帝から王の称号を手に入れた者もあったが,それらはいずれも一代限りであった。12世紀末に出たプシェミスル・オタカル1世Přemysl Otakar I(在位1198‐1230)は初めて世襲の王号を獲得し(1198),1212年にはボヘミア王国の独立が正式に承認された。のちにボヘミア王国は実質的にオーストリア・ハプスブルク家の支配下に入るが,王国としての形態は1918年まで保った。…
※「オタカル2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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