ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オタカル2世」の意味・わかりやすい解説
オタカル2世
オタカルにせい
Otakar II Přemysl; Ottokar II Przemysl
[没]1278.8.26. デュルンクルート
ボヘミア王 (在位 1253~78) 。オットーカール2世とも呼ばれる。プシェミスル朝最盛期の王。 1251年婚姻によってオーストリア公に任じられる。 1254年および 1266~67年古プロシア人,リトアニア人に対する十字軍を組織して北方に領土を拡大し (ケーニヒスベルクの名は彼に由来) ,ハンガリーと戦って 1260年シュタイエルマルクを,1269年カリンティア (ケルンテン) ,カルニオラ (クライン) ,イストリアを獲得。しかしハプスブルク家のシュワーベン伯が神聖ローマ皇帝ルドルフ1世として登位すると,内外の敵が増大し,1276年併合領土の放棄を強いられ,2年後再起を企てたが,オーストリア=ハンガリー連合軍の前に敗死した。
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