プルーベ(読み)ぷるーべ(その他表記)Jean Prouvé

日本大百科全書(ニッポニカ) 「プルーベ」の意味・わかりやすい解説

プルーベ
ぷるーべ
Jean Prouvé
(1901―1984)

フランスの建築家、家具デザイナー。パリ生まれ。フランス北東部の古都ナンシーで育つ。父ビクトール・プルーベVictor Prouvé(1856―1943)は陶芸および象眼細工の職人でアール・ヌーボーのナンシー派の中心人物でもあり、ガラス工芸作家のエミールガレと共に働いた。ガレはジャン・プルーべの名付け親でもある。プルーベは最初、ナンシー派の工房で金属加工職人として修業し、1923年に自身の工房をナンシーにかまえる。その後、ル・コルビュジエ、ル・コルビュジエのいとこのピエール・ジャンヌレPierre Jeanneret(1896―1967)らに出会い、30年、ル・コルビュジエ、建築家、インテリアデザイナーのシャルロット・ペリアンCharlotte Perriand(1903―99)らとともにUAM(現代芸術家組合)の設立メンバーとなる。この頃、前脚が丸い鉄パイプで作られた椅子シェーズ・スタンダールを制作。金属加工に熟達した職人的な技によって制作されたこの椅子は、家具デザイナー、プルーベの人気商品になる。31年、義兄アンドレ・スコットAndré Scottと共にアトリエ・ジャン・プルーベを設立。38年、パリ北部のクリシー地区に外壁に金属パネルを使用したクリシーの人民の家と呼ばれる文化施設を建設。また、建築の軽量化、工業化、大量生産に関心をもち、学校の家具や陸軍キャンプ、労働者住宅を研究。その結果、第二次世界大戦後、政府から戦争などで家を失った人々のための800件の家が発注される。1940年代にはアルミニウムの軽さに着目し、アルミニウムを使った大量生産の小屋を開発、アフリカ援助のために送り、社会貢献という目的を通じて自分の表現を発展させた。

 その後、博覧会パビリオン、会議場(1951、リール)、自邸(1955、ナンシー)、オフィス・ビル、ノーベル・タワー(1966、イル・ド・フランス)、博覧会パビリオン(1967、グルノーブル)、オムニ・スポーツセンター(1984、パリ)などの作品を実現させた。

 デザイナーや建築家としての活動だけでなく、政治運動や社会活動にも関心をもっていた。1945年にはナンシーの市長に選ばれ、国会議員でもあった。このように、社会に強くコミットする形でのデザイン活動をしたという事実と、直接政治にかかわったという事実とはもちろん無関係ではない。

 プルーベが審査委員長を務めたパリ、ポンピドー・センター設計競技(1971)では、構造体や設備配管などを全面的に意匠として表現したレンゾ・ピアノ+リチャード・ロジャーズ案を選出。エポック・メーキングな出来事・建物となり、一つの時代の象徴ともなる。技術意匠に関する特許も非常に多数取得している。63年にUIA(国際建築家連盟)オーギュスト・ペレ賞、81年にエラスムス賞を受賞。

[堀井義博]

『ペネロピ・ローランズ文、マリサ・バルトルッチ、ラウル・カブラ編、旦敬介訳『コンパクト・デザイン・ポートフォリオ ジャン・プルヴェ』(2001・フレックス・ファーム)』『Une Architecture par L'industrie (1971, Éditions d'Architecture, Zürich)』『L'idée Constructive (1983, Dunod, Paris)』『Prouvé (1994, Benedikt Taschen Verlag, Köln)』『Peter SulzerJean Prouvé Complete Works Volume 1; 1917-1933 (2000, Birkhäuser, Basel)』『Peter SulzerJean Prouvé Complete Works Volume 2; 1934-1944 (2000, Birkhäuser, Basel)』『Peter SulzerJean Prouvé Highlights 1917-1944 (2002, Birkhäuser, Basel)』

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