ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プロコポービッチ」の意味・わかりやすい解説
プロコポービッチ
Prokopovich, Feofan (Eleazar)
[没]1736.9.19. ペテルブルグ
ロシアの宗教家,政治家,作家。キエフの商人の家に生れ,ギリシア正教徒として教育を受けたあと,ポーランドにおもむきカトリック (合同派) 信仰を受入れ,さらにローマに遊学。ローマ・ギリシア古典,哲学,神学を学び,1704年キエフに戻り,再び正教に復帰。キエフ神学校校長となった。当代の最も教育ある宗教人の一人としてピョートル1世 (大帝)の改革を支持。 15年には皇帝の要請で帝都ペテルブルグに行き,『教会規約』 Dukhovnii reglament (1721) を著わして,総主教制の廃止,宗務院 (シノド) の設置など帝の教会行政を助けた。 21年みずから宗務院の初代副院長となり,24年にはノブゴロド大主教。著作は多く,『ツァーリの権威と栄光』 Slovo o vlasti i chesti tsarskoi (18) などで皇帝の絶対権を擁護し,国家の教会に対する優越を理論づけたほか,ロシア組織神学の父として神学的著述を著わした。さらに詩,戯曲,歴史書なども著わしたが,特に説教者としてすぐれ,なかでもピョートル1世 (大帝) への弔辞は有名で,ロシア雄弁術の古典となった。
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