サム&デーブ(読み)さむあんどでーぶ(その他表記)Sam & Dave

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サム&デーブ」の意味・わかりやすい解説

サム&デーブ
さむあんどでーぶ
Sam & Dave

1960年代アメリカに登場した黒人ボーカル・ユニット。「ホールド・オン! アイム・カミング」(1966)ほかのヒット曲が日本でも愛聴された2人組である。

 サミュエル・ムーアSamuel Moore(1935―2025)とデビッド・プレーターDavid Prater(1937―1988)が出会ったのは、1961年、キング・オブ・ハーツというマイアミのクラブだった。クラブではアマチュア歌手のコンテストが開かれており、ムーアは司会者、プレーターは歌手として舞台に上った。しかしプレーターは歌詞を忘れてしまい、そこに助け舟を出したのがムーアだった。意気投合した2人はデュエット・チームを結成する。これがサム&デーブのスタートである。

 サム&デーブがアトランティック・レコードと契約したのは1965年のことだった。同社は2人を配給契約をしていたスタックス・レコードへ送り込んでシングルをつくろうとした。スタックスには優秀なプロデューサー演奏陣がそろっており、サム&デーブにもその恩恵を受けさせようというのがアトランティック側のねらいだった。彼らの曲作りと制作をまかされたのがアイザック・ヘイズとデビッド・ポーターDavid Porter(1941― )で、予想どおりヘイズ&ポーターによる「ホールド・オン! アイム・カミング」、「ソウル・マン」「アイ・サンキュー」(ともに1967)、「ソウル・シスター・ブラウン・シュガー」(1968)で、ソウルとポップ・チャートの両方で目覚ましい結果を残すヒットを放った。

 しかしアトランティックがスタックスとの契約を終えた1968年、グループも失速していく。これらの名作は、歌手2人の力だけではなく、スタックスのヘイズ&ポーターや演奏の中心だったブッカー・T&ザ・MGズらの共同作業によって生まれたものだったからだ。しかも2人の私的な関係はきわめて悪く、ヒットの余韻がまだ十分に残っている1970年、コンビは解消される。

 表向きだけでもコンビが再結成されたのは、スタックスなどの往年黒人音楽のファンだったジョン・ベルーシJohn Belushi(1949―1982)とダン・エイクロイドDan Aykroyd(1952― )による映画『ブルース・ブラザーズ』(1980、ジョン・ランディスJohn Landis(1950― )監督)が評判をよんだことがきっかけだった。主役の2人がスーツを着こみ歌い踊るその姿は、かつてのサム&デーブのコピーでもあった。この映画以後、サム&デーブはしばらくのあいだステージに立ったが音楽性が一致せず、活動は長続きはしなかった。

藤田 正]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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