日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベナセラフ」の意味・わかりやすい解説
ベナセラフ
べなせらふ
Baruj Benacerraf
(1920―2011)
アメリカの遺伝学者。ベネズエラのカラカスに生まれる。5歳のときパリに移住、初等、中等教育をパリで受けた。1940年アメリカに渡り、1942年コロンビア大学を卒業、1945年バージニア医科大学で学位を取得、1943年にはアメリカの市民権を得た。コロンビア大学で研究員を務めたのち、1949年パリのブルセー病院に移り、免疫学の研究を続けた。1956年アメリカに戻り、ニューヨーク大学医学部の病理学準教授(1958)となり、1960年教授に昇格した。その後、国立アレルギー・感染症研究所を経て、1970年にハーバード大学医学部の病理学教授となった。
抗体の産生と遺伝の関係については、1940年代にG・D・スネルによりマウスのH‐2遺伝子(抗原)が発見され、また、1950年代にJ・ドーセによりヒトのH‐2遺伝子であるHLAが発見されていた。ベナセラフは、それらの働きについて研究した結果、特定の遺伝子の存在を明らかにし、その「免疫応答(Ir)遺伝子」が免疫系において重要な役割を担っていることを発見した。1980年に「免疫を調整する、遺伝的に決定された細胞表面の構造に関する発見」により、スネル、ドーセとともにノーベル医学生理学賞を受賞した。
[編集部]