精選版 日本国語大辞典 「遺伝学」の意味・読み・例文・類語
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生物学の一分科で、遺伝と変異の現象を対象とする科学。すこし砕いていえば、生物の形質が親から子にどのようにして伝えられるか、また親と子の間、または子たちの間にみられる変異はどうしてできるのか、などの点について研究する学問ということができよう。遺伝学は英語でgeneticsというが、この語はイギリスの遺伝学者ベートソンが1906年に初めてつくったもので、ギリシア語のgenesis(生まれる、起源)という意味の語からきている。
遺伝学は、もともとは育種の観点から発生した学問で、初期の間は、対象とする形質が子や孫に伝達され発現する過程の法則性を把握することをおもな研究対象としていたが、当然のことながら研究者の関心はその機構の解明に向けられた。現在では遺伝的物質の本体を遺伝子としてとらえ、さらに遺伝子がどのようにして必要な情報を蓄え、それを細胞から細胞に伝え、形質として発現していくかの仕組みまで解明できるようになった。したがって今日では、遺伝学を、遺伝情報の構成、伝達、発現に関する科学と定義することもできる。
[田島弥太郎]
1900年にメンデルの法則が再発見されてから、わずか八十数年の間に遺伝学はたいへんな進歩を遂げ、現在では多数の専門分科に分かれている。初期においては遺伝学の研究には、異なった形質をもつ二つの系統の間で、かけ合わせを行い、その子孫を観察するいわゆるかけ合わせ実験の方法がとられた。日本では、初期の遺伝学は、実験遺伝学とよばれた。また、遺伝現象の基本は生殖細胞内の染色体上に存在する(と仮定された)遺伝子の行動によるところから、染色体を対象とする分野は早くから発展し、細胞遺伝学または核遺伝学とよばれた。
形質の発現は、遺伝子が本来もっている設計図を基に、環境条件の影響を受けながら完成される。この過程を生理学的に取り扱う分野を、生理遺伝学、化学的に研究する分野を遺伝生化学という。また、発生過程をおもな対象とする分野を発生遺伝学という。表現型間における個体変異を扱う学問を変異遺伝学というが、これは統計的手法によって数量的取扱いをするので数量遺伝学または統計遺伝学ともよばれる。このほか日本では、突然変異を研究対象とする分野を変異遺伝学とよぶ場合もある。遺伝学の対象は多くの場合個体であるが、その集団全体として遺伝子の動態を扱う分野が集団遺伝学である。同様に分子のレベルの問題を取り扱う分野を分子遺伝学とよぶ。このほか研究対象により、微生物遺伝学、昆虫遺伝学、哺乳(ほにゅう)動物遺伝学、人類遺伝学などという分け方もある。
遺伝学の応用場面を扱うものとしては、優生学、育種学、遺伝子工学などがあげられるが、原子力利用や化学工業の発展に伴い、遺伝子を保全する目的から放射線遺伝学、環境変異原学などという分野も最近急速に発展をみせている。
[田島弥太郎]
人類が遺伝現象や動植物の交配について関心をもった記録は、遠く新石器時代の昔までたどることができる。バビロニアの洞窟(どうくつ)の壁にウマの系統図が描かれたものが発見されているが、これは紀元前4000年ごろのものといわれる。また、アッシリア時代につくられた浮彫りにナツメヤシの人工受精のようすが描かれたものがあるという。家畜や作物の改良は人知の発達とともに行われたに違いなく、中世の暗黒時代にも家畜や作物の改良はたゆみなく行われたものと思われる。しかし、遺伝に関する科学的研究が始まったのは18世紀に入ってからで、その始祖はドイツの植物学者ケルロイターとされている。彼は多くの植物を用いて実験を行い、植物が生まれるには性物質の混合が必要なことを唱えた。その後、ドイツの植物学者K・F・von・ゲルトナーは350種類もの異なる雑種を研究したが、個体の全性質を一団として扱ったために、そこに法則性をみいだすことはできなかった。これに対しオーストリアの遺伝学者メンデルは、エンドウの一つ一つの形質に着目し、それぞれについて別個に遺伝現象を追究した。このためには、あらかじめ数代にわたり注意深く形質について観察し、対(つい)の形質として取り扱えるもの7対についてそれぞれをかけ合わせる方法をとった。この実験結果をメンデルは1866年に『植物雑種の研究』という論文にまとめて発表した。このなかには、のちに「メンデルの法則」と名づけられた遺伝の基本原則が含まれていたが、当時この論文の重要性に気づくものはだれもいなかった。
それから35年後の1900年になって、3人の遺伝学者、オランダのド・フリース、ドイツのコレンス、オーストリアのチェルマクがほとんど同時に、独立して同じ考えに到達し、メンデルの論文の価値が世の脚光を浴びることになった。それ以来、多くの人々により植物や動物を用いた遺伝の研究が行われ、メンデルの指摘した原則の普遍性が認められるようになった。日本においては、外山亀太郎(とやまかめたろう)がメンデルの法則再発見後まもなく、メンデルの指摘した原則が動物であるカイコにも適用されることを報告した。これが動物でメンデルの法則の普遍性を確認した最初の例である。ところで、メンデル以前においても、遺伝の担い手は卵細胞および精細胞の核によるものであることが、細胞分裂や受精の際の染色体の行動観察などから推定されていたが、メンデルは統計的な手法を用いて、遺伝の担い手である遺伝子(メンデルは要素とよんだ)は受精によって互いに混合しあうようなことなく、生殖細胞形成にあたって、ふたたび分離することを指摘した。
[田島弥太郎]
遺伝子と染色体との関係について具体的な考察を行ったのは、アメリカの細胞学者サットンW. S. Sutton(1877―1916)やドイツの動物学者ボベリTh. Boveri(1862―1915)である。彼らは、遺伝子が染色体にあると仮定することによって、メンデルの法則が十分に理解できるという考えを強力に主張した。この考えは、1911年ごろからアメリカの遺伝学者モーガンによって開始されたキイロショウジョウバエの遺伝学的研究により確実な証拠をもつようになった。このハエでは核にわずかに4対の染色体をもつだけである。多数の突然変異を材料として、その遺伝関係を調べた結果、4群が区別された。この場合、同一群に属する遺伝子の間には互いに相伴って遺伝していく傾向がみられ、しかもそれらの相伴関係の強さには遺伝子によって強弱がみられる。この現象をモーガンらは、遺伝子が染色体上の異なった場所に位置して、それらが一直線状に並んでいるものと解釈すれば、よく説明できると考え、これをさまざまな角度から証明した。これを遺伝子説と名づける。この説によると、遺伝子は染色体上に直線的に隣り合って並んでいる一定の大きさをもった粒子ないしは部分であるということになる。しかも、同一の染色体上に座位している遺伝子相互の間には組換え(乗換えまたは交叉(こうさ)ともいう)がおこる。このような方法で実験を詰めていけば、それぞれの遺伝子の大きさを推定することができるはずである。
[田島弥太郎]
遺伝学発展の初期には、性が遺伝的にどのように決定されるかが多くの学者の関心の的となった。これをメンデリズムの立場から初めて扱ったのはベートソンで、彼は、雌雄のいずれか一方が性決定因子に関してヘテロで、他方がホモであれば雌雄が等しい数で生じてくるはずと考えた。この仮説は性染色体の発見により顕微鏡的に実証された。アメリカの細胞学者ウィルソンE. B. Wilson(1856―1939)は、ヘリカメムシでは6対の普通染色体のほかに、雄は対をなさない大きい染色体を1個(X)、雌はこの大形染色体を2個(XX)もつことをみた。同様の例はほかの昆虫でも多数みいだされて、この染色体が雌雄の決定と密接な関係をもつことが明白になった。性染色体構成と性決定の関係は一様でない。たとえば、ショウジョウバエは雄がXYで、雌がXXであるし、カイコでは雄がXXで、雌がXYである。区別の便宜上、後者を普通ZZ‐ZWと書く。遺伝子が性染色体上に座位する場合には、いずれを母とし、いずれを父とするかによって、次代における形質の表現方式に相違がみられる。たとえば、ショウジョウバエの白眼の雌(XwXw)に赤眼の雄(X+Y)を交配すると、雌は赤眼となり、雄は白眼となる。この現象は十文字遺伝とよばれ、伴性遺伝の特徴をなしている。このような伴性遺伝の例は最初シャクトリガでみいだされ、その後ショウジョウバエやカイコでもみいだされた。
[田島弥太郎]
遺伝子は安定したものであると考えられているが、ときに変化がおこる場合がある。このことはイギリスの進化学者ダーウィンも注意していたが、この意義を遺伝学的に重視したのはメンデルの法則の再発見者の一人であるド・フリースである。彼はオオマツヨイグサについて精密な観察を行い、遺伝子(遺伝形質の担い手として仮想的な粒子を仮定し、これにパンゲンPangenと名づけた)が突然変化したことによるためであろうとの考えを強くし、1901年に突然変異説を提唱した。そして生物の進化はこのような突然変異によっておこると説明した。
ド・フリースが観察したオオマツヨイグサの突然変異体は、のちになって、彼が考えたような遺伝子の変化に原因するものでなく、遺伝子の組換えとか、染色体の異常に原因するものであることがわかって、進化の第一要因としての突然変異説の価値は薄らいだ。しかし、遺伝子が突然に変化することがあるという考え方は、その後多くの動植物について確かめられた。そのもっとも著しい例はショウジョウバエである。1909年モーガンがこのハエの飼育を始めて以来、数年間のうちに種々の突然変異がみつかり、1944年までにその数が540種類にも達した。
このショウジョウバエを用いてアメリカの遺伝学者マラーは、突然変異の発生頻度がX線照射によって著しく高められることを証明した。続いてスタッドラーL. J. Stadler(1896―1954)はこのことを植物でも確認した。それ以来、この分野の研究は放射線遺伝学として大きな発展をみたが、マラーの関心は突然変異を通して遺伝子の構造を明らかにしたいという点にあった。放射線によって誘発される突然変異のなかには染色体の小さな逸失が多数みいだされるが、そのほかに、内部構造の変化によるもの、問題とする遺伝子以外の部分の変化に基づくものなども含まれていると推定された。その後、紫外線や化学物質によっても突然変異が誘発されることがわかり、遺伝子の内部構造の変化による突然変異の生成がしだいに確実視されるようになった。このことは、後述するように、遺伝子の本体としてのDNAの構造が調べられるようになっていっそう疑う余地のないところとなり、従来は表現型の変化として定義せざるをえなかった突然変異が、ヌクレオチド配列順序の変化として定義できるようになった。
[田島弥太郎]
一方、遺伝学の興味の中心はしだいに遺伝子作用の生化学面に向けられ、アカパンカビや大腸菌の栄養要求性突然変異を用いた研究から、遺伝子の作用は酵素支配を通じて行われるものであることが明らかにされた(アメリカの遺伝学者ビードル、同じく生化学者テータムらによって明らかにされた一遺伝子一酵素説)。
酵素の研究には、微生物のほうがはるかに実験に便利である。このようなことから、遺伝学の研究材料はショウジョウバエからアカパンカビや大腸菌に移った。アメリカの微生物遺伝学者レーダーバーグらは、大腸菌の接合による組換え現象やプラスミドなどを発見して遺伝学に新生面を展開した。その後、遺伝学の研究材料はますます微小化をたどり、1945年からはバクテリオファージが用いられるようになった。ファージは細菌を宿主として増殖するが、異なった性質をもつ二つのファージを同一の細菌に感染させると、ファージ遺伝子の間に組換えがおこり、子ファージの集団のなかに組換え体が現れてくる。しかも、ファージのなによりの特徴は、きわめて多数の個体を簡単に取り扱うことができることで、これによって0.0001%の組換え率まで実験することができる。その特徴を利用して、アメリカの分子遺伝学者ベンザーS. Benzer(1921―2007)は遺伝子の微細構造研究の精度を著しく高めることができた。
[田島弥太郎]
一方、細胞核の化学的成分に関する研究によって、核は三つの異なった物質、デオキシリボ核酸(DNA)とリボ核酸(RNA)とタンパク質からなっていることがわかった。それまで遺伝子は複雑な構造の設計図であるから、おそらくタンパク質であろうと考えられていたが、意外にもこれがDNAであることがわかった。その最初の証拠は、肺炎双球菌を用いた実験から得られた。肺炎双球菌には、コロニーの表面が平滑(S)なものと、粗(R)なものとがある。アメリカの細菌学者エーブリーらは、S型菌を熱で殺したものをR型菌の培養液に加えると、R型菌の一部がS型に変化することを観察した。しかも、S型へ変化した菌はS型固有の血清学的反応を示し、その子孫もずっとその性質を受け継いだ。この現象は、殺されたS型菌の中になんらかの作用物質が含まれていることを示した。エーブリーらはこの物質を同定することを試み、その抽出液をさまざまな分画に分けて、R型をS型に変える能力の有無を調べたところ、DNAを含む分画が強い形質転換活性をもつことをみいだした。そのほか、いくつかの実験結果から遺伝子がDNAに含まれていることは動かぬところとなった。
一方、生化学者によって核酸の構造がしだいに明らかにされていったが、DNAの塩基はプリンとピリミジンがかならず1対1の比をなして存在しているというアメリカの生化学者シャルガフらの化学的な知見や、DNAのX線回折像などから、DNAの構造模型がアメリカの分子生物学者ワトソンおよびイギリスの分子生物学者クリックにより1953年に提唱された。それ以来、遺伝子についての知見は分子生物学的基礎のうえにたって急速に発展をみるようになった。
DNAは巨大分子であるけれども、ワトソン‐クリックの模型によれば構造は比較的単純で、糖、リン酸の繰り返し連鎖に、4種の塩基が糖の側鎖として結合しているもの2本が並んで結合している構造をもっている。
[田島弥太郎]
遺伝子が、塩基の組合せという形でDNA上に含まれているとすると、次はそれがどのような形で機能しているかを明らかにしなければならないが、この場合考えられるもっとも単純なモデルは、いくつかのヌクレオチドの組合せが一つのアミノ酸を決めるという方式である。DNAに含まれるヌクレオチドが4種類であるので、タンパク質のアミノ酸を一次的に決めるためには、少なくとも3個のヌクレオチドの組合せが必要になる。では、それぞれのアミノ酸は、どのようなヌクレオチドの組合せによって決められているのであろうか。この遺伝暗号の解読は至難の技と思われたが、アメリカの生化学者ニーレンバーグらが1961年、タンパクの合成系を用いて解析する方法をみいだして以来、一挙に進展をみた。最初彼らは UUUUUU というポリUヌクレオチドをこの系に加えて合成を行わせたところ、フェニルアラニンの連なったポリペプチドが合成されるのをみた。したがって、もし3文字で一つのアミノ酸を規定するものとすれば、UUUはフェニルアラニンを指令する暗号ということになる。ついでアメリカの生化学者コラーナらは、さまざまな順序に並んだ塩基を合成し、合成されるアミノ酸との対応関係を調べて、ついに遺伝暗号の解読に成功した。これらの暗号はメッセンジャーRNA(伝令RNA)に転写されて細胞質内のリボゾームに運ばれ、ここで指令どおりの順序でアミノ酸が結合され、タンパクが合成されることも明らかになった。
このほか、フランスの分子遺伝学者ジャコブらは、遺伝子作用の発現が分子レベルでどのように調節されるかを大腸菌を用いて研究し、オペロン説を提唱した。
[田島弥太郎]
メンデリズムが定着するに伴って生じた問題は、これによって生物の進化をどう説明するかということであった。進化の問題に取り組むには、従来とってきた家系を追究する方法では無力で、集団としての遺伝子組成の変化を考究する新しい方法論を確立しなければならない。
1908年、イギリスの数学者ハーディG. H. Hardy(1877―1947)と、ドイツの医学者ワインベルクW. Weinberg(1862―1937)は、それぞれ独立に、生物集団を構成する対立遺伝子の頻度は、各個体間で無作為の交配が行われ、遺伝子型によって子を残す数が変わらないという前提が成り立つ限り、毎世代不変に保たれることを指摘した。この指摘の正しさはその後の研究によっても変わることなく、集団遺伝学的思考の核心をなすものであって、「ハーディ‐ワインベルクの法則」と名づけられている。
1930年代に入ると、イギリスの統計学者R・A・フィッシャー、イギリスの遺伝学者J・B・S・ホールデン、アメリカの遺伝学者ライトS. Wright(1889―1988)の3人の学者が相次いで集団遺伝学に関する論文を発表、集団の遺伝的構成を変化させる統計学的な過程を明らかにし、集団遺伝学の基礎を固めた。すなわち突然変異が遺伝的変異を集団中に供給し、自然選択がそれを選別して集団の遺伝的構成を変化させ、それにより進化がおこるという考え方である。実験面では、ソ連の集団遺伝学者チェトベリコフС.С.Четвериков/S. S. Chetverikov(1880―1959)やドビニンН.П.Дубинин/N. P. Dubinin(1907―1998)の先駆的研究を経て、アメリカに帰化したロシア生まれの集団遺伝学者ドブジャンスキー一派がショウジョウバエの自然集団についての研究を発展させた。
第二次世界大戦後の集団遺伝学の理論的研究は、アメリカの遺伝学者クローJ. F. Crow(1916―2012)および木村資生(もとお)(1924―1994)を中心として展開された。彼らの著書『集団遺伝学入門』An Introduction to Population Genetics Theoryはその集大成である。また、動植物の育種理論面ではロバートソンA. Robertson(1920―1989)やコムストックR. E. Comstock(1912―1999)らの貢献を見逃すわけにいかない。集団遺伝学では、遺伝的多型性が集団内にどのようにして保有されるかが大きな問題であるが、放射線の遺伝的影響に関連して、有害遺伝子の保有機構をめぐって、マラー、クローらの古典説とドブジャンスキー、ウォレスB. Wallace(1920―2015)らの平衡説が鋭く対立した。また、自然選択を基礎とするダーウィンの進化論に対し、木村は、生物にとって有利でも不利でもない中立の遺伝子が、遺伝的浮動によって集団内に広がるという中立進化説を提唱して多くの人の注目を集めているが、分子遺伝学の発展に伴い遺伝子の塩基配列が次々と明らかにされるにつれ、この考えを支持する事例が増加している。
[田島弥太郎]
分子遺伝学の目覚ましい発展は、ついにDNA分子を組み換える技術の開発に成功した。これはまったく制限酵素の発見によるものである。制限酵素は、DNAの塩基が特定の配列をしている箇所にだけ働いて、その部分を切断する。異なったDNA分子間でも、この酵素が働いて切断された箇所では、切れ端が相補的な構造をとるので、適当な方法を用いればそれらをつなぎ合わせることができる。大腸菌のプラスミドのように自殖性のDNAを媒介体として、これにDNAの切れ端をつなぎ、それをふたたび大腸菌細胞に戻して、つなぎ合わせた遺伝子を増殖させる方法が開発された。この技術は遺伝学の研究方法に革命をもたらすほど大きな意義をもっている。この方法をとれば、任意の遺伝子を増殖させて、この作用を研究することができる。また、有用な遺伝子をほかの生物からとってきて付加することができるので、応用上にも大きな利用場面が考えられる。それどころか、新しい生物さえ創造することができるかもしれない。したがって、この技術開発は大変な反響をよんだ。これによって思いもかけない有害生物がつくられるかもしれないというので、研究者自身が異例の研究モラトリアムを提唱したくらいである。その結果、この種の研究を安全に進めるための指針がつくられている。
[田島弥太郎]
新生する突然変異の大部分は、その程度に差があるが、それをもつ生物に有害である。したがって、生物種の保全と維持のためには突然変異の発生はできる限り防がなければならない。また、原子力の平和利用は遺伝学に新たな問題を提起した。原子力施設に働く作業員や一般人が施設から放出される放射能や放射線を受けると、ヒトの遺伝子に突然変異を生ずるおそれがあるからである。さらに化学工業の発展とともに、環境中に放出される、もしくは投入される化学物質によっても同様なことが心配される。
遺伝的影響は、それが子孫に現れるまで直接目に見える形で発現しないので、被害認識が薄いが、世代を重ねている間に突然変異遺伝子が子孫のなかに広がり、それらの機会的組合せによって、さまざまな障害を生ずるようになるおそれがある。したがって、人類の将来にとって重大な問題を提起している。また、ヒトの生殖細胞に対して遺伝子操作技術を適用することは、バランスのとれたヒトの遺伝子系を攪乱(かくらん)するおそれがあるので、厳重に慎まなければならない。
[田島弥太郎]
遺伝学の利用場面はすこぶる広い。とくに最近、生物工学技術が開発され、ますますその利用度を高めている。
[田島弥太郎]
人類は大昔から家畜や作物を利用し、絶えずその性能の向上を図ってきた。
(1)馴(順)化(じゅんか) 家畜や作物の利用はまず野生生物の馴化から始めなければならない。野生イネの馴化は種子の脱粒性を喪失させることから始められたに違いない。シベリアにおけるギンギツネの研究によると、この動物では、人に馴(な)れる個体の選抜に伴ってまず最初に観察される変化は、発情周期に季節感が失われ、しかも生殖シーズンが延長されることだという。
(2)選抜 動植物改良の第二の手段は、性能の優れた個体や系統の選抜である。現在みられるようなウシ、ブタ、ニワトリなどの驚異的品種は、いずれもこのようにして作成されたものである。選抜には、同一系統内で選抜を繰り返す同系選抜と、異なる特徴をもついくつかの系統をかけ合わせ、それから望ましい形質を備えた個体を選抜固定していく異系交雑法とがある。前者の好例は競走馬サラブレッド種のチャンピオン選抜である。異系交雑法による最近の顕著な育種業績としては、「緑の革命」とよばれるコムギやイネの優れた品種の育成がある。メキシコでは、矮性(わいせい)コムギのソノラ64という品種が非常な高収量をあげ、10アール当りの収量が約20年の間に4倍にも増加して、コムギの輸入国が輸出国に変わったほどの実績をあげた。この功績により、この品種をつくったアメリカの農学者ボーローグは1970年にノーベル平和賞を受けた。この材料に使われた品種は、日本で育成された農林10号で、この品種から導入された矮性が増収の大きな要素になっていることは間違いない。
(3)雑種強勢 異なった系統や品種の間に交雑を行うと、雑種強勢が現れて、著しく収量を増す場合がある。そのもっとも顕著な例はカイコである。カイコの一代雑種は両親のいずれよりも強健で、かつ産絹(さんけん)量が増す。日本では大正時代に一代雑種が急速に普及し、1900年(明治33)から1964年(昭和39)の間に、10アール当り、収繭(しゅうけん)量にして2倍、生糸量にして5倍も生産が増加した。さらにアメリカでは、トウモロコシやニワトリについて種子(種卵)生産性をもあわせて増加させるために、2代にわたり交雑を繰り返す複交雑法(四元交雑法ともいう)を実用化して大きな効果をあげた。
(4)細胞雑種 最近、動物でも植物でも異種の体細胞核を融合させる方法で雑種がつくれるようになった。すでにヒトの細胞とマウスの細胞との融合に成功している。しかし、融合核はできても、動物細胞ではこの細胞から個体を育てあげることはできない。植物の場合はこれから完全な個体を育てあげることができるので、将来は育種技術の一つとして利用されるようになるものと思われる。
(5)DNA組換え 微生物については、後述のようにこの技術の利用が目覚ましい勢いで発展している。高等動植物でも原理的には微生物と変わりがないので、この技術の適用が計られているが、現在まだ成功していない。これは、高等植物の遺伝子の構造の知識が十分でないとか、適当なベクター(制限酵素などによって切断された端をつないで増殖させるために用いる小形の自律的増殖能力をもつDNA分子)がみいだされていないためである。しかし植物では、ベクターとしてすでにTiプラスミド(植物腫瘍(しゅよう)の一種クラウンゴールの病原細菌Agrobacterium tumefaciensに含まれる)や、カリフラワー・モザイクウイルスなどがみいだされているから、その実現はそれほど遠いことではないと思われる。
[田島弥太郎]
遺伝学のヒトの福祉への応用については、医学面とくに法医学への応用も行われてきた。ここでは遺伝病の予防と治療について記述する。
(1)保因者の発見 遺伝病のなかには、その遺伝子をもつことが早期に診断がついた場合には、その発病を予防したり、あるいは軽くしたりできるものがしだいに増加している。
早期診断の可能なものとしては、染色体異常や、痛風のような遅発性の優性遺伝病(この場合は血中の尿酸量の測定でわかる)、代謝異常に関する劣性遺伝病(たとえばガラクトース血症、フェニルケトン尿症)などをあげることができる。また、糖尿病や本態性高血圧症なども、遺伝の様相は複雑であるが、保因者の早期発見は可能である。現在このような遺伝病は20種以上を数えることができるが、研究の進歩とともにますます増加するものと思われる。
(2)出生前診断 妊娠初期の羊水を検査して、胎児の性別、染色体異常、ある種の代謝異常病、無脳症、脊椎(せきつい)破裂などの異常について、出生前に診断できるようになった。
(3)遺伝病の治療 口唇裂(こうしんれつ)とか口蓋裂(こうがいれつ)、多指(たし)症などの先天性の形態異常や、先天性心奇形、網膜芽細胞腫などは外科的手術で治療できる。また、代謝異常によるガラクトース血症、フェニルケトン尿症、メープルシロップ尿症(楓糖(ふうとう)尿症)、ホモシスチン尿症、ヒスチジン血症、チロジン血症などは適当な食事療法で治癒できる。これらについてはすべての新生児について検査を行い、保因者を発見したら、いち早く対策を講ずるようにすることが望ましい。そのほか、薬物療法に対する適応症もいくつかみいだされている。
[田島弥太郎]
遺伝学的手法は、従来微生物の発酵能力の改善などに応用されてきたが、遺伝子操作技術が開発されてからその利用範囲は著しく広がった。なかでもポリペプチドは、遺伝子の作用でつくられる物質であるから、この分野での利用がもっとも有望視されている。ポリペプチドにはポリペプチドホルモン、酵素、抗体、ある種のワクチンなどが含まれる。さらに、抗生物質のような化合物もこの技術によってつくられることであろう。工業分野で、遺伝子操作技術の利用場面のもっとも広いのは医薬品工業であろうとみられている。ホルモンとしては、インスリンや成長ホルモンはすでに生産に入った。また、免疫タンパク質としてはインターフェロン(癌(がん)やインフルエンザの治療に用いる)、サイトカイン(免疫不全症に用いられる)などのワクチン類が、当面の対象と考えられている。各種酵素の生産も有望視されているが、副腎(ふくじん)皮質刺激ホルモンやウロキナーゼ(血栓症に用いられる)などはもっとも手近な対象であろう。食品工業では、各種酵素やSCP(単細胞タンパク)、甘味料、香料、各種多糖類などが利用対象に考えられており、また化学工業分野では、エタノール、アセトン、アンモニアなど重要物資生産への利用が考えられているが、いずれも原料資源や経済性が検討されたうえで利用が計られていくことであろう。
変わった面の利用としては、環境に漏出した石油などを分解する能力をもった菌を作出して、環境浄化を計る方法が考案され、シュードモナス菌で、すでにこのようなものがつくられている。
[田島弥太郎]
『田島弥太郎・松永英著『人間の遺伝』改訂版(1986・NHK出版)』▽『J・F・クロー著、木村資生他訳『遺伝学概説』第8版(1991・培風館)』▽『石川辰夫著『分子遺伝学入門』(岩波新書)』
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(垂水雄二 科学ジャーナリスト / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…形質間に優劣の差異のあることとか形質の分離に,すでに気づいた者もあった(ノーダンC.Naudin)。メンデルはそうした背景のもとにエンドウの交雑実験とその統計処理から,遺伝を担う単位を考えて(《植物雑種の研究》1866),現代遺伝学の基礎を築いた。一つにはメンデルの再発見と,もう一つには生理学や発生学から微生物学まで各方面にわたる実験生物学の高まりが,世紀の変り目を迎えての生物学の基調を定めた。…
※「遺伝学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
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