翻訳|antibody
生体にウイルス,細菌,その他の細胞や動植物の成分などの抗原が侵入すると,生体の免疫系が刺激され,やがてそれらの侵入物に特異的に結合できるタンパク質が合成されて,細胞表面,血清その他の体液中に出現する。このタンパク質が抗体である。
抗原の侵入に対する生体免疫系の反応,すなわち免疫応答の主体をなす細胞はリンパ球系の細胞であって,これは胸腺由来リンパ球(T細胞)と骨髄由来リンパ球(B細胞)に大別される。B細胞が抗体産生細胞の前駆細胞であって,抗原で刺激されると,通常T細胞の補助効果を受けながら増殖,分化して抗体を合成,分泌するようになる。
抗体タンパク質にはいくつもの種類があって免疫グロブリンと総称されるが,免疫グロブリンはすべて共通の基本構造を有する。抗体タンパク質は大小2種のポリペプチド鎖,すなわちH鎖(heavy chain,分子量約5万)とL鎖(light chain,分子量約2万3000)からなる。H鎖とL鎖は対をなして結合し,もう1対のH・LとH鎖のカルボキシル末端側どうしで結合して一つの分子を構成している。L鎖がH鎖と結合している部分は抗原結合性フラグメント(Fab)と呼ばれ,その先端に抗原を結合する部位がある。抗原結合部位はH鎖とL鎖の先端部約110個ずつのアミノ酸によって形成されており,異なる抗体分子ごとにこの部分のアミノ酸配列が部分的に変化することにより,全体の基本的な形は変えないで,結合部位のみの形,くぼみの深さ,大きさ等の変化が生み出され,種々の抗原を結合できる抗体分子がつくられる。この部分は可変部(H鎖の可変部VH,L鎖の可変部VL)と呼ばれる。可変部以外はアミノ酸配列が一定していて定常部と呼ばれる。H鎖の中央部はひものように伸びていてヒンジ部と呼ばれ,S-S結合でつながれている。その残りの部分のH鎖どうしが対をなしている部分はFc(結晶性フラグメント)と呼ばれる部分である。Fc部分は後述のように,抗体が細胞に結合したり,補体を活性化したりして生物作用を現すのに必要な部分である。なお,抗体の詳しい構造およびその遺伝子支配については〈免疫グロブリン〉の項を参照されたい。
ヒトの抗体タンパク(免疫グロブリン)のH鎖には定常部の構造の異なる5種類があり,μ鎖,γ鎖,α鎖,ε鎖,δ鎖と呼ばれ,これらのH鎖を含む免疫グロブリンはIgM,IgG,IgA,IgE,IgDの五つのクラスに分類される。IgGはさらにIgG1~IgG4の4種のサブクラスに,IgAも二つのサブクラスに分かれる。このうちIgMは,H鎖2本,L鎖2本からなるサブユニットがさらに5個重合したポリマー型抗体である。クラスが異なると構造の詳細は異なるが,H鎖2本,L鎖2本という構成や,分子の基本的な形など,巨視的にはすべての抗体の構造は類似している。
抗体は,おおまかにみれば,抗原との結合部位を有するFab部分二つが,Fc部分とひものようなヒンジ部でつながった構造をしている。抗体は,Fab部分先端にある結合部位の構造のちがいによって,異なった種々の抗原を結合するのであるが,同じクラスの抗体はFc部分の構造が同じであるから,この部分によって現される種々の生物活性はすべての分子が一様に現すことができる。しかし,クラスがちがえばFcの構造も異なるので,その生物活性にもちがいが生じるのである。
抗原として侵入してくる異物には多種多様のものがあるが,これに対する生体の免疫応答の特徴は,個々の抗原に対して特異的に反応がおこることである。ジフテリア菌の毒素に対して生体が産生した抗体は,この毒素に結合して毒性を中和するが,破傷風菌の毒素とは結合しない,A型の赤血球に対する抗体はB型の赤血球を凝集しない,というように明りょうな特異性がみられる。これは,個々の抗体の結合部位の構造の細かなちがいに基づくものである。抗体の結合部位の大きさは,長さ,幅,深さともにおおよそ1nm(1mmの百万分の1)前後であり,抗原がタンパク質のような分子であれば,その一部の限定された構造部分(抗原決定基という)とだけ結合し,また,赤血球,細菌などの細胞が抗原であれば,細胞表面に存在するタンパク質や糖などの分子の一部分に限って結合する。これらの抗原決定基(通常は突出した部分)の輪郭と,抗体の結合部位(くぼみをなす)の輪郭が立体的によく合致するほど,双方の原子がより多く接近して結合力が強くなる。逆によく合わない場合には結合はおこらない。これが抗体の特異性の基礎をなしている。
ある抗原が侵入すると,これと結合できる抗体のみが産生される。それは,抗体産生細胞の前駆細胞であるB細胞の細胞膜表面には,特異抗体とほぼ同じタンパク質が結合して抗原に対する受容体として備わっており,この受容体の結合部位に合う決定基をもった抗原が結合した場合にのみB細胞が刺激を受けて増殖,分化して,その受容体と同じ抗体を合成,分泌するからである。一つのB細胞上の受容体分子はみな同じであるから,一つのB細胞はただ一つの特異性をもった抗体を産生する。しかし個体としては,体内に異なった特異性の受容体をもつB細胞が多数存在するので,種々の抗原に応じて特異性の異なる多数の抗体を産生できる仕組みになっている。
抗体の作用は,毒素,ウイルス,細菌その他の侵入物の生物活性を中和し,これらを破壊して体外に排除することである。ジフテリア毒素やヘビ毒の中和などにみられるように,抗体が結合しただけで抗原の毒性が中和され,大半の目的が達成されることもあるが,そのような場合でも抗原と抗体の結合物はそのまま残っているわけで,再び抗原が徐々に抗体から解離すると毒性が現れるおそれがある。しかし実際には,抗体の作用は,抗原との結合で終わるのではなく,つぎに,たとえば食細胞に結合して食作用を誘発するなど,種々のメカニズムによって抗原を破壊し排除してしまうのである。その作用のほとんどは抗体部分のFc部分によって現される。そのおもなものは,好中性多核白血球,マクロファージ(大食細胞)などの食細胞への結合による食作用の促進(オプソニン作用),マクロファージの刺激による細胞障害作用の誘発(抗体依存性細胞障害作用,ADCC),肥満細胞や好塩基性白血球の刺激による炎症作用物質の放出,補体系の活性化などである。
抗体が以上のような作用を現すには,抗体がまず抗原と結合することが必要である。この結合反応は抗原抗体反応と呼ばれ,その結合物は抗原・抗体結合物または複合体,あるいは免疫複合体と呼ばれる。タンパク質,ウイルス,細菌その他,天然の抗原には一般に抗原決定基が複数存在し,抗体分子にも結合部位が2個(IgM抗体は10個)あるので,抗原・抗体複合体はふつう,抗原と抗体の多分子集合体である。そのため,可溶性の抗原でも抗体と複合体をつくることによって沈殿し(沈降反応という),あるいは細菌,赤血球などの浮遊物が凝集する現象(凝集反応)がみられる。抗原・抗体複合体中では,数多くの抗体分子が抗原との結合によって集合しており,このような複合体が細胞を刺激するのは,標的となる細胞の細胞膜表面にFcレセプターと呼ばれる受容体が多数存在し,複合体中の複数の抗体分子のFc部分が複数の受容体と多点結合をして受容体を架橋するためである。
食細胞に免疫複合体が結合すると,その刺激によって細胞の食作用が亢進し,速やかに複合体は細胞内に摂取される。もし細菌が抗原であれば,細胞内にとりこまれたのちFcレセプターの刺激によって生成する活性の酸素代謝物などによって殺菌される。これらの異物はさらに食細胞のリソソームの各種酵素の作用で分解,処理される。活性化された食細胞はこれらの酵素や生理活性物質を細胞外にも放出するので,複合体を過剰に生じた場合などは,それがもとでいわゆる免疫複合体病の原因となることがある。また抗原が細胞である場合に,これに抗体が結合し,その抗体がマクロファージのFcレセプターに結合すると,その刺激によりマクロファージが接触している抗原細胞を殺してしまう現象(上記のADCC)もみられる。これらの作用はIgGクラスの抗体によって現される。それは,食細胞のFcレセプターがIgGクラスのFc部分と結合するためであり,他のクラスの抗体のFc部分は結合しない。IgEクラスの抗体は,肥満細胞や好塩基性白血球のIgE-Fcレセプターに強く結合する。これに抗原が結合すると,細胞は刺激を受け,細胞内のヒスタミン顆粒からヒスタミンが細胞外へ放出される。また,SRS-A(slow reactive substance of anaphylaxisの略)とよばれる物質も生成し放出される。いずれも強力な炎症誘起物質であり,血管の透過性をたかめ,平滑筋の収縮を促すことにより,過剰に反応がおこれば花粉症や喘息(ぜんそく)等のアレルギーの原因となる。
免疫複合体中の抗体が補体系の第一成分と結合すると,九つある補体系の全成分が順次活性化される。抗原が細菌,赤血球,その他の細胞であれば,活性化された補体の作用で細胞膜が傷害を受け細胞が融解する。補体活性化の途中で生じる補体成分の断片の一部は,強い炎症誘起活性がある。補体系を活性化するのは,IgG,IgMの2クラスである。しかしIgAなどの抗体も別な経路で補体系を活性化できる。
このほか抗体には,唾液,気道や消化管の分泌物,乳汁,尿などに分泌される分泌型の抗体があり,これは,おもにIgAクラスの抗体で,気道や消化管からの感染に対し第一線の防御機能を果たしているとみなされている。胎児は抗体を産生できないが,母親の抗体が,胎盤を通過して胎児へ移行し,生後,自身で抗体をつくる能力が備わるまでの2~3ヵ月間,母親の抗体が残存する。ただし胎盤を通過できるのはIgGクラスに限られている。
→免疫
執筆者:尾上 薫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 母子衛生研究会「赤ちゃん&子育てインフォ」指導/妊娠編:中林正雄(母子愛育会総合母子保健センター所長)、子育て編:渡辺博(帝京大学医学部附属溝口病院小児科科長)妊娠・子育て用語辞典について 情報
抗原を生体に投与した際に産生され,その抗原と特異的に反応する免疫現象に本質的なタンパク質.通常,血清中に存在するが,リンパ液,脳脊髄液などの体液中,また組織に結合した状態でも存在する.とくに抗原の投与を受けない生体の血清中にも同様の物質が含まれ,血液凝集反応などに関与するものも知られる.このように,もともと存在するものは正常抗体と称し,抗原投与によって生じた抗体を免疫抗体という.血清中の抗体は大部分γ-グロブリン分画にある.[別用語参照]イムノグロブリン
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
抗原と特異的に結合して抗原抗体反応をおこすもので、免疫グロブリンのいずれかに属する。抗原刺激に反応してBリンパ球より分化、増殖した抗体産生細胞(形質細胞)により産生される。それがおこす抗原抗体反応の種類により、抗体に、沈降素、凝集素、溶血素、抗毒素などの名がつけられることもある。
[高橋昭三]
…それに合致する抗原が受容体に結合した場合にのみ,そのリンパ球が増殖し,分化して免疫機能を発揮するのである。リンパ球には,抗体産生細胞の前駆細胞であるB細胞群と,免疫の調節や細胞性免疫にあずかるT細胞群がある。B細胞とT細胞では抗原受容体が同じではなく,抗原認識の仕組みも異なることが知られている。…
…この血清を投与することによって,ジフテリアや破傷風にかかった患者に劇的な効果を表すことがわかって,いわゆる血清療法の嚆矢(こうし)となった。この物質はやがて,タンパク質であり,試験管内でさまざまな反応を起こし,生体内では感染防御に働く分子であることが明らかになり,のちに〈抗体〉と呼ばれるようになった。これに対し,この抗体産生を誘導する微生物由来の異物,さらには広く〈自己でないもの〉を〈抗原〉と呼ぶのである。…
…抗体タンパク質の総称。血清のタンパク質は電気泳動によりアルブミンとα‐,β‐,γ‐グロブリンに分画されるが,抗体はほとんどがγ‐グロブリン画分に見いだされ,また,γ‐グロブリン画分のタンパク質の大部分は抗体であることから,抗体タンパク質は古くからγ‐グロブリンと呼ばれていた。…
※「抗体」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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