ベレシチャーギン(読み)べれしちゃーぎん(その他表記)Василий Васильевич Верещагин/Vasiliy Vasil'evich Vereshchagin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベレシチャーギン」の意味・わかりやすい解説

ベレシチャーギン
べれしちゃーぎん
Василий Васильевич Верещагин/Vasiliy Vasil'evich Vereshchagin
(1842―1904)

ロシア画家。ノブゴロド県下チェレポベツに生まれる。サンクト・ペテルブルグの美術アカデミーに学んだのち、パリに留学。ロシア国内はもとより、西ヨーロッパ、シリアパレスチナ、インド、日本、アメリカなど世界各地を旅した。来日したときは日光を訪れ、スケッチを残している。ロシア・トルコ戦争、日露戦争に参加し、旅順港で戦艦ペトロパブロフスク号の沈没と運命をともにした。『トルキスタン戦争』(1867~73)、『バルカン戦争』(1878~81)など戦争画が多いが、「私は画家として全力をあげて戦争を非難する」とその立場を表明。代表作『戦争の結末』(1872、以上いずれもモスクワトレチャコフ美術館)は、戦場に積み上げられた頭蓋骨(ずがいこつ)の山を描いたもので、「過去・現在・未来のすべての征服者に捧(ささ)ぐ」という銘文がついている。従来の歴史画とは異なった戦争画を確立したといえる。

木村 浩]

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改訂新版 世界大百科事典 「ベレシチャーギン」の意味・わかりやすい解説

ベレシチャーギン
Vasilii Vasil'evich Vereshchagin
生没年:1842-1904

ロシアの戦争画家。ロシア西部のチェレポベツの大地主の家に生まれる。海軍幼年学校に入学するが,絵画にひかれて,1860-63年ペテルブルグの美術アカデミーに学ぶ。64-65年パリに留学し,ジェローム師事する。露土戦争,日露戦争に従軍し,その体験から《戦争礼讃》(1871),《バルカン戦争》(1881)など,戦争の悲惨さを強烈な筆致で訴える作品を制作した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベレシチャーギン」の意味・わかりやすい解説

ベレシチャーギン
Vereshchagin, Vasilii Vasil'evich

[生]1842.10.26. チェレポベツ
[没]1904.4.13. ポートアーサー
ロシアの戦争画家。ペテルブルグの美術アカデミーを卒業後,パリで J.ジェロームに師事。コーカサス,クルイム,ドナウ河畔などの印象を描いた。ロシア=トルコ戦争に従軍して負傷して以来戦争画を描き,シリア,パレスチナにも旅行した。 1885~1903年にはロシア国内,アメリカ,日本を訪れ,日露戦争中に S.マカロフ提督の旗艦に乗船して死亡。主要作品は 1812年のナポレオンのロシア侵攻に取材した一連の作品。 87年にイギリスで回顧録が出版された。

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