現代外国人名録2016 「ボビーバレンタイン」の解説
ボビー バレンタイン
Bobby Valentine
- 職業・肩書
- 大リーグ監督,プロ野球監督
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1950年5月13日
- 出生地
- コネティカット州スタンフォード
- 本名
- Valentine,Robert John
- 学歴
- 南カリフォルニア大学
- 受賞
- 正力松太郎賞〔2005年〕,ゴールデンスピリット賞〔2005年〕,毎日スポーツ人賞(感動賞)〔2005年〕
- 経歴
- イタリア系。リポワン高校を経て、1968年南カリフォルニア大学からドラフト1巡目指名でドジャースに入団。入団時は野手だったが、’69年内野手に転向。その後、エンゼルス、パドレス、メッツ、マリナーズを渡り歩き、所属した5球団で投手以外の全ポジションを守った。’79年現役引退。メジャー10年で639試合に出場して、通算打率.260、12本塁打、157打点。’82年よりジョンソンコーチの下でメッツのコーチを務め、’85年シーズン途中からレンジャーズ監督に就任。就任前は2年連続最下位(7位)だったチームを、2年目で2位まで押し上げ、大リーグの最優秀監督の次点となったが、’92年7月シーズン途中で解任。メッツ傘下の3Aノーフォークタイズ監督を経て、’95年日本プロ野球のロッテ監督に就任。就任1年で10年ぶりのAクラスとなるリーグ2位と躍進したが、広岡達朗ゼネラル・マネージャーと対立し辞任。’96年再びメッツ傘下の3A監督となり、8月メッツ監督に昇格。2000年ワイルドカードから勝ち上がりナショナルリーグ優勝を果たす。2002年10月成績不振を理由に解任。2003年11月プロ野球監督としては史上最高年俸となる3年総額10億円の契約で、ロッテ監督に復帰。2005年10月レギュラーシーズン1位のソフトバンクをプレーオフで破ってリーグ優勝、日本シリーズでは岡田彰布監督率いる阪神に4連勝し、監督就任2季目でロッテを31年ぶりの日本一に導いた。大リーグのワールドシリーズと日本シリーズの両方に出場した初の監督で、同年外国人としては初の正力松太郎賞を受賞。アジア王者を決めるアジアシリーズの初代王者にもなった。2008年6月対中日戦で監督として日米通算1500勝を、7月には対オリックス戦で外国人監督としては日本球界初の通算400勝を達成したが、2005年以降は結果を残せないまま、2009年任期満了でロッテ監督を退任。選手の失敗を責めず、徹底して誉めて伸ばす指導法、データを分析し打順を大胆に組み変える采配など、独特の戦術と人身掌握術は“ボビー・マジック”と称され日本球界に新風を吹き込んだ。また陽気で親しみやすい人柄からファンサービスの先導役でもあった。一方、日本野球の練習方法を否定し、メジャー流の春季キャンプでの投手陣の投げ込み禁止、野手の夜間練習なしなどを取り入れたため、練習量の少なさからチーム力が低下したともいわれる。2011年11月レッドソックス監督となったが、2012年チームは最下位に転落し1年で解任された。2013年コネティカット州のセイクリッドハート大学運動部長に就任。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報