ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポベドノスツェフ」の意味・わかりやすい解説
ポベドノスツェフ
Pobedonostsev, Konstantin Petrovich
[没]1907.3.23. ペテルブルグ
ロシアの政治家,法律家。モスクワ大学教授を父として生れ,みずからも 1859年より同大学で民法を講じた。皇室の信任を得て,皇太子時代のアレクサンドル3世,その子のニコライ2世の訓育にあたり,また 64年の法制改革に参与,68年元老院議員,72年国家評議会議員などにも任じられ,80~1905年には宗務院 (シノド) 長となって,宗教,イデオロギー政策を担当することとなった。その思想は保守的で,専制こそが秩序を維持できると考え,ロシア正教会をその支柱とみなして保護する一方,分離派教徒など非国教徒,ユダヤ人などの少数民族を抑圧した。また民族主義者としてポーランドなど征服地域のロシア化を促進。教育面でも教区学校における初等教育を拡充して,宗教教育を重視する一方,西ヨーロッパ諸国からのすべての影響,特に立憲主義や民主主義などの思潮に警戒の念を示し,高等教育を上流階層の子弟に限るなどして抑制した。 1881年アレクサンドル2世暗殺後,アレクサンドル3世を説得して,いわゆる「ロリース=メーリコフの憲法」を撤回させ,専制強化の宣言 (1881.5.11.) を出させるなどして反動化を促進,アレクサンドル3世治世初期に大きな影響力を発揮した。 80年代末より影響力は衰え,1905年の十月宣言の発布後引退した。 1870年代ドストエフスキーと親交のあったことは有名である。
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