日本大百科全書(ニッポニカ) 「十月宣言」の意味・わかりやすい解説
十月宣言
じゅうがつせんげん
October Manifesto
1905年のロシア革命の際、革命運動を鎮圧するためニコライ2世が発した宣言。正式名称は「一九〇五年一〇月一七日の宣言」。ウィッテが起草したが、彼は、立憲政治を導入して自由主義者を政府の味方にひきつけることだけが、革命に勝利する道だと考えた。その内容は、人格の不可侵、信教、言論、集会、結社の自由といった「市民的自由の確固たる基礎」を人民に「下賜」するとともに、すでに開設が約束されていたドゥーマ(国会)の立法権の強化と、選挙権の拡大を公約するものであった。ウィッテを首相とする新内閣が組閣され、政治犯の恩赦、検閲制度の緩和などが施行された。これにより自由主義者は政府支持に回り、カデット(立憲民主党)やオクチャブリスト(十月党)といった政党が新たに結成された。この宣言によって、革命の波は鎮まり、政府は危機を脱したが、ペテルブルグやモスクワの労働者、農村の大衆は、その後も依然として反政府運動を続けた。
[外川継男]
『西島有厚著『ロシア革命前史の研究――血の日曜日事件とガポン組合』(1977・青木書店)』▽『和田春樹・和田あき子著『血の日曜日』(中公新書)』