打毬(読み)だきゅう

精選版 日本国語大辞典 「打毬」の意味・読み・例文・類語

だ‐きゅう ‥キウ【打毬】

〘名〙 大陸伝来の、集団で毬(まり)を打つ競技。騎馬打毬と徒歩打毬がある。騎馬は二組に分かれて紅白の毬を打毬杖ですくい取り、自分の組の毬門に早く投げ入れた方を勝ちとするもの。平安末期には中絶し、江戸時代に復活した。徒歩は簡易のために庶民にも広く行なわれ、年初の行事とされた。まりうち
万葉(8C後)六・九四九・左注「数王子及諸臣子等、集春日野而作打毬之楽
暁月夜(1893)〈樋口一葉〉三「騎射でも手毬(ダキウ)でもお好み次第」 〔荊楚歳時記

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デジタル大辞泉 「打毬」の意味・読み・例文・類語

だ‐きゅう〔‐キウ〕【打×毬】

奈良時代、中国から伝わった遊戯。左右に分かれ、馬上あるいは徒歩で毬杖ぎっちょうを持ち、紅白のまりを互いに自分方の毬門に打ち入れることを争ったもの。平安時代宮廷貴族の間に盛行したが中絶し、江戸時代に復活した。毬打まりうち。

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普及版 字通 「打毬」の読み・字形・画数・意味

【打毬】だきゆう(きう)

まり。〔楚歳時記、正月〕打毬、鞦(しうせん)の戲を爲す。〔〕、劉向の別に、~蹴鞠(しゆうきく)は、本(もと)兵勢なり。或いは云ふ、戰國よりると。案ずるに、鞠と毬とは同じ。古人蹴(たふしう)して以て戲を爲す。

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改訂新版 世界大百科事典 「打毬」の意味・わかりやすい解説

打毬 (だきゅう)

ポロ系統の騎馬競技。ペルシア起源のポロが東進して唐代の中国に入り,日本に伝わったとされる。《万葉集》に載る727年(神亀4)の春日野の打毬が日本初見である。打毬は〈まりうち〉とよむ。もっぱら宮中の行事で左右楽を伴って華やかに催された。唐装束の騎手(多く舎人(とねり)が務める)を2隊に分け,第三者が毬場に投入する1個の毬を,手にした曲杖で先にゴール(毬門)へ打ち込むことを競った。中国では毬門を毬場の中央に一つ立てる形と,毬場両端に対置する形との2形式が行われたが,平安時代の宮中でいずれをとったかは分明でない。打毬は鎌倉時代にはやみ,18世紀前半徳川8代将軍吉宗により武士の馬術奨励の意味から復活をみた。しかし復活した打毬は往古のものと同じではなかった。騎馬の2隊は毬場の一端に並置(あるいは毬場両端に対置)されたそれぞれの毬門に,あらかじめ地上に並べられた各隊に属する一定数の毬を先に投入し終えることを競ったのである。しかも曲杖は,先の部分に毬を保持するための網を新たに付していた。こうした新ルールは,各自が地上の一定数の毬を,木の細板を楕円状にしたものを先につけた杖で保持して毬門に投げ入れ,その成功数を競う李氏朝鮮の打毬(個人騎馬競技。またこれを2隊対抗としても行う)との関係を思わせる。平安時代の毬1個を2隊が争う形は〈あげまり〉として行うこともあったが,将軍家新ルールが主流をなした。新ルールは土佐藩や八戸藩など地方でも行われ,明治維新後は宮内省主馬寮に受け継がれて今日に至る。平安宮中では打毬を徒歩で行うこともあり,さらに平安時代末には庶民の間に馬と毬門を用いないより簡略化した毬杖(ぎつちよう)が生み出された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「打毬」の意味・わかりやすい解説

打毬
だきゅう

「まりうち」とも訓ずる。毛製の毬を毬杖(ぎっちょう)で打つ、騎馬または徒歩で行う遊戯の一種。ポロに類似する。『西宮記(さいぐうき)』には5月6日に武徳殿の馬場で行われる打毬の法式がみえ、競技者は二手に分かれ、大臣の投げ込む球を打って馬場の両端に立てられた自軍の球門に入れ、勝負を争うとある。中国の古典にもみえるように、本来大陸に起源をもつが、『万葉集』には神亀(じんき)4年(727)正月に皇子諸臣が春日野(かすがの)で打毬を行ったとあり、弘仁(こうにん)3年(812)には渤海(ぼっかい)国使の打毬のことがみえるので、国際色豊かな遊戯として、古代貴族に愛好されたことが知られる。平安末期以後は廃絶したが、享保(きょうほう)年間(1716~1736)に至り、江戸幕府が新たな制法を定めて復興した。民間に伝わった正月の毬打(ぎっちょう)遊びは、打毬に由来するものである。

[杉本一樹]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「打毬」の意味・わかりやすい解説

打毬
だきゅう

毬 (まり) 打ちともいう。2種の毬を毬庭 (まりにわ) に置き,2組に分れ,それぞれ毬杖 (ぎっちょう。長柄の槌) を持って,毬を自分の毬門 (きゅうもん) 内に打入れ,打入れられた毬の数によって勝負を決する遊戯。ウマに乗ってボールを打合うのは西欧のポロと同じである。日本には8世紀初めに中国から伝えられたらしく,神亀4 (727) 年に王子諸臣が春日野で行なったことが『万葉集』巻六にみえる。もと騎馬競技で,平安時代にかけて近衛,兵衛の官人などにより宮廷内で盛んに行われたが,のちには貴族子弟の童戯として徒手によるものも行われている (→毬杖 ) 。中世以降は衰退し,童戯としての毬杖遊びにその面影をとどめる程度であったが,江戸時代の享保年間 (1716~36) に幕府によって復活され,実戦的操馬訓練法の一つとして奨励された。

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