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打毬 だきゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

打毬
だきゅう

毬 (まり) 打ちともいう。2種のを毬庭 (まりにわ) に置き,2組に分れ,それぞれ毬杖 (ぎっちょう。長柄の槌) を持って,毬を自分の毬門 (きゅうもん) 内に打入れ,打入れられた毬の数によって勝負を決する遊戯。ウマに乗ってボールを打合うのは西欧のポロと同じである。日本には8世紀初めに中国から伝えられたらしく,神亀4 (727) 年に王子諸臣が春日野で行なったことが『万葉集』巻六にみえる。もと騎馬競技で,平安時代にかけて近衛,兵衛の官人などにより宮廷内で盛んに行われたが,のちには貴族子弟の童戯として徒手によるものも行われている (→毬杖 ) 。中世以降は衰退し,童戯としての毬杖遊びにその面影をとどめる程度であったが,江戸時代の享保年間 (1716~36) に幕府によって復活され,実戦的操馬訓練法の一つとして奨励された。

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デジタル大辞泉の解説

だ‐きゅう〔‐キウ〕【打×毬】

奈良時代、中国から伝わった遊戯。左右に分かれ、馬上あるいは徒歩で毬杖(ぎっちょう)を持ち、紅白の毬(まり)を互いに自分方の毬門に打ち入れることを争ったもの。平安時代の宮廷貴族の間に盛行したが中絶し、江戸時代に復活した。毬打(まりう)ち。

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世界大百科事典 第2版の解説

だきゅう【打毬】

ポロ系統の騎馬競技。ペルシア起源のポロが東進して唐代の中国に入り,日本に伝わったとされる。《万葉集》に載る727年(神亀4)の春日野の打毬が日本初見である。打毬は〈まりうち〉とよむ。もっぱら宮中の行事で左右楽を伴って華やかに催された。唐装束の騎手(多く舎人(とねり)が務める)を2隊に分け,第三者が毬場に投入する1個の毬を,手にした曲杖で先にゴール(毬門)へ打ち込むことを競った。中国では毬門を毬場の中央に一つ立てる形と,毬場両端に対置する形との2形式が行われたが,平安時代の宮中でいずれをとったかは分明でない。

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大辞林 第三版の解説

だきゅう【打毬】

二組みの騎馬に分かれ、馬上から毬杖ぎつちようで毬まりをすくい取って自分の毬門に投げ込むのを競う古代の遊戯。大陸から伝わったもの。平安以降、庶民の間では徒歩で行われた。まりうち。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

打毬
だきゅう

「まりうち」とも訓ずる。毛製の毬を毬杖(ぎっちょう)で打つ、騎馬または徒歩で行う遊戯の一種。ポロに類似する。『西宮記(さいぐうき)』には5月6日に武徳殿の馬場で行われる打毬の法式がみえ、競技者は二手に分かれ、大臣の投げ込む球を打って馬場の両端に立てられた自軍の球門に入れ、勝負を争うとある。中国の古典にもみえるように、本来大陸に起源をもつが、『万葉集』には神亀(じんき)4年(727)正月に皇子諸臣が春日野(かすがの)で打毬を行ったとあり、弘仁(こうにん)3年(812)には渤海(ぼっかい)国使の打毬のことがみえるので、国際色豊かな遊戯として、古代貴族に愛好されたことが知られる。平安末期以後は廃絶したが、享保(きょうほう)年間(1716~36)に至り、江戸幕府が新たな制法を定めて復興した。民間に伝わった正月の毬打(ぎっちょう)遊びは、打毬に由来するものである。[杉本一樹]

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