騎馬戦術を用いて農耕地帯を略奪するか、または征服、あるいはそこへ移住した多くの民族の総称。これには、(1)内陸ユーラシアの乾燥地帯を中心に活躍した遊牧民系の騎馬民族と、(2)もともと乾燥地帯と森林地帯または農耕地帯との接触地帯で牧畜、農耕、狩猟に従事していた非遊牧民系のものとがある。
(1)には、西方ではスキタイ、サルマート、パルティア、アバール、ハザールなど、東方では、匈奴(きょうど)、柔然(じゅうぜん)、突厥(とっけつ)、ウイグル、契丹(きったん)、モンゴル、ジュンガルなどがあり、
(2)には、東方の烏丸(烏桓)(うがん)、鮮卑(せんぴ)、夫余(ふよ)、高句麗(こうくり)、女真(じょしん)、満州などがある。この非遊牧民系騎馬民族も、多くの場合、隣接した遊牧民系騎馬民族の影響を受けて騎馬民族化したものであるから、騎馬民族の成立、発展に果たした遊牧民の役割は大きい。
しかし、遊牧と騎馬とは、初めから結び付いて行われていたのではない。騎馬術がいつどこで発明されたかは明らかではないが、それが古代オリエントで普及し始めたのは、紀元前10世紀ごろからであろうといわれている。そしてたぶんこの地方から騎馬術を採用して遊牧と結合させ、世界史上最初の典型的な遊牧騎馬民族国家を樹立したのが、アーリア系のスキタイである。スキタイは、前8世紀の末ごろ東方から南ロシア草原に現れ、前6世紀以後、南ロシア、北カフカスの草原を中心に強力な国家を建てた。遊牧民は騎馬術の採用によって、蒸気機関の発明以前における最大の機動力を獲得し、神出鬼没の騎兵軍団をつくりあげ、農業定着民の軍隊を圧倒した。
ところで、スキタイ系の武器、馬具、装身具などの特徴は、さまざまの動物の姿を透(すかし)彫り、または浮彫りにして表した動物文様がとくに好まれた点にある。この動物文様を特徴とする騎馬文化は、東方に伝わってモンゴル高原の遊牧民に影響を与え、前3世紀末に、匈奴の遊牧騎馬民族が成立した。匈奴が滅亡すると、鮮卑が南満州からモンゴル高原に進出して、2世紀の中ごろに騎馬民族国家を建てたが、これは、3世紀の中ごろにいくつかの部族に分裂し、それらのあるものは中国へ移住して五胡(ごこ)十六国のうちのいくつかをつくり、やがて、鮮卑の一部族拓跋(たくばつ)が華北に北魏(ほくぎ)を建てた。北魏は、北アジアの騎馬民族が中国内部に樹立した最初の大王朝である。一方、モンゴル高原では、柔然(5世紀初め~6世紀中ごろ)、突厥(?~8世紀中ごろ)、ウイグル(?~9世紀中ごろ)、さらに、契丹、モンゴル、ジュンガルなどの遊牧騎馬民族が興亡した。これらのうち、匈奴、柔然、突厥、契丹、モンゴル、ジュンガルなどが、あくまでその本拠を確保したのは、それらがもともと遊牧民であったからであり、鮮卑がその本拠を見捨てて農業地帯へ移住したのは、それが元来、牧畜とともに農業をも行っていたからであろう。夫余や高句麗もまた、この鮮卑の型に属する非遊牧系の騎馬民族であった。とくに高句麗は東北アジア、「満州」にいたツングース系民族であり、4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた。スキタイ系の騎馬文化が農耕地帯へ流れ込んだのは、おもに、これら非遊牧系の騎馬民族によってである。すなわち、それは南遷した鮮卑によって3~5世紀の華北に流行し、また、高句麗、夫余などの手で朝鮮半島に伝播(でんぱ)した。さらに、動物文様を伴った武器、馬具、そのほかスキタイ系と思われる騎馬文化は、日本の古墳時代後期の文化を特徴づけている。
[護 雅夫]
考古学的発掘の成果と、『古事記』『日本書紀』などにみられる神話や伝承、さらに東アジア史の大勢、この三つを総合的に検討した結果提唱されたのが、江上波夫(えがみなみお)の「騎馬民族説」である。その説によれば、夫余や高句麗と関係のある東北アジアの騎馬民族が、新鋭の武器と馬とをもって、東満州、朝鮮北部から南部朝鮮(任那(みまな))を経て北九州(筑紫(つくし))、さらに畿内(きない)へと侵入、征服、移動してきたのであるが、この過程は2段階に分かれる。第一段は任那から筑紫への侵入で、これは4世紀の前半に崇神(すじん)天皇によって行われ、第二段は筑紫から畿内への東征で、これは4世紀末から5世紀初頭にかけて応神(おうじん)天皇の手で遂行された。ここに日本国家の起源がある、という。この説に対しては、多くの日本史家は批判的であるが、井上光貞(みつさだ)のように、これを高く評価する学者もあり、また、水野祐(ゆう)(1918―2000)は「ネオ騎馬民族説」と称される説を唱えた。江上の「騎馬民族説」の細かい点については多くの疑問がある。しかし、いままで東洋史家と日本史家とによって別々に、それぞれの学問分野内部で論じられてきた多くの問題を、巧みに組み合わせ、総合的、統一的にとらえようとする江上波夫の方法には学ぶべき点が多い。日本国家の起源を考えるとき、この「騎馬民族説」を無視することはできない。
[護 雅夫]
『江上波夫著『騎馬民族国家――日本古代史へのアプローチ』(中公新書)』▽『井上光貞著『日本国家の起源』(岩波新書)』▽『水野祐著『日本古代の国家形成――征服王朝と天皇家』(講談社現代新書)』▽『護雅夫著『遊牧騎馬民族国家――「蒼き狼」の子孫たち』(講談社現代新書)』
馬を多数飼育し騎乗による機動力を自己の日常の生産活動から対外活動に至るまで利用した民族。本来は中央ユーラシアのステップの遊牧騎馬民族または騎馬遊牧民族のことを言う。具体的には西方にスキタイ,サルマート(サウロマタイ),アラン,フン,アバール,ハザル,中央にサカ(塞),烏孫(うそん),康居,エフタル,カザフなど,東方に匈奴,烏桓(うがん),鮮卑,柔然,突厥(とつくつ),ウイグル(回鶻),契丹,モンゴル,ジュンガルなどがいた。このような遊牧騎馬民族の誕生は,紀元前7世紀ころのスキタイに求められるとされる。そしてそれ以後中央ユーラシアの遊牧民は相次いで遊牧騎馬民族化していったのである。彼らはもともと羊,山羊,牛,ラクダそれに馬を飼育し,それらの肉,乳,毛,皮を衣食住に利用していたが,金属製馬銜(はみ)(前1千年紀の初めころ西アジアで考案されたか?)などの馬具が考案されて発達し,騎乗術が進歩すると,この機動力を牧畜生産に適用して遊牧経済を大いに発展させると同時に,豊富な量の馬を背景にその機動力を組織化し,戦闘力を飛躍的に増大させ,この軍事力を盛んに外部に向けはじめた。この対外活動は遊牧騎馬民族間のものもあったが,また南方の農耕地帯にも多く行われ,この地帯に対する略奪および征服活動は,その後ながい間にわたって世界の歴史を激動させ,展開させることに重要な役割を果たした。
ところで江上波夫は,以上の遊牧騎馬民族のほかに,北東アジアの農主牧副民系または半農半猟民系の騎馬民族として,夫余,高句麗,靺鞨(まつかつ),渤海(ぼつかい),女真,満州などをあげている。そして夫余や高句麗と関係ある北東アジア系の騎馬民族が,まず南朝鮮を支配し,やがてそれが弁韓(任那)を基地として北九州に侵入し,さらには畿内に進出して大和朝廷を樹立し,日本における最初の統一国家を実現した。そしてこのようにして畿内に樹立された征服王朝,騎馬民族国家が,その社会,政治,軍事,文化の各方面において,中央ユーラシアから東北アジアの騎馬民族国家のそれと,全体的に,かつ本質的に一致するという〈騎馬民族日本征服説〉を唱えた。この説は大きな反響を呼び,その後これをめぐって賛否多くの意見が提出されている。
執筆者:吉田 順一
上述のように,1948年以降,江上波夫によって体系化されたこの学説の拠りどころは,(1)前期古墳文化と後期古墳文化とが,たがいに根本的に異質なものであること,(2)その変化がかなり急激で,両文化の間に自然な推移を認めがたいこと,(3)農耕民族は一般的にみて,自己の伝統的文化に固執する性向が強く,急激に他国・他民族の文化を受け入れて,自己の伝統的文化の性格を変えてしまう傾向がきわめて少ないこと,(4)後期古墳文化における東北アジア系の騎馬民族文化は,大陸および朝鮮半島のそれとまったく共通していること,(5)弥生文化・前期古墳文化の時代に,馬牛の少なかった日本が,後期古墳文化の時代になると,急に多数の馬匹を飼養しはじめ,これは騎馬を常習していた民族が馬をともなって日本に渡来したとみなければ不自然なこと,(6)後期古墳文化が王侯貴族的,騎馬民族的な文化で,それが武力による日本の征服・支配によって広まったと思われること,(7)後期古墳の濃厚な分布地域が,軍事的要地とみとめられているところに多いこと,(8)一般に騎馬民族は,陸上における征服活動だけにかぎらず,海上を渡っても征服欲をみたそうとする例が多いから,南朝鮮まで騎馬民族の征服活動が及んだ場合には,当然,日本への侵入もありえたこと,などにある。
騎馬民族説を文献の面から検証する作業は,応神天皇が九州より起こって畿内に入り,新しい王朝を樹立したように考えられることなどによって試みられているが,前期古墳と後期古墳とは断絶しているものではないこと,騎馬民族的文化の受容は,倭の王者と朝鮮半島の王者との通交によっても生じうることなどによって,騎馬民族説に疑問をいだいている者もおり,なお確固たる学説とはなっていないが,諸方面からの検討によって,この説の是非が,今後も論議されるであろう。
執筆者:佐伯 有清
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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