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騎馬民族 きばみんぞく nomads

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

騎馬民族
きばみんぞく
nomads

内陸ユーラシアを中心に,騎馬戦術を用いて農耕地域を略奪,征服またはそこへ移住し,騎馬生活に独特の文化を生み出した民族の総称。次の3系統に大別される。 (1) 乾燥地帯を本拠とした遊牧騎馬民族 (西方のスキタイサルマートアバールハザール族,東方の匈奴柔然突厥ウイグルモンゴル,中間地域の烏孫月氏など) 。

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デジタル大辞泉の解説

きば‐みんぞく【騎馬民族】

騎馬による機動力を生かして領土を拡大し、また、遊牧・交易などを行って生活した民族。ユーラシア内陸の草原地帯で活躍したスキタイ匈奴(きょうど)などがある。

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世界大百科事典 第2版の解説

きばみんぞく【騎馬民族】

馬を多数飼育し騎乗による機動力を自己の日常の生産活動から対外活動に至るまで利用した民族。本来は中央ユーラシアのステップの遊牧騎馬民族または騎馬遊牧民族のことを言う。具体的には西方にスキタイ,サルマート(サウロマタイ),アラン,フン,アバール,ハザル,中央にサカ(塞),烏孫(うそん),康居,エフタルカザフなど,東方に匈奴,烏桓(うがん),鮮卑,柔然,突厥(とつくつ),ウイグル(回鶻),契丹,モンゴル,ジュンガルなどがいた。

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大辞林 第三版の解説

きばみんぞく【騎馬民族】

騎馬による活動を生活の中心とした民族。主にユーラシアの草原地帯で遊牧・征服・交易などを行なった。スキタイ・匈奴きようどなど。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

騎馬民族
きばみんぞく

騎馬戦術を用いて農耕地帯を略奪するか、または征服、あるいはそこへ移住した多くの民族の総称。これには、(1)内陸ユーラシアの乾燥地帯を中心に活躍した遊牧民系の騎馬民族と、(2)もともと乾燥地帯と森林地帯または農耕地帯との接触地帯で牧畜、農耕、狩猟に従事していた非遊牧民系のものとがある。
(1)には、西方ではスキタイ、サルマート、パルティア、アバール、ハザールなど、東方では、匈奴(きょうど)、柔然(じゅうぜん)、突厥(とっけつ)、ウイグル、契丹(きったん)、モンゴル、ジュンガルなどがあり、
(2)には、東方の烏丸(烏桓)(うがん)、鮮卑(せんぴ)、夫余(ふよ)、高句麗(こうくり)、女真(じょしん)、満州などがある。この非遊牧民系騎馬民族も、多くの場合、隣接した遊牧民系騎馬民族の影響を受けて騎馬民族化したものであるから、騎馬民族の成立、発展に果たした遊牧民の役割は大きい。
 しかし、遊牧と騎馬とは、初めから結び付いて行われていたのではない。騎馬術がいつどこで発明されたかは明らかではないが、それが古代オリエントで普及し始めたのは、紀元前10世紀ごろからであろうといわれている。そしてたぶんこの地方から騎馬術を採用して遊牧と結合させ、世界史上最初の典型的な遊牧騎馬民族国家を樹立したのが、アーリア系のスキタイである。スキタイは、前8世紀の末ごろ東方から南ロシア草原に現れ、前6世紀以後、南ロシア、北カフカスの草原を中心に強力な国家を建てた。遊牧民は騎馬術の採用によって、蒸気機関の発明以前における最大の機動力を獲得し、神出鬼没の騎兵軍団をつくりあげ、農業定着民の軍隊を圧倒した。
 ところで、スキタイ系の武器、馬具、装身具などの特徴は、さまざまの動物の姿を透(すかし)彫り、または浮彫りにして表した動物文様がとくに好まれた点にある。この動物文様を特徴とする騎馬文化は、東方に伝わってモンゴル高原の遊牧民に影響を与え、前3世紀末に、匈奴の遊牧騎馬民族が成立した。匈奴が滅亡すると、鮮卑が南満州からモンゴル高原に進出して、2世紀の中ごろに騎馬民族国家を建てたが、これは、3世紀の中ごろにいくつかの部族に分裂し、それらのあるものは中国へ移住して五胡(ごこ)十六国のうちのいくつかをつくり、やがて、鮮卑の一部族拓跋(たくばつ)が華北に北魏(ほくぎ)を建てた。北魏は、北アジアの騎馬民族が中国内部に樹立した最初の大王朝である。一方、モンゴル高原では、柔然(5世紀初め~6世紀中ごろ)、突厥(?~8世紀中ごろ)、ウイグル(?~9世紀中ごろ)、さらに、契丹、モンゴル、ジュンガルなどの遊牧騎馬民族が興亡した。これらのうち、匈奴、柔然、突厥、契丹、モンゴル、ジュンガルなどが、あくまでその本拠を確保したのは、それらがもともと遊牧民であったからであり、鮮卑がその本拠を見捨てて農業地帯へ移住したのは、それが元来、牧畜とともに農業をも行っていたからであろう。夫余や高句麗もまた、この鮮卑の型に属する非遊牧系の騎馬民族であった。とくに高句麗は東北アジア、「満州」にいたツングース系民族であり、4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた。スキタイ系の騎馬文化が農耕地帯へ流れ込んだのは、おもに、これら非遊牧系の騎馬民族によってである。すなわち、それは南遷した鮮卑によって3~5世紀の華北に流行し、また、高句麗、夫余などの手で朝鮮半島に伝播(でんぱ)した。さらに、動物文様を伴った武器、馬具、そのほかスキタイ系と思われる騎馬文化は、日本の古墳時代後期の文化を特徴づけている。[護 雅夫]

古代日本と騎馬民族

考古学的発掘の成果と、『古事記』『日本書紀』などにみられる神話や伝承、さらに東アジア史の大勢、この三つを総合的に検討した結果提唱されたのが、江上波夫(えがみなみお)の「騎馬民族説」である。その説によれば、夫余や高句麗と関係のある東北アジアの騎馬民族が、新鋭の武器と馬とをもって、東満州、朝鮮北部から南部朝鮮(任那(みまな))を経て北九州(筑紫(つくし))、さらに畿内(きない)へと侵入、征服、移動してきたのであるが、この過程は2段階に分かれる。第一段は任那から筑紫への侵入で、これは4世紀の前半に崇神(すじん)天皇によって行われ、第二段は筑紫から畿内への東征で、これは4世紀末から5世紀初頭にかけて応神(おうじん)天皇の手で遂行された。ここに日本国家の起源がある、という。この説に対しては、多くの日本史家は批判的であるが、井上光貞(みつさだ)のように、これを高く評価する学者もあり、また、水野祐(ゆう)(1918―2000)は「ネオ騎馬民族説」と称される説を唱えた。江上の「騎馬民族説」の細かい点については多くの疑問がある。しかし、いままで東洋史家と日本史家とによって別々に、それぞれの学問分野内部で論じられてきた多くの問題を、巧みに組み合わせ、総合的、統一的にとらえようとする江上波夫の方法には学ぶべき点が多い。日本国家の起源を考えるとき、この「騎馬民族説」を無視することはできない。[護 雅夫]
『江上波夫著『騎馬民族国家――日本古代史へのアプローチ』(中公新書) ▽井上光貞著『日本国家の起源』(岩波新書) ▽水野祐著『日本古代の国家形成――征服王朝と天皇家』(講談社現代新書) ▽護雅夫著『遊牧騎馬民族国家――「蒼き狼」の子孫たち』(講談社現代新書)』

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