最新 世界スポーツ人名事典 「ポールカリヤ」の解説
ポール カリヤ
Paul Kariya
アイスホッケー
生年月日:1974年10月16日
国籍:カナダ
出生地:ブリティッシュ・コロンビア州ノースバンクーバー
別名等:本名=Paul Tetsuhiko Kariya
学歴:メーン大学
受賞歴:ベストプレーヤー賞(全米大学リーグ)〔1992年〕;レディー・ビング記念賞〔1996年・1997年〕
経歴:日系2世の父とスコットランド系カナダ人の母を持つ日系3世で、日本名は狩谷哲彦。3歳でアイスホッケーを始め、1991〜92年シーズンにジュニアリーグでブリティッシュ・コロンビア州のMVPに輝く。その後もカナダ代表として世界中を転戦。’92年メーン大学に入学し、このシーズンにNCAAリーグで25得点、75アシストの大活躍でチームを優勝に導き、史上最年少のMVPを獲得。’93年NHLのドラフト1巡目全体4位でマイティダックス(現・ダックス)に指名される。主力として弱小チームを牽引し、’97年3月通算100ゴールを達成。’99年6月オールスターチームの左ウイングに選ばれる。2001年12月通算300アシストを達成。2002〜2003年シーズンにはスタンレー杯決勝に進出。2003〜2004年シーズンはアバランチ、2005〜2007年シーズンはプレデターズ、2007〜2008年シーズンよりブルースでプレー、能力とスポーツマン精神を総合的に評価するレディー・ビング記念賞を、1995〜96年シーズンから2季連続で受賞した。カナダ代表としては、’94年リレハンメル五輪で銀メダルを獲得。’98年長野五輪代表にも選ばれるが、怪我のため出場はなかった。2002年ソルトレークシティ五輪でカナダの50年ぶりの金メダルに貢献。世界選手権では、1994年金メダル、’96年銀メダルを獲得した。試合中の激突による度重なる脳震盪のため、2009〜2010年シーズンを最後に引退。NFL通算402ゴール、587アシスト。オールスター選出7回。弟のスティーブとマーティンもアイスホッケー選手。
出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報