アイスホッケー(読み)あいすほっけー(英語表記)ice hockey

翻訳|ice hockey

デジタル大辞泉 「アイスホッケー」の意味・読み・例文・類語

アイス‐ホッケー(ice hockey)

氷上競技の一。全身を防具で固めスケート靴を履いた1チーム6人ずつの競技者が、木製のスティックでパック(たま)を相手側ゴールに入れて得点を争うもの。冬季オリンピックでは、1924年の第1回大会から正式競技。 冬》
[補説]動きの激しさや、選手どうしのぶつかり合いなどから「氷上の格闘技」ともよばれる。
[類語]ウインタースポーツスキースケート

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精選版 日本国語大辞典 「アイスホッケー」の意味・読み・例文・類語

アイス‐ホッケー

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] ice hockey ) 氷上で、六人ずつ二組に分かれた競技者がスケートをはいて行なうホッケー。一八八〇年代にカナダで発生し、日本には大正一〇年(一九二一)頃紹介された。氷球。〔モダン用語辞典(1930)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アイスホッケー」の意味・わかりやすい解説

アイスホッケー
あいすほっけー
ice hockey

氷上スケート競技の一種。6人ずつの2チームで、スティックを操り、円盤状のパックを相手方のゴールに入れ合い、その得点で勝敗を決める。選手の滑走最高時速は50キロメートル以上、パックのそれは150キロメートル以上でスピード感にあふれる。しかもボディチェック(体当たり)など格闘技に似た激しい選手の動きがゲームを盛り上げる。

[両角政人・植木 孝]

歴史

起源は、イギリス、オランダで行われていたバンディーbandyという競技である。リンクはフィールドホッケーのように広大で、選手数も1チーム11人と、フィールドホッケーをそのまま氷上に移したものといってよい。この競技がカナダに伝わり、1860年ローヤル・カナディアン・ライフルズ連隊の兵士たちがキングストンの氷原で初めてパックを使って試合を行っている。起源についてはほかに、スコットランドのシンティ、カナダのシニー、アイルランドのハーリングという説もある。

 1877年1月、最初の公式アイスホッケーチームが、カナダのモントリオールにあるマックギル大学で結成された。さらに同年2月には、初めてルールが成文化され、モントリオールの地方新聞に発表されている。1チーム9人制であった。

 以後もルールの研究、合理化が続けられ、チーム構成は7人になったのち、現行の6人に落ち着いた。また、リンクを縮小し、一定の高さの板塀で囲むようになった。用具のスティックやパックにも改良が加えられ、ゲーム展開はよりスピーディーになり、広い層から支持を受け、ついにはカナダの国技にまで成長した。1893年にはアイスホッケー界最高のスタンレー杯選手権が制定され、翌1894年モントリオール・アマチュア運動競技協会を代表するクラブが第1回の優勝を飾った。なお、1893年にはアメリカのエール大学で同国初のアイスホッケー試合が行われ、1896年にはニューヨーク市にアメリカ・アマチュア・ホッケーリーグが誕生した。

 ヨーロッパではオーストリア、ドイツ、イギリスなどに急速に広まり、1908年フランス人マグナスLouis Magnus(1881―1950)の提案で国際アイスホッケー連盟International Ice Hockey Federation(略称IIHF)が設立された。加盟国はフランス、ボヘミア(現在チェコに含まれる)、イギリス、スイス、ベルギーの5か国であった。

 国際的競技会としては、世界選手権大会、ヨーロッパ選手権大会、オリンピック冬季大会がある。1910年の第1回ヨーロッパ選手権大会ではイギリスチームが優勝。第1回世界選手権大会は、1924年の第1回冬季オリンピック・シャモニー大会中の一種目として行われ、カナダチームが優勝した。以後オリンピック開催年に行われる世界選手権はオリンピック種目を兼ね、1972年(昭和47)札幌オリンピック大会から別個に行われるようになった(ただし、1980年、1984年、1988年には世界選手権は行われなかった)。世界選手権大会は成績順にトップディビジョン、ディビジョンⅠ、ディビジョンⅡ、ディビジョンⅢの四つに分けられており、毎年リーグ戦が行われている。

 なお、アメリカとカナダではアイスホッケーをプロフェッショナル化して2国にまたがるプロ・ホッケーのリーグ(NHL)を組織している。

[両角政人・植木 孝]

日本のアイスホッケー

1921年(大正10)ごろ、早稲田大学慶応義塾大学、東京帝国大学、北海道帝国大学、旧制松本高校などにスケート部が創設された。1923年北大本科対予科の試合が最初の試合とされている。1924年には、長野県下諏訪(しもすわ)町の特設リンクで早大対松本高校、東大対慶大の対抗試合が行われた。融氷により決勝戦は行われなかったと伝えられる。1929年(昭和4)11月、現在の日本スケート連盟(当時は大日本スケート競技連盟)が誕生、1972年(昭和47)の日本アイスホッケー連盟の分離創立まで、スピード、フィギュア、アイスホッケーの3種目を総括、同時に全国のスケート団体を統轄する母体となった。

 日本のアイスホッケーチームが外国に遠征したのは、1930年(昭和5)1月、満州医科大学チームのヨーロッパ遠征が最初である。また1935年3月には、当時世界屈指のカナダのサスカトゥーンクエーカー・チームが来日、7試合に圧勝して、初めて本場アイスホッケーの実力を紹介した。日本代表チームのオリンピック初参加は、翌1936年2月ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヘンで行われた第4回冬季オリンピック大会である。第二次世界大戦後、日本チームは、1960年第8回大会から1980年第13回大会までは毎回冬季オリンピックに参加していたが、それ以降は1998年長野大会のみの参加となっている(2013年末時点)。また世界選手権大会へは、1957年モスクワ世界選手権大会出場をはじめとして、1967年以降はほぼ毎回出場(2011年は東北地方太平洋沖地震のため不参加)、世界の強豪と技を競っている。

 国際交流に伴い国内アイスホッケーもいよいよ隆盛になり、日本アイスホッケー連盟は毎年行われる日本選手権大会、学生選手権大会のほか、1966年(昭和41)11月には、岩倉組、王子製紙、福徳相互、西武鉄道、古河電工の5チームによる日本アイスホッケーリーグを開始した。その後、2003~2004年シーズンからアジアリーグ・アイスホッケーが開催されるようになり、翌シーズンから、日本リーグはアジアリーグに統合された。アジアリーグ2013~2014年シーズンには、日本4チーム(日光アイスバックス、日本製紙クレインズ王子イーグルス、東北フリーブレイズ)、韓国3チーム(アニャンハルラ、デミョンサンム、ハイワン)、中国1チーム(チャイナドラゴン)、計8チームが参加している。

 2013年の時点で世界のトップレベルにあるのは、ロシア、フィンランド、チェコ、スウェーデン、カナダ、スロバキア、アメリカ、ノルウェーで、これに続くのが、スイス、ドイツ、ラトビア、デンマーク、ベラルーシ、フランス、オーストリア、イタリアの順で、日本は世界ランキング22位である。

 また、世界女子選手権では、日本は2007年にディビジョンⅠで優勝し、2008年はトップディビジョンに昇格。その後ディビジョンⅠに降格したものの、2013年4月にグループAで優勝し、トップディビジョン復帰を決めた。同年2月にはオリンピック最終予選を勝ち抜いており、2014年冬季オリンピック・ソチ大会(ロシア)にも出場する。

[両角政人・植木 孝]

競技場

リンクの大きさは長さ56~61メートル、幅26~30メートルで、高さ1.17メートル以上1.22メートル以下のボードと称する木製またはプラスチック製の壁で囲まれている。ボードの色は白とする。リンクは幅30センチメートルのブルーライン2本によって、三つの氷域に等分割される。中央の氷域はニュートラルゾーンとよび、ゴールを含む両端の氷域は、そこを防御するチームにとってはディフェンディングゾーン、逆に攻撃する側にとってはアタッキングゾーンになる。リンク中央には、ゴールラインに平行してリンクを横切り、垂直にボードに達する幅30センチメートルのレッドラインが引かれ、これをセンターラインとよぶ。センターラインの中心の点および円は、試合開始時のフェイスオフ・スポットの円で、他の四つの円と同じく、フェイスオフ時に他の選手が入れない限界の線である。ニュートラルゾーンの、ブルーライン近くにある点もフェイスオフ・スポットである。枠組み外部に、パックが飛び出さないようにネットが張られているゴール(高さ1.22メートル、幅1.83メートル、奥行0.6~1.12メートル)は、ゴールライン上の中心に固定される(図A)。

[両角政人・植木 孝]

用具

(1)スケート プレーヤーはセーフティー・ブレード(安全ヒールガード)のついた「アイスホッケー用のスケート」を着用しなければならない。また、ゴールキーパーは、IIHF(国際アイスホッケー連盟)の承認した「ゴールキーパー専用スケート」を着用する。

(2)スティック 木製またはIIHFの承認した素材でつくられたものでなければならない。また、蛍光色に塗られたスティックの使用は認められない。プレーヤー用のスティックとゴールキーパー用のスティックがあり、形状が異なる(図B参照)。

(3)パック 厚さ2.54センチメートル、直径7.62センチメートル、重さ156グラム以上170グラム以下の硬化ゴム、またはIIHFの承認した材質でつくられた平たい円盤状のもので、色はおもに黒とする。

(4)防具 スケート、スティック、パックなどでけがをしやすいので、選手はユニフォームの下にフェルトと革をあわせたプロテクター(胸当て)とレッグガード(すね当て)、エルボーパッド(ひじ当て)をつけ、頭部にはヘッドギヤー、チンストラップ(あごひも)、手には厚いグローブをはめる。シュートをさばくゴールキーパーはプレーヤーより重装備で、防具の重さは6キログラムもある。また、プレーヤーは全員、首とのどのプロテクターおよびマウスガードを使用する。

[両角政人・植木 孝]

競技方法

試合は1チーム6人編成で行われる。フォワード(FW)3人、ディフェンス(DF)2人、ゴールキーパー(GK)1人で、ゴールキーパーを除く5人の選手がスティックを操作しながら、相手ゴールへパックを打ち込んで得点を争う。まず、センターライン中央で両チームのセンターフォワード(CF)が、レフェリーの投下するパックをスティックで奪い合う(フェイスオフ)。これで試合が開始される。試合時間は20分ずつ3回、その間に15分ずつの休憩がある。ゴールへパックを打ち込むと得点(1点)になり、試合終了時、得点の多いチームが勝ちとなる。

 フォワードはおもに攻撃が役目で、スピードのある選手が選ばれ、ディフェンスはボディチェック(体当たり)など相手の突進を防ぐのが任務で、頑健な身体が要求される。防御から攻撃に移るとき、ディフェンスもフォワードに加わって5人で攻撃をかけるのが、スピードとスリルに富む近代アイスホッケーの傾向である。アイスホッケーは水球に次いで体力消耗の激しい競技であるから、1試合の1チーム登録選手20人(国際試合および日本選手権大会では22人)のうち、ゴールキーパー2人を除く18人中から随時交代できる。危険を伴うので、これを防ぐため、反則を犯した選手には、軽重により、2分、5分、10分間の退場や、また残余試合時間中ずっと退場を命ぜられるマッチ・ペナルティーとゲーム・ミスコンダクト・ペナルティーなどの罰則がある。

 チームには、ユニフォームに「C」のマークをつける主将(1人)と、「A」のマークをつける主将代行(2人以下)がいる。試合中発生する競技規則解釈上の諸疑問に関して、レフェリーに質問する特権をもつのは、主将に限られる。ただし主将が負傷などでベンチにいなくなったときは、主将代行が代行できる。国際試合、国内試合とも、通常はレフェリー1人、ラインズマン2人で行われているが、トップリーグの試合はレフェリー2人、ラインズマン2人の4人制が主流である。ほかにゴールジャッジ2人、ゲームスーパーバイザー、ゲームタイムスコアラー、ペナルティータイムキーパー、オフィシャルスコアラー各1人が各試合で任命される。

[両角政人・植木 孝]

『大室広一著『アイスホッケー』(1999・成美堂出版)』『公益財団法人日本アイスホッケー連盟監修・発行『アイスホッケー国際競技規則』(2010~2014年度)』


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改訂新版 世界大百科事典 「アイスホッケー」の意味・わかりやすい解説

アイスホッケー
ice hockey

氷上スケート競技の一種。雪や氷で閉ざされる期間の長い北ヨーロッパやロシアなどで,交通の手段として欠くことのできなかったスケートは,12世紀ころから娯楽として楽しまれるようになった。近代スポーツとしてのスケートは,速さを争うスピードスケート,美しさを競うフィギュアスケート,一つの球を奪い合うアイスホッケーとに分かれて発展した。

北アメリカ大陸にヨーロッパからの移住者が増えるに従って,北アメリカでもスケートが盛んに行われるようになった。アイスホッケーの起源は,イギリスや北ヨーロッパで行われていたバンディがカナダに渡ったという説や,1860年代にカナダの軍人の間で行われていた冬の遊戯であるという説があるが,明確ではない。モントリオールのロバートソンW.F.Robertsonらにより,79年に現在に近い競技規則が整えられた。当時のルールでは1チームは9人だったが,その後7人となり,最終的に現在の6人となった。北アメリカに普及したアイスホッケーは,ヨーロッパに伝わり,やがて世界各地に広がっていった。この競技が〈カナダの国技〉といわれ,荒々しい男のいぶきや,物を恐れぬ勇気が感じられ,さらに勝敗の鍵を握るのが旺盛な闘争心であることなどは,軍人を中心にした新大陸の開拓者の手で作られたという歴史的背景があるからであろう。

 一方,日本では1924年諏訪湖畔の特設リンクで,学生チームが最初の対抗試合を行った。それには,1911年八王子~名古屋間の中央本線全線が開通し,諏訪地方が京浜,京阪神と直接結ばれるようになったため,冬の休暇を利用して東京,関西の若者,とくに学生が信州の天然氷を求めて続々と繰り込んできたという背景がある。戦後実業団が台頭するまでは,学生選手を中心に発達した。29年には日本スケート連盟(当時は大日本スケート競技連盟)が創設され,30年から全日本選手権が行われるようになった。国際舞台への初登場も,30年単独でヨーロッパ遠征した満州医大チームであった。36年ガルミッシュパルテンキルヘン(ドイツ)で開催されたオリンピック大会へ初めてナショナルチームを派遣したが,戦前の国際交流はこれでとだえた。戦後の51年国際アイスホッケー連盟International Ice Hockey Federation(略称IIHF)への復帰が許されてから,日本のアイスホッケーは積極的に国際交流を重ねた。オリンピック大会には60年のスコーバレー大会以降80年のレークプラシッド大会まで6度連続出場したが,それ以降は予選で敗退し,開催国枠で98年の長野大会に出場。世界選手権大会には毎年出場している。98年には極東枠が新設され,Aグループ入りを果たす。

 72年にはオリンピック大会を札幌で開催したが,札幌オリンピックへの選手強化対策として,1966年に実業団5チームによる日本リーグが誕生した。日本リーグ(現在は6チーム)は今日では全日本選手権と並んで二大イベントとして人気の中心になっていることでもわかるように,戦後の勢力地図は学生から実業団へと塗り変えられた。72年には,従来その一部門として属していた日本スケート連盟から分離して,日本アイスホッケー連盟が誕生し,現在では傘下に47の都道府県連盟を有し,2万8000人を超える登録者がいる。

 世界を統括するIIHFは1908年に組織され,53ヵ国が加盟(1997現在)している。IIHFは世界およびヨーロッパの選手権大会を主催し,本部はスイスのチューリヒにある。オリンピックには,20年アントワープで開かれた第7回大会で初めて競技種目となり,24年第1回冬季大会から正式種目として行われている。女子も98年の長野での第18回大会から正式種目となった。

石のように固いパック(球)やスティックが当たったりするので,靴はじょうぶで固く,しかも激しい動きを要求されるため軽い材質で作られている。ブレード(スケートの刃の部分)も他のスケート種目に比べると分厚くがんじょうにできている。スティックは公認された木または他の材料で作られ,パックは硬化ゴムで作られた黒色の円盤形のものである。選手はプロテクター,レガードなどを着けるが,グローブ,ゴールキーパーのレガード以外は,ユニフォーム,ストッキングの下に着けなければならない。傷害防止のためにヘルメットの着用が義務づけられており,ゴールキーパーと若年競技者はフェースマスクを着けなければならない。ナショナルチームや上部リーグのチームは反対色のものを2着以上もっており,敵みかた入り乱れた試合の中でもまぎらわしくないようにしている。パンツは,最近では腰当て,もも当てが繰り込まれ,防具の一つになっている。

試合は,1チーム6人(フォワード3人,ディフェンス2人,ゴールキーパー1人)ずつがリンクと呼ばれる氷の上で,スティックでパックを扱いながら相手ゴールへシュートし,得点の多少を争う。選手は2人のゴールキーパーを含む20人までがベンチに入ることが許され,この中からならば,いつ,何回でも交替できる。氷面は赤色や青色の何本かのラインでくぎられており,このラインを基準に,オフサイドやアイシング・ザ・パックと呼ぶ反則が決められている。プレーが非常にスピーディであり,スティックやパックを使い,さらにボディチェック(体当り)が許されているので,危険を防ぐためにあまりに乱暴なフェアでないプレーをした選手はペナルティとして,2分,5分,10分,あるいはそれ以上の時間退場させられる。試合時間は20分ずつ3回行われ,この1回をピリオドと呼ぶ。各ピリオドの間には15分の休憩がある。試合は1人のレフェリーと2人のラインズマンにより進行される。

アイスホッケーのコラム・用語解説

【アイスホッケーの用語】

アイシング・ザ・パック icing the puck
みかたの選手がセンターラインの手前から放ったパックが相手側のゴールラインを越し,相手チームが先に触れた場合をいう。この場合試合は停止され,パックを出したチームの陣内に戻って再開される。
オフサイド off side
選手が規定に反した位置にいてプレーすること。オンサイドに対していう。
クロスチェッキング cross checking
スティックを両手で持ち氷面から完全に離した状態で相手に当たる反則。
スナップショット snap shot
パックの後ろにスティックを置き,氷上を滑らせながら手首を利かせて放つシュート。
スラップショット slap shot
振り上げたスティックを氷上のパックにたたきつけスティックのたわみを利用して放つシュート。
ドッジング dodging
スティックでパックを扱う技術。ドリブルに同じ。
ハイスティック high stick
スティックを肩より上にあげてプレーすること。場合によっては反則となる。
パワープレー power play
相手チームが反則退場して小人数になっているとき総がかりで強攻すること。
フェースオフ face off
プレーが開始または再開されるとき,相対した両チームの選手の間にレフェリー,ラインズマンによってパックが投げ落とされること。
フォアチェック fore check
相手陣内で相手側にパックを奪われたとき,すぐに帰陣せず相手陣内でチェックを繰り返す積極的防御法。
執筆者:

プロのアイスホッケーは北アメリカにしかないが,すでに1903年に最初のプロチームが誕生,現在はカナダ,アメリカ両国にまたがるナショナル・ホッケー・リーグ(NHL)がもっとも大きな組織で,30チームで構成されている。97年10月には北アメリカ以外での初公式戦が東京・国立代々木競技場で行われた。
スケート
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百科事典マイペディア 「アイスホッケー」の意味・わかりやすい解説

アイスホッケー

スケートをはいた6人の選手(フォワード3,ディフェンス2,ゴールキーパー1)が2チーム相対して行う氷上競技。先の曲がった木製のスティックでパック(ゴム製の円盤)を相手のゴールに入れて得点を争う。競技は15分ずつの休憩(インターミッション)をはさんで20分ずつ3回(ピリオド)行う。アイスホッケーの原型はオランダでできあがり,19世紀後半以降カナダで国技として急速に発達した。カナダ,米国にまたがるプロ・アイスホッケー最大のリーグ,ナショナル・ホッケー・リーグ(NHL)がある。日本では1930年から全日本選手権が行われ,1966年に実業団チームによる日本リーグが誕生した。オリンピックでは男子は1920年のアントワープオリンピックで正式種目として採用され,1924年のシャモニー・モンブランオリンピックから冬季オリンピックの種目となった。女子は1998年の長野オリンピックから正式種目。男女ともカナダ,アメリカ,スウェーデンが強豪。日本は2014年のソチオリンピックまでに男子8回,女子2回出場し,1998年の長野オリンピックの女子6位が最高。
→関連項目冬季オリンピックホッケー

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アイスホッケー」の意味・わかりやすい解説

アイスホッケー
ice hockey

氷上スケート競技の一種。氷のリンク上で,6人編成(フォワード 3人,ディフェンス 2人,ゴールキーパー 1人)の 2チームが,スティックでパックを相手ゴールに入れ,その得点を競う。イギリスやオランダのバンディ,アイルランドのハーリングなどの起源説がある。1880年頃にカナダで初めてルールが作成され,競技化された。以後北アメリカ,ヨーロッパ諸国に普及し,1908年国際アイスホッケー連盟が設立され,1924年第1回シャモニー・オリンピック冬季競技大会から正式種目に採用された。日本へは 1915年頃輸入され,1928年の大日本スケート連盟設立を機に 1936年には初めてオリンピックへ参加した(→ガルミッシュパルテンキルヘン・オリンピック冬季競技大会)。以後 1972年の札幌オリンピック冬季競技大会開催などを経て,代表的な冬季スポーツの一つに数えられている。1972年日本スケート連盟から独立して,日本アイスホッケー連盟が設立。リンクは 61m×30mが標準で,まわりをフェンスで囲む。競技はリンク中央でのフェースオフから始まり,相手ゴールへのシュートが成功すれば 1点となり,15分間の休憩を挟んだ 3ピリオド(1ピリオドは 20分)で行なわれる。反則を犯した選手は,その程度によって 2~10分ペナルティ・ボックスに入らなければならない。きわめて悪質な場合は残り時間全部の場合もある。激しい競技のためにゴールキーパー 2人を含めて 1チーム 22人登録でき,選手交代はいつでも可能,交代回数にも制限はない。女子アイスホッケーは 1998年の長野オリンピック冬季競技大会からオリンピック種目となった。

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知恵蔵 「アイスホッケー」の解説

アイスホッケー

四隅を丸いコーナーにしたアイスリンクで、防具に身を固め、スティックを持った選手が、最高時速60kmで走り回り、硬質ゴム製の直径7.62cm、厚さ2.54cm、重さ156〜170gのパックを、高さ1.22m、幅1.83mのゴールの中に入れ合う競技。氷上の格闘技といわれ、欧米では氷上競技の中で最も人気がある。1908年に国際アイスホッケー連盟が発足。各チームゴールキーパー1人と、ディフェンス2人、フォワード3人の計6人。試合時間は1ピリオド正味20分で、間に15分間の休憩をはさみ、3ピリオドを戦う。スポーツの中でも最も体力の消耗が激しい競技の1つといわれ、選手がリンク上にいるのは2分が限度。そのため各チームは、ディフェンス、フォワードのユニットを3〜4セット作り、次々に交代させる。リンクには中央の赤いセンターラインと両側のゴールラインの間を3等分するようにブルーラインが2本引かれている。攻撃側の選手はパックより先に相手陣のブルーラインを越えるとオフサイド。攻撃側の選手は、自陣のブルーライン内からセンターラインを越えるパスをしてもオフサイド。センターライン手前から、パックが選手に触れずにゴールラインを越えるとアイシングとなり、いずれも、審判が落下させたパックを奪い合うフェースオフでゲームが再開される。重い反則を犯した選手はペナルティーボックスに退場させられるが、その時間は2分、5分、10分とあり、きわめて悪質な場合は残り時間全部ということもある。反則で相手選手が退場した時は、選手の人数の多い方は断然有利で、勝敗を分けるポイントとなる。この時間帯をパワープレーと呼ぶ。

(折山淑美 スポーツライター / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアイスホッケーの言及

【オフサイド】より

…サッカーやラグビーやアメリカン・フットボールなどのフットボール系統の競技や,ホッケーやアイスホッケーといったスティックを使う球技,それに水球などで,相手ゴール方向への行動を制約している規定。一般的にボール(アイスホッケーではパック)を支配保持していないプレーヤーが対象で,ボールよりも前方の,ルールに定められた侵入禁止地域やプレー禁止地域に位置すること,およびその地点でプレーする反則をいう。…

※「アイスホッケー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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