日本大百科全書(ニッポニカ) 「マグロー」の意味・わかりやすい解説
マグロー
まぐろー
John Joseph McGraw
(1873―1934)
アメリカのプロ野球選手(右投左打)、監督。大リーグ(メジャー・リーグ)のアメリカン・アソシエーションのボルティモア・オリオールズ、ナショナル・リーグのボルティモア・オリオールズ、セントルイス・カージナルス、アメリカン・リーグのボルティモア・オリオールズ(現在のチームとは別球団でニューヨーク・ヤンキースの前身)、ニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)でおもに三塁手としてプレー。1899年からはナショナル・リーグのオリオールズ、アメリカン・リーグのオリオールズ、ジャイアンツで監督として采配(さいはい)を振るった。選手を統制する君主然とした指揮ぶりで「リトル・ナポレオン」の異名をとった名監督である。
4月7日、ニューヨーク州トラクストンで生まれる。1891年、オリオールズに入団。しぶとい打撃で高い出塁率を残し、俊足を生かし得点源として勝利に貢献した。ナショナル・リーグのオリオールズに在籍していた1899年には監督兼任となり、1900年はカージナルスで選手専任、01年はアメリカン・リーグに誕生したばかりのオリオールズでふたたび監督兼任となり、02年途中でジャイアンツに移り、06年限りで現役を引退するまで監督兼任を続けた。その間、1904年にリーグ優勝、05年にはワールド・シリーズを制したが、04年はワールド・シリーズでのボストン・ピルグリムス(現ボストン・レッドソックス)との対戦を拒否。1903年に開催された第1回のシリーズではピッツバーグ・パイレーツがピルグリムスに負けており、歴史ある古豪のナショナル・リーグが新興アメリカン・リーグの軍門に下ったことに腹を立てていたのが理由といわれている。現役を引退し、監督専任となってからは、1911年から3年連続してリーグ優勝し、17年にもリーグ優勝。1921年からも4年連続リーグ優勝し、21年と22年にはワールド・シリーズにも勝った。1932年の途中で第一線からは退いたが、33年に初めて行われたオールスター・ゲームではナショナル・リーグの監督を務めた。監督在任33年、通算勝利2763は、いずれも歴代2位の記録である。
選手としての16年間の通算成績は、出場試合1099、安打1309、打率3割3分4厘、本塁打13、打点462。監督としての通算成績(33年)は、2763勝1948敗、リーグ優勝10回、ワールド・シリーズ優勝3回。1937年に野球殿堂入り。
[山下 健]
『ジョセフ・ダーソー著、宮川毅訳『ジョン・マグロー伝 近代野球の開拓者』(1974・ベースボール・マガジン社)』