マダン(その他表記)Madang

デジタル大辞泉 「マダン」の意味・読み・例文・類語

マダン(Madang)

パプアニューギニアニューギニア島北東岸の都市ビスマーク海に面する。港湾を有し、コプラ木材積出港になっている。ドイツ領ニューギニア時代初期に支配拠点が置かれたが、のちにラバウル移転。旧称フリードリヒウィルヘルムハーフェン。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マダン」の意味・わかりやすい解説

マダン
まだん
Madang

パプア・ニューギニア、ニューギニア島北岸の都市。人口2万7394(2000)。マダン州(人口36万5106、2000)の行政中心地。港は同国の主要港の一つで、コプラ、ココア、木材などを輸出する。近くのゴゴル地区などの林業開発に伴って、製材工場や日系企業のチップ工場が進出している。ハイランド国道開通以前の1960年代前半まで、高地地方との航空輸送の拠点であった。ドイツ領ニューギニア時代初期に行政中心地であったことがある。

[谷内 達]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マダン」の意味・わかりやすい解説

マダン
Madang

パプアニューギニア,ニューギニア島北東岸の都市。ドイツ統治時代に首都だったことがある。第2次世界大戦後,ハイランド地方との空輸により同地方の輸出入港であったが,ラエからのハイランド国道開通 (1960年代末) によりその地位をラエに奪われた。マダン県 (面積2万 9000km2。人口 27万 299〈1990〉) の県都。輸出入港としての役割ほか製材,各種軽工業がある。人口2万 7057 (1990) 。

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世界大百科事典(旧版)内のマダンの言及

【住居】より

…25年から35年にかけて,西欧の住宅の近代化の影響を受け,日本にも鉄筋コンクリート造で,窓面積を大きく取り,椅子や寝台による生活を前提にして,生活の快適さや生活機能の合理化を考えた住宅が建設されはじめたが,そのような形式の住宅の普及は45年以降まで持ち越された。民家【鈴木 充】
〔アジアの住居〕

【朝鮮】

[建物とマダン(内庭)]
 屋敷はほとんど例外なく塀をめぐらし,大門一つによって外部とつながった独立した空間をなしている。塀は生垣や柴垣もあるが,大部分は土と石でつくられる。…

【住居】より

…25年から35年にかけて,西欧の住宅の近代化の影響を受け,日本にも鉄筋コンクリート造で,窓面積を大きく取り,椅子や寝台による生活を前提にして,生活の快適さや生活機能の合理化を考えた住宅が建設されはじめたが,そのような形式の住宅の普及は45年以降まで持ち越された。民家【鈴木 充】
〔アジアの住居〕

【朝鮮】

[建物とマダン(内庭)]
 屋敷はほとんど例外なく塀をめぐらし,大門一つによって外部とつながった独立した空間をなしている。塀は生垣や柴垣もあるが,大部分は土と石でつくられる。…

※「マダン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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