日本大百科全書(ニッポニカ) 「マニウ」の意味・わかりやすい解説 マニウまにうIuliu Maniu(1873―1953) ルーマニアの政治家。1918年に出生地トランシルバニアのルーマニア帰属運動を指導した。1926年に民族農民党結成に尽力し、1928~1930年、1932~1933年に首相に就任した。国王カロルの独裁とアントネスク将軍の独裁に反対し、1944年に共産党を含む四党中心のクーデターに参加した。1946年の選挙後その不正を理由に議会をボイコット、1947年に共産党政権によって逮捕、終身刑を宣告され、獄死した。[木戸 蓊][参照項目] | トランシルバニア | ルーマニア 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マニウ」の意味・わかりやすい解説 マニウManiu, Iuliu [生]1873.1.8. トランシルバニア,シムレウルシルバニエイ[没]1953.1.3. シゲトゥルママツィエイルーマニアの政治家。ウィーン大学で法律を学び,検事となった。ルーマニア国民党指導者としてハンガリー議会で自民族の権利を主張,1918年トランシルバニアのルーマニアへの合併を指導した。 26年に農民党と合併,国家農民党を創設して党首となり,28~30,32~33年首相に就任。第2次世界大戦中は I.アントネスク将軍への反対運動を行い,戦後は共産党による干渉に反対して選挙をボイコット,47年に反国家陰謀の罪名で終身刑を宣告された。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by