マレンゴの戦い(読み)まれんごのたたかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マレンゴの戦い」の意味・わかりやすい解説

マレンゴの戦い
まれんごのたたかい

1800年6月13、14日に行われた、ナポレオンオーストリア軍との戦闘。マレンゴMarengoは北イタリアの平野の村落名。ナポレオンは統領に就任するや、オーストリアに和平を提案したが、いれられないのを理由に、アルプスを越え、同年6月2日ミラノに入り、オーストリア軍7万とマレンゴの野で対戦した。装備を誇るオーストリア軍に対し、兵力を分散したナポレオン軍は、終始押されぎみであったが、ドゼーLouis Charles Antoine Desaix de Veygoux(1768―1800)将軍苦戦のさなかに救援に駆けつけ、ナポレオンはからくも退勢挽回(ばんかい)し、勝利を掲げた。彼は7月にオーストリア軍と休戦協定を結んだ。

[金澤 誠]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マレンゴの戦い」の意味・わかりやすい解説

マレンゴの戦い
マレンゴのたたかい
Battle of Marengo

1800年6月 14日ナポレオン (1世) 指揮下のフランス軍とオーストリア軍によって,ジェノバ北方 45kmのマレンゴで戦われた会戦。オーストリア軍司令官の M.メラス将軍は,3万人の部隊をもって,行進中のフランス軍を奇襲し,一時これを敗走させた。しかしドゼー・ド・ベーグーの率いる援軍に助けられたフランス軍は反撃し,オーストリア軍の半分捕虜とした。この戦いで約 9000人のオーストリア兵と約 4000人のフランス兵が戦死した。翌日メラスは降伏し,フランスの第2次イタリア遠征は終った。

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