日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミッタル」の意味・わかりやすい解説
ミッタル
みったる
Lakshmi Mittal
(1950― )
ヨーロッパを拠点に活動するインド人企業家。短期間に世界の鉄鋼王となった。インドのラージャスターン州の砂漠地帯に生まれ、カルカッタ大学を卒業した後、父の経営する鉄鋼会社に入った。1976年父は、インドより自由な経済活動のできるインドネシアでの事業も企図し、27歳のラクシュミ・ミッタルに経営を任せた。ミッタルは、くず鉄にかえて細かく砕いた鉄鉱石を直接電炉に供給する方法(直接還元法またはDRI法)を導入し、改良を加えて成功した。当時世界各地の国営工場や州営工場がこの方法を採用していたが、その多くは経営に行き詰まった。ミッタルは1988年のトリニダード・トバゴの国営工場の買収を皮切りに、メキシコ、カナダ、アイルランド、ドイツなどの破綻(はたん)寸前の工場を安く買収しては、世界的な専門家を束ねて問題点を精査させ、巨費を投じて短期間に高収益工場に再建した。ミッタルの再建で特筆すべきは人員の大幅削減ではなく、工場の近代化と従業員の意識改革を最優先課題としたことである。たとえば、利益、コスト、品質、生産量などについて、週・月ごとに報告を義務づけることによって従業員の役割と責任を明確化し、大きな成果をあげた。このようにしてミッタルは、「病める工場のドクター」とよばれるようになった。
1995年のカザフスタンの国営工場買収の場合は、ソ連式の古いもので、しかも労働者のモラルも低く、いかにもリスクが大であった。そのため、国内事業中心の父や2人の弟たちに反対され、グループの事業を分割することになった。ちなみにグループで当時もっとも知名度の高い企業は、大阪の日本電炉(現、デンロコーポレーション)の名を冠したニッポンデンロ・イスパットであった。分裂を機にラクシュミ・ミッタルは100%自己所有の本社をロンドンに設立し、その2年後には株式をニューヨークとアムステルダムの証券取引所に上場し、アメリカや東欧などへの拡大戦略を加速させた。そして2004年にはアメリカ鉄鋼大手のインターナショナル・スチールを併合して、世界の頂点にたった。さらには2006年に世界第2位のアルセロールの買収に成功し、新日本製鉄(現、日本製鉄)の3倍以上の巨大企業アルセロール・ミッタルを誕生させた。この大型買収は、世界的な鉄鋼業界再編の幕開けでもあった。
[三上敦史]
『三上敦史著「インド人企業家ミッタル世界の鉄鋼王への軌跡」(『世界週報』2006年8月8日号所収・時事通信社)』▽『NHKスペシャル取材班著『新日鉄vsミタル』(2007・ダイヤモンド社)』▽『ティム・ブーケイ、バイロン・ウジー著、中島美重子・田中健彦訳『インドの鉄人――世界をのみ込んだ最後の買収劇』(2010・産経新聞出版)』