トリニダードトバゴ(読み)とりにだーどとばご(その他表記)Trinidad and Tobago

デジタル大辞泉 「トリニダードトバゴ」の意味・読み・例文・類語

トリニダード‐トバゴ(Trinidad and Tobago)

西インド諸島南東部、小アンティル諸島南端にあるトリニダード島およびその北方にあるトバゴ島からなる国。正称、トリニダードトバゴ共和国。首都ポートオブスペインはトリニダード島にある。石油や天然ガスアスファルトを産する。もと英国領。1962年独立し、英連邦の一員。人口137万(2021)。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

共同通信ニュース用語解説 「トリニダードトバゴ」の解説

トリニダード・トバゴ

カリブ海の西インド諸島南端に位置し、トリニダード島とトバゴ島からなる。人口は約136万人。首都はトリニダード島のポートオブスペインで、公用語は英語。ドラム缶から作られた打楽器スチールパンの発祥の地とされる。天然ガスや石油など天然資源が豊富で、経済規模は、1973年に設立された旧英領カリブ海諸国を中心としたカリブ共同体(カリコム)の中で最大。日本の外務省によると同島の治安は年々悪化しており、殺人や誘拐などの犯罪も多い。(共同)

更新日:

出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報

精選版 日本国語大辞典 「トリニダードトバゴ」の意味・読み・例文・類語

トリニダード‐トバゴ

  1. ( Trinidad and Tobago ) カリブ海の南端にある共和国。一九六二年独立。小アンティル諸島南端のトリニダード島とトバゴ島からなる。砂糖・ココア・コプラのほか石油・アスファルトを輸出。首都はトリニダード島のポート‐オブ‐スペイン。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トリニダードトバゴ」の意味・わかりやすい解説

トリニダード・トバゴ
とりにだーどとばご
Trinidad and Tobago

南アメリカのベネズエラ北東沖約11キロメートルのトリニダード島と、その北東約32キロメートルに位置するトバゴ島からなる国。正称はトリニダード・トバゴ共和国Republic of Trinidad and Tobago。面積5128平方キロメートル、人口130万(2005年推計)。首都はトリニダード島のポート・オブ・スペイン。

[菅野峰明]

自然

トリニダード島とトバゴ島はウィンドワード諸島の南方にあるので、小アンティル諸島に含められるが、島は地質学的には南アメリカ大陸の延長部分とみなされる。トリニダード島には南と北と中央部にほぼ東西に走る山地があり、北部の山地は標高900メートル以上に達する。山地の間の平地を小さな河川が流れている。トバゴ島はトリニダード島よりも起伏に富み、海岸線は小さな入り江が多い。北緯10~11度に位置するので他のアンティル諸島よりも平均気温が高く、首都ポート・オブ・スペインの1月の平均気温は24.5℃、7月の平均気温は25.9℃である。北東貿易風が吹くので、気温のわりには比較的しのぎやすい。1~5月が乾期、6~12月は雨期である。年降水量は東部の風上側で2500ミリメートル、西部の風下側は1250ミリメートルである。

[菅野峰明]

歴史

1498年コロンブスの第三次航海によって発見されスペイン領となった。17~18世紀にアフリカから連れてきた黒人奴隷を使用してカカオとサトウキビプランテーション経営が行われた。1783年スペインはスペイン人以外の入植者も認めたので、多数のフランス人がアフリカ人奴隷を連れて入植した。1797年イギリスがトリニダード島を占領し、1802年に正式にイギリス領となった。トバゴ島は1814年にイギリスに占領され、1889年にトリニダード島とともにイギリスの直轄植民地となった。1833年トリニダード島の奴隷は解放され、プランテーションの労働者不足を補うためイギリスは約15万人のインド人を導入した。1955年ごろからエリック・ウィリアムズの指導の下に自治獲得運動が進み、1961年内政自治権を獲得し、1962年8月イギリス連邦の一員として独立、1976年8月共和制に移行した。

 1970年2~4月に黒人労働者による放火、略奪などの大暴動が起こり、政府は軍隊を使用してこれを鎮圧した。1975年、急激な物価上昇によって石油、砂糖産業の長期ストが引き起こされたが、政府は石油からの収入を利用して減税を図り、社会福祉費を増額し、インフレ対策として食料品価格安定のための補助金を支給するなどの対策を講じた。1976年、政府は通貨をイギリス・ポンドからアメリカ・ドルにリンクさせ、通貨の安定を図った。

[菅野峰明]

政治

政体は上院(定員31人)、下院(定員36人)の2院からなる共和制で、大統領は上下院議員の投票によって選出される。行政権は首相にあり、首相には下院の多数党党首が任命される。1956年以来、黒人住民を支持層とする人民国家運動党(PNM)が政権の座にあったが、1986年総選挙で野党連合の国家再建同盟(NAR)が政権をとった。しかし、1989年NAR左派議員が統一民族会議(UNC)を結成して分裂。1991年の総選挙で政権を奪還したPNMは安定政権を目ざして1995年1月に選挙を実施したが惨敗、UNCとNARが連立政権を樹立した。2000年12月の総選挙ではUNCが議席数を増やし、単独政権となった。翌2001年12月にふたたび総選挙が行われ、UNCとPNMがともに18議席の同数となったため、獲得議席数では首相が決められず、大統領レイモンド・ロビンソンA. N. Raymond Robinson(1926―2014)によってPNMのパトリック・マニングPatrick Manning(1946―2016)が首相に任命された。しかしこの件でUNCが反発したため、2002年10月改めて総選挙が行われ、PNMが20議席を獲得して勝利し、マニングが首相に再任命された。2003年2月には大統領選挙が行われ、PNM推薦のジョージ・マクスウェル・リチャーズGeorge Maxwell Richards(1931― )が大統領に選出された。外交関係は、イギリスおよびアメリカ合衆国との伝統的関係の維持および非同盟政策を中心としている。またカリブ共同体(CARICOM(カリコム))最大の経済力をもち、その主導的立場にある。

[菅野峰明]

経済・産業

18世紀末にイギリス人がサトウキビやカカオのプランテーション経営を積極的に進めて以来、トリニダード島の経済活動の中心はサトウキビやカカオの栽培であった。1910年ごろからの石油の発見により、トリニダード島の経済は多様化してきた。

 農業就業者は総就業者の9.5%を占める。トリニダード島の約半分は森林に覆われ、残りが耕地である。耕地の約2分の1はカカオや柑橘(かんきつ)類の樹木作物、約4分の1はサトウキビ、約4分の1は食料作物の栽培に利用される。サトウキビは19世紀末まで小規模な農園で栽培されていたが、その後、小規模農園は統合され、土地条件の悪い所にはカカオやそのほかの作物が栽培されるようになった。カカオも植民地時代から栽培されていたが、19世紀の終わりにサトウキビの栽培面積が減少するにつれて、1930年代までカカオの栽培面積が増加した。しかし、その後はアフリカの黄金海岸(ガーナ)やブラジルのカカオとの競合に敗れ、カカオ栽培地はコーヒーや柑橘類の畑にかわった。

 トリニダード・トバゴの経済構造を特徴づけている石油産業は、1910年ごろピッチ湖周辺での石油採掘から始まった。第二次世界大戦後、石油資源を利用しての工業開発計画が進展し、石油化学、繊維、衣服、セメント、ガラス、食品などの工業が発展した。1960年代後半から石油資源の枯渇傾向が目だったが、1972~1975年に海底油田が発見され石油生産はふたたび上昇に転じた。石油産業は石油精製が著しく発達していることが特徴で、精油量は自国の石油産出量の2倍にもなり、原油はおもにベネズエラ、コロンビアなどから輸入している。石油製品は輸出総額の約50%を占める。石油と並んで天然ガスとアスファルトの埋蔵量も多い。アスファルトは天然のもので、ピッチ湖に産し、索道で南西海岸の港まで運ばれ、そこからイギリスに輸出される。

 主要輸入相手国はアメリカ、ベネズエラ、ドイツ、ブラジルで、原油、輸送用機器、鉄鋼の輸入が多い。主要輸出相手国はアメリカが67%を占め、石油製品、原油、化学製品、工業製品の輸出が多い(2004)。原油、石油製品および砂糖の輸出によって、1人当り国民総所得(GNI)は8730ドル(2004)で西インド諸島でもっとも高い国の一つである。しかし失業率は16.3%(1996)から10.6%(2003)へ低下してきたとはいえ依然として高い。温暖な気候と美しい砂浜、島の美しい風景を求めて、カナダやアメリカから多くの観光・保養客が訪れ、観光収入も外貨獲得の重要な手段となっている。

[菅野峰明]

社会・文化

イギリスがトリニダード島を領有して以来、プランテーション経営のもとでアフリカ人、インド人、中国人、シリア人、ベネズエラ人が導入されたので人種的に複雑で、さまざまな風俗、習慣が共存している。住民はインド系40%、アフリカ系37.5%、混血20.5%、その他中国系など1.2%である。宗教はカトリック教徒30%、ヒンドゥー教徒24%、プロテスタント教徒19%、ほかに英国国教会教徒(11%)、イスラム教徒(6%)もいる。民族ごとに居住地域が違うのが特色で、アフリカ系は都市地域や油田地帯に住むが、インド系はサトウキビ地帯の農村に多く住んでいる。人種の多様性にもかかわらず、英語(公用語)が大部分で、ほかにヒンディー語も話される。カリプソ音楽とリンボーダンスの発生地で、音楽に関する催しが多い。

[菅野峰明]

『内田莉莎子著『ヤギとライオン――トリニダード・トバゴの民話』(1991・鈴木出版)』『田辺裕監修、栗原尚子・渡辺真紀子訳『図説大百科 世界の地理4 中部アメリカ』(1999・朝倉書店)』『石橋純著『熱帯の祭りと宴――カリブ海域音楽紀行』(2002・柘植書房新社)』『白根全著『カーニバルの誘惑――ラテンアメリカ祝祭紀行』(2003・毎日新聞社)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「トリニダードトバゴ」の意味・わかりやすい解説

トリニダード・トバゴ
Trinidad and Tobago

基本情報
正式名称=トリニダード・トバゴ共和国Republic of Trinidad and Tobago 
面積=5130km2 
人口(2010)=132万人 
首都=ポート・オブ・スペインPort of Spain(日本との時差=-13時間) 
主要言語=英語 
通貨=トリニダード・トバゴ・ドルTrinidad and Tobago Dollar

カリブ海東部,西インド諸島の最南端にあり,ベネズエラの対岸に浮かぶトリニダード島とその北東32kmに位置するトバゴ島からなる共和国。1498年5月30日,コロンブスが第3次航海の際トリニダード島を〈発見〉し,アリポ山などの3峰を見てトリニダード(スペイン語で〈三位一体〉の意)と名づけた。また,D.デフォーの《ロビンソン・クルーソー》で知られるトバゴ島の名は,先住民たちが愛好していたタバコがなまったものといわれている。行政区域は,8州とトバゴ特別区に分かれている。日本は1962年8月31日に同国が独立すると,これを承認し,64年5月に同国との国交を樹立した。

住民の構成は黒人43%,インド系40%,白人1%,中国系1%,混血14%,その他1%で,典型的な多人種・複合社会を形成している。公用語は英語であるが,ほかにヒンディー語も話されている。宗教はカトリック教徒32%,英国国教会派14.4%,ヒンドゥー教徒24%,イスラム教徒6%,その他9%である。

1962年8月に独立し,イギリス連邦加盟の立憲君主国となったが,76年8月に共和制へ移行し,元首は大統領になった。任期は5年。国会は両院制をとる。上院は定数31名で大統領が任命する。下院は定数36名で選挙制である。任期はいずれも5年。政党は人民民族運動,国家再建連合,統一国家会議など。このうち人民民族運動は著名な歴史学者であるE.ウィリアムズが1956年に結成した政党で,56年以来政権を担当してきたが,86年の総選挙で国家再建連合に敗れた。同党は83年に四つの野党が連合してできたものである。91年の選挙では人民民族運動が政権を奪回したが,95年の選挙では人民民族運動と国家再建連合から分かれた統一国家会議はともに同数ながら過半数をとれず,このため統一国家会議が国家再建連合と連立政権を樹立した。二大政党である人民民族運動はアフリカ系,統一国家会議はインド系の国民を支持基盤にしている。

基幹産業は石油,天然ガスである。トリニダード島の南とパリア湾には推定埋蔵量7億バレルに達する石油資源があり,これらの原油生産のほか,広くラテン・アメリカ地域の石油精製基地として,ベネズエラやコロンビア産原油の精製も行っており,その量は国内産の数倍にのぼる。このため,国内総生産の35%は鉱業が占めており,その他の産業としては,農業(サトウキビ,バナナ,コーヒー,ココア)や観光業などが挙げられる。西インド諸島最大の産油国として国民所得水準は一番高いが,工業化にともなう経済の急成長によってインフレの高進も際だっており,労働者の賃上げ攻勢もはげしさを増している。それに加えて,流通部門を支配するインド系と黒人系との人種対立も根強い。また,耕地の多くを支配するキャロニー,セント・マドレーン,ユナイテッド・ブランズなどの製糖・果実資本,鉱業部門に権益をもっているシェル,ラグビーなどの外資系の影響も無視できない。

トリニダード島には先スペイン期に,カリブ族とアラワク族がいて,彼らはこの島をコリブリ島と呼んでいた。征服後まもなく彼らはほとんど絶滅してしまった。同島は1498年から1797年にイギリス艦隊に降伏するまでの3世紀間スペインの支配下にあったが,スペインはほとんど実質的な植民を行わなかった。その間,1595年にイギリス,1640年にオランダ,77年と90年にフランスの影響下に置かれたことがある。17世紀末にはカカオとタバコの栽培によってある程度の繁栄がみられるようになり,18世紀にはフランス人がサトウキビの栽培を始め,1787年に最初の砂糖工場がつくられた。そして1802年,アミアン条約によってイギリス領に移行した。

 またトバゴ島も,1498年コロンブスによって〈発見〉されてスペイン領になったが,1632年にはオランダが占領し,1781年から1802年まではフランス,1763年と93年にはイギリスの支配下に置かれた。1814年に最終的にイギリスの領有が確定し,88年には先にイギリス領になっていたトリニダード島と併合されて,トリニダード・トバゴ植民地と名づけられた。

 スペイン統治時代から労働力として黒人奴隷が導入され,サトウキビ栽培を主とし,カカオ,タバコ,コーヒー,アイ(藍)などを従とする農業中心の植民地であった。イギリス領になると,1833年に奴隷制が廃止される前後からインド人や中国人の契約労働者を積極的に受け入れ,プランテーション型製糖業が行われるようになった。しかし19世紀末に石油資源が発見され,1910年にその生産が開始されると,経済・産業の中心は石油産業へ移行し,現在にいたっている。また工業労働者の台頭にともなってイギリス労働党型のトリニダード労働党が誕生し,労働運動と自治・独立を求める運動とが結合されるようになった。1950年には新憲法の制定にともない,自治と独立への最初の歩みがみられ,56年人民民族運動の結成によって独立運動はいっそう前進することになった。そして62年8月,イギリス連邦内の立憲君主国として独立が達成された。さらに,76年8月には共和制へ移行し,正式にイギリスから分離したのである。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「トリニダードトバゴ」の意味・わかりやすい解説

トリニダード・トバゴ

◎正式名称−トリニダード・トバゴ共和国Republic of Trinidad and Tobago。◎面積−5128km2。◎人口−133万人(2011)。◎首都−ポート・オブ・スペインPort of Spain(4万人,2011)。◎住民−インド系40%,黒人40%,混血18%,白人1%,中国人など。◎宗教−カトリック29%,ヒンドゥー教24%,英国国教会11%,イスラム6%など。◎言語−英語(公用語)が大部分,ほかにヒンディー語など。◎通貨−トリニダード・トバゴ・ドルTrinidad and Tobago Dollar。◎元首−大統領,アンソニー・トーマス・アキナス・カルモナ(2013年3月就任,任期5年)。◎首相−ローリー(2015年9月発足)。◎憲法−1976年8月発効。◎国会−二院制。上院(定員31,大統領の指名による,任期5年),下院(定員41,任期5年)。最近の選挙は2010年5月。◎GDP−239億ドル(2008)。◎1人当りGNP−1万3340ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−10%(1997)。◎平均寿命−男66.4歳,女73.6歳(2013)。◎乳児死亡率−24‰(2010)。◎識字率−98.7%(2009)。    *    *中米,西インド諸島南端にあるイギリス連邦内の独立国。トリニダード島とトバゴ島からなる。政治,経済の中心をなすトリニダード島はベネズエラのオリノコ川河口部に近接,北部に山脈が走る。両島とも約50%が森林地帯。気候は熱帯性。石油(英米系資本が支配)の産が重要で,天然ガス,天然アスファルトも産する。主要農産物はサトウキビ。 1498年コロンブスが到達し,トリニダード島は16世紀にスペイン領となったが,1802年英領に移行した。トバゴ島も19世紀初頭に英領となり,1888年両島を合わせて一植民地を形成した。スペイン領時代から黒人奴隷,奴隷解放後はインド人労働者がサトウキビなどの農園に導入された。第2次大戦後,エリック・ウィリアムズらが独立運動を展開,1962年8月イギリス連邦内で独立し,1976年8月共和制に移行した。1995年には同国で初めてのインド系首相(パンデー)が誕生した。
→関連項目ピッチ[湖]

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トリニダードトバゴ」の意味・わかりやすい解説

トリニダード・トバゴ
Trinidad and Tobago

正式名称 トリニダード・トバゴ共和国 Republic of Trinidad and Tobago。
面積 5130km2
人口 137万1000(2021推計)。
首都 ポートオブスペイン

南アメリカ大陸北岸沖,カリブ海南東端にある島国。狭い海峡を挟んでベネズエラ北東岸に相対するトリニダード島と,その北東約 30kmに位置する小さなトバゴ島からなる。熱帯気候に属し,高温多雨。1~5月が乾季で,9~10月にも短い乾季がある。住民構成は歴史を反映して複雑で,アフリカ系黒人とインド系が各 40%,混血 16%,ほかにヨーロッパ系住民や中国人がいる。公用語は英語。両島とも 1498年にコロンブスが来航したが,それぞれ別個の歴史をたどったのち,19世紀末合併し,単一のイギリス植民地となった。 1910年トリニダード島南部の石油開発が本格的に始まると,農業植民地としての経済形態に変化が生じた。 1937年油田労働者のストライキがゼネストに発展。 1945年普通選挙制度導入。 1950年制定された新憲法のもとで,1956年総選挙が行なわれ,エリック・ウィリアムズの率いる人民民族運動党 PNMが勝利。 1961年内政の完全自治を定めた新憲法施行。この間 1958年西インド諸島のイギリス領諸島が西インド諸島連邦を結成,連邦としての独立を目指したが,1961年単独に独立すべくジャマイカが脱退。翌 1962年トリニダード・トバゴも脱退し,8月 31日独立,イギリス連邦の構成国となった。ウィリアムズが初代首相。 1976年8月新憲法が施行され,共和国となった。商品作物としてサトウキビ,柑橘類,カカオ,コーヒー,ココナッツなどが栽培されるが,輸出額の5~7%を占めるにすぎない。消費作物として米,豆類,トウモロコシ,芋類が栽培される。主産業は石油産業で,輸出額の 45%以上を占め,西インド諸島有数の産油国。鉱物資源としてはほかにアスファルトがあり,世界有数の産出国である。工業部門では,石油精製と石油化学のほか,肥料,衣料,自動車組み立てなどの工業がある。観光業も特にトバゴ島で重要。国内交通路としては鉄道もあるが,自動車交通が中心で,道路網が整備されている。海路,空路によりカリブ海諸島をはじめ,世界各地と連絡。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「トリニダードトバゴ」の解説

トリニダード・トバゴ
Trinidad and Tobago

カリブ海,小アンティル諸島のなかで最も南アメリカ本土に近い島々よりなる共和国。1498年コロンブスが第3回航海で初めて接触したが,スペイン植民地のなかでは僻地であったため,主に英仏間で争われた。トリニダードは1802年,トバゴは14年,イギリス領に確定した。植民地時代は砂糖の産地として経済的に重きをなし,1910年以後は石油の生産も行われている。1888年両島をあわせてイギリス領植民地となり,1962年イギリス連邦内の立憲君主国として独立,76年共和制に移行。人口構成では黒人とインド系人がほぼ同比率を占めるのが特色。言語は英語。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のトリニダードトバゴの言及

【トバゴ[島]】より

…西インド諸島南東端のトリニダード島の北東32kmにある島。トリニダード島とともにトリニダード・トバゴを構成する。面積300km2。…

※「トリニダードトバゴ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android