ミハイルプレトニョフ(その他表記)Mikhail Pletnëv

現代外国人名録2016 「ミハイルプレトニョフ」の解説

ミハイル プレトニョフ
Mikhail Pletnëv

職業・肩書
ピアニスト,指揮者 ロシア・ナショナル管弦楽団創立

国籍
ロシア

生年月日
1957年4月14日

出生地
ソ連ロシア共和国アルハンゲリスク(ロシア)

本名
Pletnëv,Mikhail Vasilievich

学歴
モスクワ音楽院

受賞
ロシア人民芸術家〔1990年〕,ロシア第一等国家賞〔1995年・2002年〕,グラミー賞〔2005年〕,パリ国際青年音楽コンクール第1位〔1973年〕,全ソ・ピアノ・コンクール第1位〔1977年〕,チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門第1位〔1978年〕

経歴
1歳でピアノを始め、カザン音楽院附属中等特別音楽学校でキーラ・シャシキンに学ぶ。13歳でモスクワ音楽院附属中央音楽学校に編入、エウゲニ・ティマーキンに師事。1974年同音楽院に進み、ヤコフ・フリエールの指導を受け、同時に作曲をアルベルト・レーメンに学ぶ。以来、数々のコンクールで優勝。’80年指揮者としてデビュー。’90年11月ソ連初の自主オーケストラ、ロシア・ナショナル管弦楽団を創立、芸術監督兼首席指揮者、ピアニストとして同楽団を世界有数のオーケストラに育て上げた。のち名誉指揮者。2007年末にはチャイコフスキーのオペラスペード女王」でボリショイ・デビュー。2008年東京フィルで客演指揮。2013年3月6年ぶりにピアニストとしての活動再開。世界的レーベルから40タイトルを超すCDを出すなど実績をあげる。1980年以来度々来日。2009年「スペードの女王」で来日公演。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ミハイルプレトニョフ」の解説

ミハイル プレトニョフ
Mikhail Pletnev


1957.4.14 -
ソ連のピアノ奏者,指揮者。
アルハンゲリスク生まれ。
両親は音楽家で、7歳で正式に音楽の勉強を始める。モスクワ音楽院付属中央音楽学校でE.ティマーキンに師事。在学中の1973年ジュネス・ミュージカル国際コンクールに出場し第一位。’74年モスクワ音楽院入学、ピアノ、作曲を学ぶ。’78年チャイコフスキー国際コンクール第一位獲得。’79年ユネスコ後援の若手の演奏家のための国際ステージに選出。チャイコフスキー・コンクール受賞者演奏会で、自ら編曲したチャイコフスキーのバレー音楽等を弾き、異彩を放った。90年旧ソ連初の自主オーケストラ、ロシア・ナショナル管弦楽団を創立。’80年初来日。レコードにチャイコフスキー作曲、プレトニェフ編曲の演奏会用組曲「くるみ割り人形」等がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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