百科事典マイペディア 「くるみ割り人形」の意味・わかりやすい解説
くるみ割り人形【くるみわりにんぎょう】
→関連項目チェレスタ|ディベルティスマン|ヌレーエフ|フォンテイン|ロンドン・フェスティバル・バレエ団
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チャイコフスキーの音楽による2幕のバレエ。原作はE.T.A.ホフマンの《くるみ割り人形とネズミの王》だが,ペチパがバレエ台本にし,ペチパの弟子イワノーフ振付で1892年12月ペテルブルグのマリインスキー劇場で初演された。クリスマスの前夜少女クララ(またはマーシャ)が人形遣いドロッセルマイヤーからもらったくるみ割り人形は,真夜中ネズミの大軍と戦い不利に陥るが,少女の機転で戦いに勝つ。くるみ割り人形は美しい王子に変身し,少女を雪の国や海底を通ってお菓子の国へと案内する。そこでは各国の踊りがあり,最後は金平糖の精と王子のグラン・パ・ド・ドゥが華やかに踊られる。1934年レニングラード・キーロフ劇場でV.I.ワイノーネンが改訂したものが基となり,世界各国でさまざまな形のものが上演されている。
執筆者:桜井 勤
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バレエ。2幕3場。チャイコフスキー作曲。台本は、E・T・A・ホフマン原作の『くるみ割り人形とハツカネズミの王様』をもとにマリウス・プチパが脚色。振付けレフ・イワーノフ。1892年12月6日、ペテルブルグのマリンスキー劇場初演。クリスマスの夜、少女クララの家で盛大な祝宴が開かれ、名付け親はクララにくるみ割り人形を贈る。祝宴が終わり、クララはくるみ割り人形がハツカネズミの軍隊と戦っている夢をみる。くるみ割り人形は突然王子に変身し、クララをいろいろな国に連れていってくれる。お菓子の国で金平糖(こんぺいとう)の精が歓迎のパ・ド・ドゥを踊り、次から次へとディベルティスマンが展開される。このバレエにはたくさんの改訂版があるが、ボリショイ劇場のグリゴロービチ版などが日本でも親しまれている。世界各国のバレエ団は12月になるとクリスマスにちなんで上演することが多い。
なお、今日親しまれている同名の舞踊組曲((1)小序曲、(2)行進曲、(3)こんぺい糖の踊り、(4)トレパック、(5)アラビアの踊り、(6)中国の踊り、(7)あし笛の踊り、(8)花のワルツ)はチャイコフスキー自身によって編まれたもので、バレエ初演より先の1892年3月15日、彼の音楽会で初演された。
[市川 雅]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…しかし,舞踊の因襲的な技法が自由な音楽表現の束縛となり,一級の作曲家たちはバレエ音楽に創作意欲を示さなかった。パリにおけるドリーブの《コッペリア》(1870)と《シルビア》(1876),モスクワにおけるチャイコフスキーの《白鳥の湖》(1876),ペテルブルグにおける同じ作曲家の《眠れる森の美女》(1890)と《くるみ割り人形》(1892)の成功は,この通念を打開し20世紀のバレエ音楽への道を開いた。 1910年代から20年代にかけて,ディアギレフの主宰する〈バレエ・リュッス〉のために,現代音楽の新しいイズムをもったバレエ音楽が相次いで創造される。…
…管弦楽は機械録音のもっとも苦手とする分野で,録音能力と収録時間の制約から,編成も長さも簡略化された。大規模な管弦楽のしかも組物のレコード(H.フィンク指揮,ロンドン・パレス・オーケストラによるチャイコフスキーの《くるみ割り人形》,オデオン盤)は09年に初めて出された。最初の交響曲録音(指揮者不明のオデオン弦楽オーケストラによるベートーベンの《運命》と《田園》,オデオン盤)は13年であった。…
※「くるみ割り人形」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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