ムテサ(読み)むてさ(その他表記)King Edward Frederick Mutesa Ⅱ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムテサ」の意味・わかりやすい解説

ムテサ(2世)
むてさ
King Edward Frederick Mutesa Ⅱ
(1924―1969)

ウガンダブガンダ王国最後の国王(カバカ)。独立後ウガンダ初代大統領。マケレレ大学在学中王位を継承したが、引き続きケンブリッジ大学に留学。1953年宗主国イギリスのウガンダ統一国家独立構想に反対してブガンダ王国単独独立を主張したため、イギリスによって王位を剥奪(はくだつ)されロンドン追放。1955年許されて帰国。1962年ウガンダの独立とともに大統領に就任。1966年改憲によりオボテ首相が全権を握り、宮殿を襲ったため、ムテサ2世はロンドンに亡命。1969年失意のうちに死去

[林 晃史]


ムテサ(1世)
むてさ
Mutesa Ⅰ
(1838?―1884)

19世紀にアフリカ中央部で栄えたブガンダ王国(現ウガンダ南部)の国王(在位1856~84)。父スナ2世の死後王位を継承し、軍隊を強化して強力なブガンダ王国を築いた。進取気概をもち、アラビア商人を定住させインド洋沿岸地域との遠隔地貿易に乗り出した。1862年イギリスの探検家スピークがブガンダ王国を訪れてから西洋文明に目を向け、75年アメリカの探検家スタンリーがキリスト教布教を進言した際、これを取り入れた。エジプト・スーダン軍の侵入を巧妙な外交で乗り切り、北方ブニョロ王国にはアラブ商人から買い入れた銃器で対抗した。84年死去し、息子のムワンガが後を継いだ。

[青木澄夫]

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世界大百科事典(旧版)内のムテサの言及

【ウガンダ】より

…52年には民族主義政党,ウガンダ国民会議(UNC)がムサジI.K.Musaziの指導のもとに創設されて独立をめざした。翌年ブガンダ王ムテサ2世E.F.Mutesaがイギリスの東アフリカ連邦結成への動きに反対してロンドンに追放されると,UNCも王の帰還促進運動に加わったが,ブガンダ王国の政治運動に巻き込まれ,しだいに分裂を始めた。ムテサ2世は55年にイギリス政府の譲歩により帰還を許され,王党派の勢力が強まったため,UNC党員のうちブガンダ政治にあきたりない北部や西部出身者は脱党し,59年にウガンダ人民会議(UPC)を創設した。…

※「ムテサ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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