ムハリ(英語表記)Mukhali

改訂新版 世界大百科事典 「ムハリ」の意味・わかりやすい解説

ムハリ (木華黎
)
Mukhali
生没年:?-1223

モンゴル帝国創業の功臣。ジャライル部の人。チンギス・ハーンの苦難時代からこれを助けてその覇業に貢献し,ボオルチュ,ボロクル,チラウンとともに四傑と称せられた。1206年チンギスハーンはモンゴル高原を統一すると,麾下(きか)の遊牧民を95の千戸に再編成し,これを西のアルタイ山方面の右手の万戸と東の興安嶺方面の左手の万戸に振り分けたが,ボオルチュは右手の,ムハリは左手の指揮官に任じられた。西方遠征を図るチンギス・ハーンは17年ムハリに中国方面の全権委任,以後彼は左翼軍団を率いて中国北部を転戦し,23年山西の聞喜県で病没した。彼の事業は,ボゴル(孛魯),タス(塔思),スグンチャク(速渾察)と継承され,帝国東方に強固な地盤を築いたが,孫のバートル(覇都魯)がフビライ世祖)の政権樹立に全勢力をあげて後援した結果,歴史上元朝政権への橋渡しの意味を果たす形になった。ムハリの家系は代々国王を称し,元朝最高の家柄となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムハリ」の意味・わかりやすい解説

ムハリ(木華黎)
ムハリ
Mukhali

[生]1170
[没]1223
モンゴル帝国の武将。四傑の一人。ジャライル部の人。初めジュルキン氏に従属したが,チンギス・ハンに討滅されたとき父に連れられて来降。以来チンギス・ハンケレイト部との決戦などに活躍し,1206年モンゴル帝国成立後,ボオルチュ (孛斡児出)と並ぶ最大功臣として,興安嶺方面のモンゴル軍を管轄する万戸長に任じられ,ダルハン (荅剌罕)の資格も与えられた。 11年からの金国征討にも功を立て,17年大師国王の称号を与えられ,新占領地の漢地を経営する全権司令官である都行省承制行事に任じられた。

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