ムハージルーン(その他表記)muhājirūn

改訂新版 世界大百科事典 「ムハージルーン」の意味・わかりやすい解説

ムハージルーン
muhājirūn

〈移住者〉を意味するアラビア語。従来の血縁地縁から離れ神の道にヒジュラ(移住)を行った人々をいう。622年の預言者ムハンマドのヒジュラ前後にメッカからメディナに移住した70余名の成年男子とその家族が最初のムハージルーンである。メディナにおけるムハンマドの支持者であるアンサールとともに形成期のイスラム教団国家の中核であった。その生計は,当初,アンサールに頼っていた。ヒジュラ後4年,ユダヤ教徒ナディール部族をメディナから追放し,彼らのナツメヤシの農園の分配を受けた後は,最初のムハージルーンはメディナの中流以上の資産家になった。ムハンマドの権威の増大とともに,メッカやアラビア半島の他の場所からメディナに来るムハージルーンの数は増え,630年のメッカ征服時には,成年男子の数で700名に達していた。ムハンマド没後の教団国家を指導したのはアンサールではなくムハージルーンであった。大征服時代,軍営都市(ミスル)に移住した戦士もムハージルーンと呼ばれることがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムハージルーン」の意味・わかりやすい解説

ムハージルーン
muhājirūn

「移住者」を意味するアラビア語ムハージル muhājirの複数形。 622年預言者ムハンマドに従ってメッカからメジナに移住 (→ヒジュラ ) した 70名余が,ムハージルーンと呼ばれ,歴史上の用語となった。このときメジナの住民でムハンマドとムハージルーンを受入れ援助した人々をアンサールといい,ムハージルーンとアンサールが勃興期のイスラム国家の構成員となった。その後,メッカからの移住者,アビシニア (エチオピア) に移住していた初期の信徒,近隣のアラブ諸族からの移住者もムハージルーンとしてメジナ社会に定着し,ムハンマドの晩年にはムハージルーンは 1000名をこえた。ムハンマドの死後,イスラム国家の指導権をめぐってアンサールとムハージルーンが対立する一幕もあったが,結局ムハージルーンが指導権を握り,初代から第4代までの正統カリフはムハージルーンの間から選ばれた。大征服時代,各地に建設された軍事都市 (→ミスル ) に移住した人々もムハージルーンと呼ばれ,アラビア半島で遊牧生活をしていたアラブが,戦士としてミスルに定着するようになった。

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世界大百科事典(旧版)内のムハージルーンの言及

【ヒジュラ】より

…メッカでのイスラムの発展は絶望とみたムハンマドと教友が,メッカの非信徒である親子,兄弟,親族,知人,友人などとのすべての縁を断ち切り,彼らと戦う決意をしたのがヒジュラであった。ムハンマドのヒジュラの後でも,神の道に移住して来ることはヒジュラと呼ばれ,ヒジュラを行った人々はムハージルーンと呼ばれたが,彼らは必ずしもメディナに移住する必要はなかった。また大征服の時代に征服地のミスルに来て戦いに参加することもヒジュラと呼ばれた。…

※「ムハージルーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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